前回引用した市川安紀『加藤武 芝居語り』(筑摩書房2019)は、小林信彦氏の「本音を申せば」(「週刊文春」2019.8.15・22合併号)でも紹介されており、そこで小林氏は、「この〈芝居語り〉は「キネマ旬報」の連載のつもりで始めたが、加藤さんの死(二〇一五年)によって挫折し、本で出版する、という形になったのではないかと思う」(p.68)などと述べているが、その最初の方で、
両親が清元(きよもと)好きということもあり、小さい時から芝居(しばや*1と発音してるのが下町っ子らしい、私の祖母もそう発音していた)が好きであった。特に歌舞伎が大好きで、兄たちと同じ泰明(たいめい)小学校に入った。この〈泰明小学校〉というところで、加藤武さんが芝居のエリートであることがわかる。(同前p.68)
と書いている。「しばやと発音してる」というのは加藤武のことだと読めるが、わたしが一読したかぎりでは、それをうかがわせるような記述は見当らなかった(そそっかしいわたしが見落しているだけかもしれないが)。
ただ同書は、六代目尾上菊五郎の新橋演舞場での挨拶(1945.5.25)に言及していて、その発言内容を引いた所に、
あっしはね、東京が焼け野原になっても、筵小屋をおっ建ててでも、芝や(芝居)を続けてまいります。どうぞしとつ、お前さんたちもね、火の中くぐっても観てやってくんなさい。(『加藤武 芝居語り』p.30、「芝や」の「や」、「しとつ」の「し」に傍点)
というくだりがみえ、六代目菊五郎が「しばや」と発音していたことは確かなようだ*2。
「しばや」と言った/を耳にしたかどうかは、固有名の「諸鈍シバヤ」(旧暦九月九日に奄美で行われる)などは別にして、山の手か下町かという地域性よりもむしろ、江戸期か明治期かあるいはそれ以降かという時代の違いに依るところが大きいだろうと思う。
例えば、岡本綺堂は次のように書いている。
演劇を我国では一般に「芝居」という。しかし江戸時代に「シバイ」という人は少い。知識階級の人は格別、一般の江戸人はみな訛って「シバヤ」と云っていた。その習慣が東京にまで伝わって、明治の初期から中期の頃までは、矢はりシバヤという人が残っていた。殊に下町の婦人などにはそれが多かった。
私が二十歳の時、ある宴会の席上で一人の年増芸妓に逢った。その芸妓は私の膳の前に坐って、芝居の話などをしていたが、そのうちに彼女は私の顔を眺めながら突然にこんなことを訊いた。
「あなた、お国はどちら?」
「東京。」
「そうでしょう。そんならなぜさっきからシバイなんて変なことを云うの。あれはシバヤと云うんですよ。」
叱られて、私は恐縮した。実際、明治二十四、五年の頃までは、花明柳暗の巷でシバイなどというと、お国はどちらと訊かれるくらいであった。それがいつか消滅して、今日では一般にシバイと正しく云うようになった。今日の芸妓に向ってシバヤなどと云ったら、あべこべにお国はどちらと訊かれるであろう。思えば、今昔の感に堪えない。
(「劇の名称」『綺堂随筆 江戸のことば』河出文庫2003:26-27*3)
これによれば、昭和初頭はすでに、東京でも「シバイ」が一般的になっていたようなのだ。江戸期には「シバヤ」とよく言われたというのは、国語辞典を引いてみれば直ぐにわかることで、例えば新村出編『広辞苑【第七版】』は「しば‐や【芝屋】」を立項し、「(シバヰの訛か)芝居。また、芝居小屋。浄、本朝廿四孝「京、大坂の―で甲斐の国の女子の鬼と、狂言にしたげな」」との語釈を施している。『日本国語大辞典【第二版】』も「しば-や【芝居・芝屋】」を採録しており、「「しばい(芝居)」をいう江戸の語。明治期にも広く用いられていた」と説く。これによれば、広辞苑の引く本朝廿四孝のシバヤの表記は「芝屋」であることが知られ、また「東海道中膝栗毛」四・上から「舞台さアへ、かけだいていやるにゃア、このしばやアならないぞ」、「浮世風呂」二・下からは「芝居(シバヤ)でする忠臣蔵をお見」という用例を拾っている。
戦後の文章にも、「シバヤ」の出て来るものはあるが、往時を回顧した文章などに限られるようである。例えば、木村荘八は次のように記している。
時の經つたことはわからなくなることの多いものです――それにしても、或る時祖母に連れられて、「船」に乘つて行つた「道」は、何處をどう行つたものかさつぱり見當がつきません。両國から出て、四ツ目の牡丹を見に行つたのかも知れませんが、その船で途中、夕立に逢ひました。船は篠つく雨の中にとまを立てて、或る橋の下に一時しぶきをよけました(後年小猿七之助の噺を聞いたり芝居を見たりすると、きまつてこの時のことを思ひ出します)。そして結局その日は、あとで、淺草へ行きました。――淺草へ行つてから先きのことだけを一つ、おぼえてゐるのです。
それは芝居で、天からもや\/した光つた雲のやうなものが下りて來て、その下で人の戰ふシバヤを見ました。
これが私の見た、私のおぼえてゐる、一番古い「芝居」です。
(「芝居見」『南縁隨筆』河出市民文庫1951:7-8*4)
荘八は、このように一箇所だけ意図的に「シバヤ」と表記しているのであり、これは芝居好きの「祖母」の口吻がそうであったか、もしくは幼時に周囲から聞くかしたのを、そのまま写し取ったものであったろう。

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