徳田秋声『仮装人物』のことなど

 徳田秋声『仮装人物』の梢葉子のせりふに、

別に悪い人でも乱暴な男でもなさそうだけれど、ちょっと気のおけないところがあるのよ。男前も立派だし、年も若いわ。奥さんもインテリで好い人なんだけれど、何うもあの人、私に対する態度が変なのよ。(『仮装人物』十九、講談社文芸文庫p.250、以下同)

というくだりがある。ここでは、「気 の/が おけない」が「信用できない」といったニュアンスで使われている。これが「新たな」用法であることは、しばしば言及されるのでよく知られるところだ。平成18(2006)年度の「国語に関する世論調査」では、「60歳以上を除いた全ての年代で、本来とは違う意味で使う人が多くなってい」ることが判った(文化庁国語課『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』幻冬舎2015:101)*1
 しかし、『仮装人物』の作中における「気 の/が おけない」が全てそのような用法なのでは決してなく、上記以外の地の文は、

庸三はこの頃仲間の人達で、こゝを気のおけない遊び場所にしている人も相当多いことを考えていたので、…(十一、p.144)

葉子の家がそれらの青年達に取って、気のおけない怡(たの)しいサルンとなることも考えられないことではなかった。(十五、p.210)

 葉子はあの時のことを想い出しもしない風だったが、いくらか気が置けるらしかった。庸三も気が弾まなかった。(二十、p.274)

大衆作家の同志が広間に陣取っていて、一晩中陽気に騒いでいることもあって、そう云う時には葉子も庸三もいくらか警戒するのだったが、不断は気のおけない場所であった。(二十七、pp.344-45)

等々、「気が置ける」も含めて「本来の」使われ方がなされている。とすると、これは、庸三=秋声の愛人だった葉子=山田順子(ゆきこ)の口吻をそのままなぞったものであったのかも知れない。
 若い頃の順子のことばづかいとして、もうひとつ特徴的なのが「フライ」である。
 川崎長太郎徳田秋声の周囲」(『抹香町・路傍』講談社文芸文庫1997所収)*2に、次のような順子の発言が見える。

「あなた、お友達になって下さいな。今、私一人で寂しいんです。一寸、世間から身を隠しているというふうなの。――お友達になって下さい。私、迚(とて)もフライよ」
 と、下唇しゃくりながら、順子さんの思わせ振りな口上です。中学も満足に行っていない私には、第一「フライ」とは如何なることを意味する言葉か、さっぱりのみ込めかねますし、…(pp.179-80)

「ね、私のこと、外へ行って、喋っちゃいや。約束して。秘密にしていてくれたら、私本当にフライになるわ。約束して頂戴、さァ!」(p.185)

