前回の記事で紹介したジェームズ・ケイン/蕗沢忠枝訳『殺人保険』(新潮文庫1962)には、「ぽんつく頭」(p.179)*1など、いわゆる俗語の類がしばしば登場するので、そのような点でも興味深い。次のごとく言語遊戯めいた文章もある。
どいつもこいつも、セコハンは上々の部類で、三パン、四ハン、五ハン、中には九ハンともおぼしきボロボロ自動車も置いてある。(pp.163-64)
「セコハン」が「セカンドハンド」の略であることを知っていなければ、恐らく意味が通じにくいことだろう。
以下の「むくれる」は、方言ないしは「世代語」として残っているが、若い世代の間ではどうだろうか(表記は原文ママ)。
彼はムクレて怒鳴りだした。(p.77)
およそ午後五時頃で、キースはむくれていた。(p.112)
「むくれる」は、ここでは「腹を立てる」「怒る」といった義で、この意味で用いられる「むくれる」はわりと新しい。『日本国語大辞典【第二版】』は、
*がらくた博物館(1975)〈大庭みな子〉犬屋敷の女「サーカスにいた時にあたしが気に入る返事をしないっていうんでむくれていたファンの巡査がいてね」
という用例を挙げるが、『精選版 日本国語大辞典』は少し遡って、
*見るまえに跳べ(1958)〈大江健三郎〉「舞台にかまわず〈略〉称賛の熱い言葉をかわしつづけたので良重がむくれてしまった」
という用例を挙げている。
それで思い出したが、「ぶんむくにむくれる」という用例をかつて拾ったことがある(以下も表記は原文ママ)。
それで組長(おやじ)さんは余計ブンムクにむくれてるんですよ(結城昌治『夜の終る時』中公文庫1990←中央公論社1963;90)
もちろんツネ子はぶんむくにむくれて、別れるときも、四人の位牌だけは持たされて出た。(結城昌治『終着駅』中公文庫1987←中央公論社1984;156)
これに類する表現は、ふつう「〔接頭辞(または接頭辞的なもの)+V(いわゆる連用形)=N〕+ニ+V」という形をとるので、「ぶんむくれにむくれる」といった形になることが予想される。したがって、「ぶんむくにむくれる」は、結城昌治の「個人言語(Idiolect)」というべきものなのかもしれない。
ちなみに「ぶんむくれ」の「ぶん」は、「ぶち明ける」「ぶち当てる」「ぶっ殺す」(<「ぶち殺す」)「ぶっつぶす」(<「ぶちつぶす」)などの「ぶつ」に由来する「ぶち」が、鼻音要素(m, nなど)の前で「ぶん」となったものだろう。「ぶん殴る」「ぶん投げる」「ぶん回す」などの「ぶん」も同断である*2。
丸谷才一は、その「ぶつ」について、
「ぶつ」は近松の使ひ方*3から見ても東国語だつたと推定されます。秩父の執権、本田の二郎の台詞にあるのですから。これが西国侍なら「それ打て叩け」となるところでした。さすがに近松の藝は細かい。
それにかういふこともある。江戸初期、江戸で旗本奴とそれに対立する町奴とが奴詞(やっこことば)なるものを使つた。六方詞(ろっぽうことば)とも言ひますね。当然これは関東語を基本としてゐるわけですが、柳亭種彦の六方詞をあつかつた文章のなかに、「『事だ』を『こんだ』、『うちかくる』を『ぶつかける』」とある。西国の「打つ」が東国の「ぶつ」。近世に入ると後者が優勢になりました。これは素人の想像ですが、おそらく古代以来ずつと東国では使はれてゐて、しかし文献には出なかつたのぢやないか。(「どこから来た『ぶん殴る』の『ぶん』」『日本語相談 五』朝日新聞社1992;120)
と書いている。
それでは以下、その他の「〔接頭辞(または接頭辞的なもの)+V(いわゆる連用形=N)〕+ニ+V」の形をとるものの例を挙げてみよう。
ハッキリとしたことはいえないが、ウロ覚えに覚えている、記憶の底をさぐってみると、(横溝正史『八つ墓村』角川文庫1996改版;310)
開廷とともに、法廷は大荒れに荒れた。(大泉康雄『あさま山荘銃撃戦の深層(上)』講談社文庫2012←小学館2003;169)
で――身内の衆の耳に入らぬ内と/大急ぎに急いで/明日あたり/御江戸へ御差立に/成るちう事でしたョ!(伊藤大輔『忠次旅日記』日活大将軍撮影所1927の字幕)
