例えば「あくどい」を「悪どい」と捉えたり、「いさぎよい」を「いさぎ(が)良い」と解釈したりすることを、「異分析(metanalysis)」という。國語國文研究會編『趣味の語原』(桑文社1937)を見てみると、この手のものがたくさん出て来て、なかなか面白い。「呆(あきれ)」<「嗚極み荒れ(あーきはみあれ)」、「曰(いはく)」<「思吐(おもひはく)」、「怠(おこたる)」<「措き棄て肖る(おきすてある)」、「男(をとこ)」<「食し取り君(をしとりぎみ)」、「傍(かたはら)」<「片腹(かたはら)」、「慕(したふ)」<「後に立ち追ふ(しりにたちおふ)」、「相撲(すまふ)」<「進み挑み合ふ(すゝみいどみあふ)」、「養(やしなふ)」<「生け肥し擔ふ(いけこやしになふ)」……、といった具合で、ここまでくると、もう単なる語呂合わせや駄洒落の類である。
イェスペルセン/三宅鴻訳『言語―その本質・発達・起源―(上)』(岩波文庫1981)の第二部「子ども」、第十章「子どもの影響・続」の第二節「異分析(メタナリシス)」に、この用語はイェスペルセン自身が「敢えて造った」もの(p.322)とあって、これらは特に子供が「耳にした分析を一旦誤り、次いでこの形を生涯にわたって繰り返し続けることから生」じた(p.324)可能性が高い、と書いてある。全てその通りだと言い切れるかどうか分からないが、異分析は古来、洋の東西を問わずしばしば見られたようだ。これは、語源俗解、いわゆる「民間語源(folk-etymology)」*1とも関わる現象である。
ちなみに英語の民間語源ならば、ウィークリー/寺澤芳雄・出淵博訳『ことばのロマンス―英語の語源』(岩波文庫1987)の第九章(pp.232-82)あるいは第一三章(pp.378-413)が豊富な実例を挙げており面白く読めるので、一読をおすすめしたい。
また、ついでながら、モンテーニュによる民間語源を挙げておく。
この死という一言は彼らの耳にあまりに強く響き、その言葉は不吉に聞こえるので、ローマ人はそれをやわらげて遠廻しに言うことを覚えた。彼らは、「彼は死んだ」というかわりに、「彼は生きることをやめた」、「彼は生きてしまった」と言う。「生きる」ということでさえあれば、「生き終わった」でも気がすむのである。われわれが故ジャン殿 feu Maistre-Jehan というのもここからの借用である。(モンテーニュ/原二郎訳『エセー(一)』岩波文庫1965,第一巻第二十章:154-55)
訳注によると、「モンテーニュはこの feu を『あった』から来たと考えたらしい。しかし実際は俗ラテン語の fatutum『自分の運命を終えた』という語に由来する」(p.179)という。
さて、日本語の異分析、民間語源の例としてしばしば紹介されるもののうちのひとつが、「あかぎれ」である。その実例には、
といった言いまわしもあることから、「あかぎれ」を、「あか+ぎれ(あか+切れ)」と解釈する向きが多いのではなかろうか。
しかし、『日本国語大辞典【第二版】』(小学館)の「あかがり」の項の語誌欄に、
アカガリのアは足で、カカリは動詞「カカル」の連用形名詞。「カカル」は、ひびがきれる意の上代語。アカガリは、江戸時代まで命脈を保つ。虎明本狂言「皸」に、「あかがりは恋の心にあらね共、ひびにまさりてかなしかりけり」とあり、「ひび」よりも傷の大きく深いものと認められていたらしい。
とあり、また「あかぎれ」の項の語誌欄に、
アカギレは一七世紀のころ、アカガリに代わって現われる。アカガリに、ア‐カガリの語源意識が消失して、アカを垢・赤とするアカ‐ガリの異分析を生じ、さらにガリの意味の不明なのをアカ(垢・赤)ギレ(切)という変形で安定させたものと考えられる。
とあるように、「あかぎれ」は本来、「あ+かがり」であったと考えられる。
このことについては、言葉に関する本でしばしば言及される。例えば次のようである。
「あかぎれ」は手足の皮膚が寒さなどで乾燥したため、ひび割れなどができる病気である。古くは「アカカリ」あるいは「アカガリ」といった。「ア」とは足のことである。ところがこの「アカガリ」を「アカ+ガリ」と解釈して、そのために「アカ」は「赤」であるという民間語源が生まれてしまった。だが残った「ガリ」が意味不明だ。そこで「ガリ」の代わりに皮膚が切れているという理由で「キレ」を充て、その結果「アカギレ」になってしまったのである。
こうなってくると、民間語源自身が言語変化の要因となっているともいえる。(略)