 この「フライ」とは一体何か。わたしも皆目見当がつかない。まさか「フライング・パン」の略で、「(身持ちが)堅い」「(口が)堅い」ことをしゃれて言ったものでもあるまい。隠語・俗語辞典の類を幾つか見ても分らず、長岡規矩雄『新時代の尖端語辭典』(文武書院1930*3)の「戀愛用語」に「【フロイライン】Fraulein(獨) お孃さん。令孃。」(p.169)とあり、その下略語が訛ったものかと思いもしたが、確証が得られない。諸兄姉の指教を乞う次第である。
 さて『仮装人物』であるが、今年になって二度読んだ。春先に一度読んだあと、古書肆Iにて献呈署名入の山田順子『女弟子』(ゆき書房1954)を廉価で入手したこともあって(ついでに云うと、岩波文庫版の『仮装人物』も300均で拾って)触発され、秋に再読したのである。
 『仮装人物』は、秋声が矢継ぎ早に書いた「順子もの」の集大成といわれる。しっかりした筋らしい筋があるわけでもなく、出来事が時系列順に並んでいるわけでもなく、むろん読んで明るい気分にさせられる作品でもないが、秋声の文章のくせも含めて、なんとはなし味読したくなるような作品なのである。
 登場人物のモデルの同定は各所でなされているが、秋声、順子のほかに主な人物を挙げると、「若い劇作家であり、出版屋でもあった一色」(『仮装人物』一、p.13)は聚芳閣の足立欽一、「兎角多くの若い女性の憧れの的であった、画家の山路草葉」(同p.14)は竹久夢二とされる。モデル問題について小田光雄氏は、「足立欽一と山田順子*4(『古本屋散策』論創社2019:163-65)で、野口冨士男徳田秋声伝』などを参照しつつ纏めている。
 『仮装人物』のモデルは判然しないものが多いというが、『女弟子』はその点、かなりあけすけに書いている。秋声は実名だし、たとえイニシャルで表記しているとしても、「“脂粉の顔”の作者たる女流作家、U女史」(「秋声と四人の女作者」p.127)は明らかに宇野千代のことであるし*5、「断髪に洋装の怜悧な瞳をした、少女物の作家のY女史」(同p.133)も吉屋信子のことだと直ぐに判る。
 『仮装人物』は、順子のある作品について、「モデルがはっきり誰であるとも示すことも出来ないように、彼女一流の想念の花で扮飾されてあった」(三十、p.358)と書いているのだが、『女弟子』はそれとは違って、実名小説と云うかかほぼノンフィクション仕立てになっているのである。戦後という時代が、そういった「告発」を可能にさせたということは、「あとがき」を読めば判る。
 ちなみに、秋声と順子の交際がまだ順調だったころのことを、林芙美子が書き留めている。

(二月×日)
 思いあまって、夜、森川町の秋声氏のお宅に行ってみた。国へ帰るのだと嘘を言って金を借りるより仕方がない。自分の原稿なんか、頼む事はあんまりはずかしい気持ちがするし、レモンを輪切りにしたような電気ストーヴが赤く愉しく燃えていて、部屋の中の暖かさは、私の心と五百里位は離れている。犀という雑誌の同人だという、若い青年がはいって来た。名前を紹介されたけれども、秋声氏の声が小さかったので聞きとれなかった。金の話も結局駄目になって、後で這入って来た順子さんの華やかな笑い声に押されて、青年と私と秋声氏と順子さんと四人は戸外に散歩に出て行った。
「ね、先生! おしるこでも食べましょうよ。」
 順子さんが夜会巻き風な髪に手をかざして、秋声氏の細い肩に凭れて歩いている。私の心は鎖につながれた犬のような感じがしないでもなかったけれど、非常に腹がすいていたし、甘いものへの私の食慾はあさましく犬の感じにまでおちこんでしまっていたのだ。誰かに甘えて、私もおしる粉を一緒に食べる人をさがしたいものだ。四人は、燕楽軒の横の坂をおりて、梅園という待合のようなおしる粉屋へはいる。黒い卓子について、つまみのしその実を噛んでいると、ああ腹いっぱいに茶づけが食べてみたいと思った。しる粉屋を出ると、青年と別れて私たち三人は、小石川の紅梅亭という寄席に行った。賀々寿々の新内と、三好の酔っぱらいにちょっと涙ぐましくなっていい気持ちであった。少しばかりの金があれば、こんなにも楽しい思いが出来るのだ。まさか紳士と淑女に連れそって来た私が、お茶づけを腹いっぱい食いたい事にお伽噺のような空想を抱いていると、いったい誰が思っているだろう。順子さんは寄席も退屈したという。三人は細かな雨の降る肴町の裏通りを歩いていた。
「ね、先生! 私こんどの女性の小説の題をなんてつけましょう? 考えて見て頂戴な。流れるままには少しチンプだから……」
 順子さんがこんな事をいった、団子坂のエビスで紅茶を呑んでいると、順子さんは、寒いから、何か寄鍋でもつつきたいという。
「あなた、どこか美味しいところ知っていらっしゃる?」
 秋声氏は子供のように目をしばしばさせて、そうねとおっしゃったきりだった。やがて、私は、お二人に別れた。
林芙美子『放浪記』岩波文庫2014:第二部、pp.322-24*6

