国木田独歩「忘れえぬ人々」

 武蔵野の西端に少しばかり縁が出来たこともあって、このところ、国木田独歩『武蔵野』(岩波文庫2006改版)を持ち歩いて読んでいた。これは表題作のほかに十七篇を収めた短篇集で、そのうちとりわけ心に残ったのが、「忘れえぬ人々」である。
 「忘れえぬ人々」も武蔵野を舞台とする作品で、作中には、たとえば「春先とはいえ、寒い寒い霙まじりの風が広い武蔵野を荒れに荒れて終夜(よもすがら)、真闇(まっくら)な溝口の町の上を哮え狂った」(p.155)といった描写がみられる。
 山田太一氏は武蔵野の「溝の口のはずれ」に住んでいる(いた?)そうで、「武蔵溝ノ口の家」(『月日の残像』新潮文庫2016)で「忘れえぬ人々」の冒頭部分を引用しつつ、「いい短篇で全部引用したいがそうもいかない。(作中に出て来る宿屋の)亀屋は数年前まで婚礼や法事などに使われる亀屋会館となって続いていたが、ある年とりこわされてマンションになってしまった」(p.17)と書いている。
 阿部昭*1も、「忘れえぬ人々」を好きな短篇のひとつとして挙げていて、次の如く述べる。

 独歩の短編からどれか一つ、というのは無理な注文であるが、私がときどき覗いてみたくなるのは、二十七歳の年に『武蔵野』についで書かれた『忘れえぬ人々』である。覗くというのは、冒頭の堂々たる風格をもった叙景、またそれに続く宿屋の帳場の場面だけでも、私にはしばし時を忘れるに十分だからである。そこを読むと、なにか自分もそんなうらぶれた旅人姿で一夜の宿を探しているような、心もとない気持ちになる。そして、自分もそんな宿屋に一晩厄介になりたいような、人恋しい気持ちになる。懐かしいと言っても、しんみりすると言っても足りない、鷗外や漱石と同じ、日本人の血にひそむ郷愁を掻き立てずにはおかぬものが、やはりここにもある。(『短編小説礼讃』岩波新書1986:59)

 阿部は、これに続けて「忘れえぬ人々」の冒頭部を引用し、「亀屋の主人(あるじ)」の描写について高く評価する。さらに作品全体としては、

 『忘れえぬ人々』は、主人公のメッセージにそむかず、読む者に人がこの世にあることの不思議さをしみじみと感じさせる。そしてまた、その結びには若い独歩の文学への自覚と決意がうかがわれる。(同前p.64)

と評している。ここで、「忘れえぬ人々」の梗概を述べておこう。
 三月初旬の晩、武蔵野溝口の亀屋を訪れた二十七、八の無名の文学者・大津弁二郎(独歩自身がモデルかと思われる)が、隣室の客で二十五、六の画家の秋山松之助とたまたま相知ることになり、自室に来た秋山と「美術論から文学論から宗教論まで」語り合う。そのとき大津の手許にあった草稿に秋山が眼をとめる。表紙には「忘れ得ぬ人々」と書かれており、秋山はそれを見せてほしいとせがむ。大津は、草稿は見せずに詳細を語って聞かせることにする。その表題の意味するところは、「忘れ得ぬ人は必ずしも忘れて叶うまじき人にあらず」。すなわち「忘れて叶うまじき人」は、親や子・知人だけでなく、自分が世話になった教師先輩の類をさすが、「忘れ得ぬ人」は、まったくの赤の他人なのに「終(つい)に忘れてしまうことの出来ない人」のことである。大津は、旅先などで見かけたりすれちがったりした「忘れ得ぬ人」を幾人も挙げた。
 それから二年後のこと。大津と秋山との交際は全く絶えてしまっている。大津は雨の降る晩、ひとり机に向かって瞑想していた。机上には、「忘れ得ぬ人」の原稿が置いてある。だが、その最後に「忘れ得ぬ人」として書き加えてあったのは、すっかり打ち解けて深更まで語り合った秋山ではなく、「亀屋の主人」だった――。
 さて、朝刊連載記事をまとめた堀江敏幸『傍らにいた人』(日本経済新聞出版社2018)は、国内外の小説(短篇がとくに多い)についての随想集であるが、劈頭の「傍点のある風景」は「忘れえぬ人々」を端緒として叙述を始めており、その末尾の方で次のように記している。

 すべての語りが終わったあと、作者(独歩)の分身を思わせる大津の心の光景のなかで、主要な人物とは見えなかった男(亀屋の主人のこと)に印象的な傍点が振られた理由については、独歩の文学全体に、また彼の短かった生涯の出来事に照らしてみれば、それらしい説明が可能になるだろう。
 けれど私は、ひとりの読み手として、こうした解釈の誘惑からいったん離れてみたいとも思うのだ。読書をつうじて形成された記憶のなかで振られる後付けの傍点の意味を、深追いしないこと。書物のどこかで淡い影とすれちがっていた事実を、ありのままに受け入れること。その瞬間、頬をなでていたかもしれない、言葉の空気のかすかな流れを見逃していた情けなさと出会い直せた不思議を、大切にしておきたいのである。(p.13)

 「印象的な傍点が振られ」る、というのは堀江氏独特の言い回しであるが、これは次の記述を受けたものである。

 私は実際に、思い出されてはじめて、なるほどその折の景色のなかに目立たない傍点が打たれていたのだと気づかされるような影たちと、何度も遭遇してきた。ただし、現実世界ではなく、書物の頁の風景の中で。
 読み流していた言葉の右隣に、じつはあぶり出しの手法で見えない傍点が振られていて、時間の火をかけるとそれが黒い点になって浮かびあがる。濃淡は、めぐる季節によっても変化する。(p.11)

 荒木優太氏は、「亀屋の主人」が忘れ得ぬ人として選ばれた理由について、次のような解釈を与えている。「それらしい説明」どころか、得心のゆく見立てであるように思えたので、最後に紹介しておきたい。

 大津は「忘れ得ぬ人々」という題名の原稿に、「秋山」の名ではなく「亀屋の主人」と書き込んでいたことが小説の末尾で明らかになる。あたかも、「名刺の交換」を済ませたような縁故*2の外にこそ求めるべき出会いがあったかのように。(中略)
 彼らの肩書なき名刺は、実際の無名性や有名性を隠す謙虚さの表れなどではなく、単なる「ハイカラー」である可能性がある。そうであるのならば、「秋山」ではなく「亀屋の主人」が特別な対象として選ばれたことも理解できる。仮に再会せずとも「秋山」は都会のネットワークに通じており――少なくとも大津は「東京」の人間でネットワークを予感できる、〈場所性〉の問題――、純粋な偶然的遭遇は、その外部のたまたま立ち寄った「亀屋の主人」の方に認められるからだ。(『仮説的偶然文学論―〈触れ‐合うこと〉の主題系』月曜社2018:141-42)

武蔵野 (岩波文庫)

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月日の残像 (新潮文庫)

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短編小説礼讃 (岩波新書 黄版 347)

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傍らにいた人

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仮説的偶然文学論 (哲学への扉)

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*1:ことしが歿後三十年に当る。

*2:秋山が大津の部屋に押し掛けた時点で、二人は「別に何の肩書もない」名刺の交換を済ませている。