ただし「アカギレ」のような例は、日本語の音パターンとも関係している。つまり「アカギレ」のように四拍分の音があれば、それを二対二で分けるのが、日本語として落ち着くのだ。したがって本来の「ア+カギレ」ではなく、「アカ+ギレ」と解釈してしまう。
(黒田龍之助『ことばはフラフラ変わる』白水社2018:185*2)
本来は、「あ+かぎれ」であって、この本来とは違う切れ目で(言語学では「異分析」と言う)捉えた結果が、「赤+切れ」なのだ。本来は、「足」を意味する「あ」と「皮膚がひび割れる」ことを意味する「かがる」からなる「足皸(あかがり)」だったのが、これが「あかぎれ」に変化したのである。赤くなるから「あかぎれ」と解釈しやすかったのは確かだろうが、「かがる」という動詞は平安時代以降はほとんど使われず、江戸時代にはすでに足以外でも「あかがり」と言っているくらいである。現代人が、語源を知らずに、「手にあかぎれができる」と言ったとしても、責めることはできない。
(加藤重広『日本人も悩む日本語―ことばの誤用はなぜ生まれるのか?』朝日新書2014:147)
しかし、なかには「あか+切れ」の民間語源を採用している現代語辞典もあり、山田忠雄ほか編『新明解国語辞典【第七版】』(三省堂2012)の「あかぎれ」の項には、「赤く腫(ハ)れて切れる意」、と明記してある。
異分析による民間語源であっても、長い時間を経たり権威を生じたりすると、それも立派な「古典語」となる。その一例を見てみよう。
卜部兼好の『徒然草』第七十三段に、
また、我も真しからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻の程、蠢(おごめ)きて言ふは、その人の空言にはあらず。(島内裕子校訂・訳、ちくま文庫p.151)
とあって、こちらは慶長十八年(1613)の「烏丸(からすまる)本」(烏丸光広校訂本)を底本としているのだが、同じく「烏丸本」を底本とした小川剛生訳注本は、当該箇所を、
また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおこめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。(角川ソフィア文庫p.79)
と起こしている。すなわち、「おごめく」:「おこめく」という解釈の相違があるわけだ。小川訳注本の補注には次のようにある。
これまでは「おごめきて」、「蠢く」の母音交替形で、「鼻のあたりをぴくぴくさせて」の意と解されてきた。この表現は、源氏物語・帚木、雨夜の品定めで式部丞が博士の娘につき語るくだり、「残りいはせむとて、「さてさてをかしかりける女かな」と、(源氏は)すかいたまふを、心得ながら、鼻のわたりをこめきて、語りなす」(河内本による)を踏まえる。ところが源氏物語の「おこめく」という語は、物語中の用例を検討すれば、清音で「嗚呼めく」、つまり「ふざけて」「おどけて」の意とするのが正しい。徒然草の本文もこの用法で解釈すべきで、厳密に清濁を区別したと言われる底本にも濁点はない。林羅山の野槌で濁点が現れ、「蠢く」との連想、また羅山の権威が加わり、「おごめきて」が定着したらしい。白石良夫「徒然草「鼻のほどおこめきて」考―続オゴメク幻想」(語文研究105、平20・5)参照。(p.239)
附言すると、小川氏の参照した白石氏の論文は、その他の論文とともに一般向きに書き改められ、白石良夫『古語の謎―書き替えられる読みと意味』(中公新書2010)に収められた(第四章「濁点もばかにならない―架空の古語の成立」)。白石氏によれば、羅山は故意に濁点を附したのではなく、版本の段階で「ほと」の「と」に附すはずだった濁点が「こ」に附されたと思しく、「羅山の認識は(略)「おこめきて」であった」(p.101)という。
いずれにせよ、「烏滸(痴)+めく」の異分析による“幽霊語(ghost word)”*3「おごめく」は、江戸期以降に古典語として定着をみたらしい。これも異分析の与った例といえるだろう。
新版として刊行中の『源氏物語(一)』(岩波文庫)は、「帚木」の当該箇所を大島本(古代学協会蔵、大島雅太郎氏旧蔵本)に基づき「鼻のわたりをこづきて」(鼻の辺りをおどけて見せて)と解し(p.138)、注釈で、「底本「おこつきて」は、河内本など「をこめきて」」(p.139)、とする。
※『徒然草』については、ここにも書いたことがある。
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