 「燕楽軒」など、『仮装人物』『女弟子』に散見する固有名詞も登場するが、順子の発言中の『流れるままに』は、正確には『流るるままに』であったと思しい。それを林が聞き違えたのか、あるいは誤植に因るものか。これは、順子が最初にものした本のタイトルだが、原題の『水は流れる』を、足立欽一が『流るるままに』と改題したということを、小田前掲によって知った(小田氏は野口の『徳田秋声伝』に引用された井伏鱒二の書簡を根拠にしている)。
 なお小田氏には、「山田順子『女弟子』と徳田秋声『仮装人物』」(2013.1.9)という文章もある*7。これは、ブログの記事の一部を纏めた『近代出版史探索』(論創社2019)*8にはまだ収められていないが、順子が『女弟子』を自費出版した意図についても考察しており、たいへん興味深い。

仮装人物 (講談社文芸文庫)

仮装人物 (講談社文芸文庫)

文化庁国語課の勘違いしやすい日本語

文化庁国語課の勘違いしやすい日本語

抹香町・路傍 (講談社文芸文庫)

抹香町・路傍 (講談社文芸文庫)

古本屋散策

古本屋散策

放浪記 (岩波文庫)

放浪記 (岩波文庫)

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 ちなみに小島信夫は、「順子の軌跡/徳田秋聲」(『私の作家評伝1―草平・秋聲・漱石・鴎外・武郎・藤村―』新潮選書1972)で次のように書いている。

 順子が淫蕩な女だとか、何とかいうふうに解釈することは出来ないのであって、川崎長太郎という秋聲の弟子であった作家はその頃、二十六ぐらいであったが(川崎長太郎徳田秋聲の周囲」群像、昭和三十五年五月号)、当時の思い出を小説ふうに書いている。順子が作家気取りで、袂の中へ手をひっこめて、たたむように胸の前へ合わせて、前かがみになって歩くことや、つやっぽい調子で誘いこまれるように話しかけられて、こちらの方も大人ぶって対応すると、
「今日は駄目よ」
 とか、
「私、これでも、その方はしっかりしているのよ」
 とかいうような調子のことをいわれ、一方秋聲には甘えた口調で話しかけるところを見せつけられたかと思うと、秋聲の眼をかすめて、色っぽい視線を送ってくるところが、くわしく書かれている。事実そのままではない、と但し書きがしてあるので、全部そのまま信じることが出来ないし、第一、四十三、四年も前のことである。(p.65-66)

 さらに小島は、「ほんとかうそか、川崎長太郎氏が(秋聲が順子を)探しまわっているところに出会ったと書いている」(p.66)とも述べている。
(2020.1. 10追記)

*1:その主な理由のひとつとして、「『気が許せない』という意味で使われていた『気が置ける』という言葉が、現在ではあまり使われなくなっていることが挙げられる」(同p.101)。この状況からさらに十年以上経っていることに注意。

*2:この作品には、『仮装人物』に描かれた場面も含まれていて、例えば、秋声が行方知れずの順子を捜して見つけ出すくだり(「徳田秋声の周囲」pp.215-21)は、『仮装人物』七のpp.77-79に対応している。

*3:手許にあるのは、昭和六(1931)年一月三日(発行)の七版。

*4:初出は「日本古書通信」(2006.10)。

*5:当該作は今夏、岩波文庫に入った。

*6:新潮文庫の新版では、pp.272-73。ついでにいうと、注釈は新潮文庫版の方が懇切である。

*7:http://odamitsuo.hatenablog.com/entry/20130109/1357657247

*8:巻末に、前著『古本屋探索』と併せての人名索引を附す。