変り果てた恩人の姿を見て、また大泣きに泣いた。(獅子文六『大番(上)』角川文庫1960;481)
対してシンボルとは何事か、戦力放棄とは何事か、閣議は大モメにモメた。(堤堯『昭和の三傑―憲法九条は「救国」のトリックだった』集英社文庫2013←2004;103)
「それに乗じた家老二人が権力の座にのし上がろうと競り合って大揺れに揺れておる」(田中徳三『眠狂四郎 女地獄』大映1968)
いまのうちに、小あたりにあたっておけば、後になってから何か、役にたつような知識が得られるかも知れない(高木彬光『人形はなぜ殺される』光文社文庫2006;132)
小肥りに肥った肩の稍(やや)怒ったのは、妙齢(としごろ)には御難だけれども、(泉鏡花『婦系図』新潮文庫2000改版;25)
かれは赭(あか)ら顔の小ぶとりに肥った男で、(岡本綺堂「三河万歳」『半七捕物帳(一) お文の魂』春陽文庫1999所収;235)
色白の小ぶとりにふとった顔は、観音様のように柔和であった。(『八つ墓村』;136)
胸でお辞儀をして、笑顔で小揺(ゆす)りにゆすりながら、(里見弴「縁談窶」『恋ごころ』講談社文芸文庫2009所収;130)
昨日ひいておいた糸をたよりに、私たちはひた走りに走った。(『八つ墓村』;440)
次の例は、後項が「前項のV+接辞」の形をとって受身になっているもの。
三割引とか、半額とかいうなら、まだしもだが、大ボリに、ボラれたのである。(『大番(上)』;471)
その間には戦争という大きな出来事が起り、その大波に「文学座」は大揺れにゆすぶられ、幾人かの人が来り、また去ってゆきました。(杉村春子『楽屋ゆかた』学風書院1954;36)
次の例は、前項のVに附くものが明らかに名詞(N)であるもの。これらはみな、「NノヨウニV」と表現することができる。
大川は前にも書いたように一面に泥濁りに濁っている。(芥川龍之介「本所両国」『芥川竜之介随筆集』岩波文庫2014所収;98)
子供が生れ、妻が育児に夢中になると、おばあちゃんも孫を猫可愛がりに可愛がった。(福永武彦『愛の試み』新潮文庫1975;21)
木田も佐保子もしばらくは棒立ちに立って、この光景に気をのまれてしまった。(松本清張「青春の彷徨」『共犯者』新潮文庫1980改版所収;122)
それらのうち、後項が接辞を伴って受身になっているもの。
美しく山盛りに盛られてきびしい匂いを漂わせていながら、(トーマス・マン/高橋義孝訳『魔の山(上)』新潮文庫1969;52)
上記からは外れる例をいくつか。
お網は肩をすぼめたまま、子供のように暫くすすり泣きに泣いていた。(吉川英治『鳴門秘帖(二)』吉川英治歴史時代文庫1989;34)
「ウム、それもよかろう。いずれ今宵のうちに、吉左右が知れるであろうから、心待ちに帰郷を待っておるぞ」(同上p.60)
よしんば貴方が、つきッきりにそばにくッついたって、見る目かぐ鼻の取締りまではつかないんだから、(「縁談窶」;103)
しかもこう降りどおしに降られてみると、芯まで水浸しになったようで、(山本周五郎「その木戸を通って」四、沢木耕太郎編『山本周五郎名品館1 おたふく』文春文庫2018所収;232)
私は男泣きに泣いた。(『八つ墓村』;374)
美也子はこの家風などおかまいなしに、座敷へ入ると少し横のほうへ横座りに座ると、(同上p.88)
さて、こうして理詰めに押しつめていったところで、これからただちに犯人がわかるわけのものではないが、(同上p.212)
もう十年以上も前のことになるが、『徒然草』第八十七段の「ひた斬りに斬り落しつ」という表現を導入として、これに類する表現の分類をこころみた論文を読んだのを記憶している。それを改めて参照したいのだが、筆者も、タイトルも、すっかり忘れてしまった。記憶を頼りに検索してみたが、巧く引っかからない。
- 作者:ジェームス・ケイン
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- 作者:結城 昌治
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