「BOOKMAN」第15号のこと

 高崎俊夫氏が、今年亡くなった坪内祐三氏との対談*1で、

不思議といえば、トパーズプレスも変な出版社でしたよね。瀬戸川猛資さんの個人出版で「ブックマン」という雑誌も出してた。(『本の雑誌坪内祐三本の雑誌社2020:64)

と語っていて、そういえば「BOOKMAN」は一冊だけ持っていたよな、と書架から探して取り出した。第15号(1986.6刊)、その特集タイトルは「『辞書』はすばらしい―切磋琢磨の熱中ガイド」である。当ブログで何度か言っているとおり、わたしは「辞書好き」なので、かなり以前、古書市に「BOOKMAN」がまとまって出ていたうちから一冊択んで買ったのだった。
 これが出た1986年には、『大漢和辞典』(いわゆる諸橋大漢和)の修訂版が完結しており*2、それに触発された特集だったのかもしれないし、また前年には鈴木喬雄『診断・国語辞典』(日本評論社)が出ていて、辞典の「個性」が批評の対象となる風潮がそろそろ醸成されつつある頃だったので、それを受けての特集であったかもしれない。
 さてその特集号、巻頭を飾るのが「日本六大辞書列伝」、この「六大」は「東京六大学」などに引っ掛けたものだろうけれど、「BOOKMAN」のこの特集に先立つこと十四年、漢和辞典批判本として、小原三次『本邦六大、中堅『漢和字典』をこきおろす』(モノグラム社)というのが出ている。そちらの書名も意識したのかどうか――はわからないが、とまれ「日本六大辞書列伝」が挙げているのは、『大言海』、『広辞林』、『広辞苑』、『日本国語大辞典』、諸橋大漢和、『大日本地名辞書』の六つである。
 その次のコーナーが、「どんな辞書をお使いですか」という著名人へのインタヴュー。冒頭が呉智英*3。呉氏は「『新明解』がおもしろい」なるタイトルのそのインタヴュー記事で、

 で、一番愛用しているのが『新明解国語辞典』(三省堂)。もし、旅行で一冊しか持ち歩けないという時だったら、これを持っていくね。ここにあるのは第二版なんだけど、今、第三版が出ている。(p.11)

と語ったうえで、新明解の特色を述べてゆく。そこに、

 なんといっても(「読んでると笑っちゃう」語釈の)圧巻は〈おやがめ〉。「―の背中に子ガメを乗せて」「―こけたら子ガメ・孫ガメ・ひい孫ガメがこけた」と載っていて、「他社の辞書生産の際、そのまま採られる先行辞書にもたとえられる」なんて書いてある。辞書編集のかっぱらい合いに対して激しい怒りを表明しているわけよ。(p.12)

というくだりがある。「おやがめ」について「BOOKMAN」は、p.26の囲み記事「おやがめごっこはやめて欲しい」(筆者不明)でも、新明解の編集主幹・山田忠雄の著作『近代国語辞書の歩み』中の一文とともに当該の語釈を引いている。「おやがめ」項(第三版以降は削除されてしまった)の話はわりとよく知られた話で、これは国語辞典批評の嚆矢、「国語の辞書をテストする」(「暮しの手帖(10)」1971.2.1)の次の記述を下敷きにしている。

 推しはかるに、ある辞書を作るとき、なにか、べつの辞書を参考にするのではないか。もちろん参考にするのはよろしいが、ついでに文章まで、借りてくるのではないか。
 だから、もとの辞書が、まちがっていたら、そのまま、新しい辞書も、まちがってしまうのではないか。
 「親ガメこけたら子ガメも孫ガメこける」(原文ママ。2箇所の「こけ」に傍点)例をひとつ、お目にかけよう。(p.111)

 「BOOKMAN」のこの次の特集コーナーには、「ジャンル別大ガイド」というのがあって(正確にはこの前に内藤理恵子*4「辞書で小説を書いた作家の話」という記事がある)、「国語辞典」「古語辞典」「特殊国語辞典」「漢和辞典」「専門辞典」の五つに分けて様々の辞書を紹介・批評している。「専門辞典」のなかには鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』(角川書店)も紹介されている。その評は、同書が労作であることは認めつつも、

 ふつう、辞典というと引くものだが、読み物として楽しめるものも多い。この辞典もタイトルから考えると、そうした使い方ができそうだが、なんせズラズラと事柄を並べているだけなので退屈。なかに面白そうなのがあっても、すぐ次の俗信が出てくるので、興味がふくらんでいかない。
 また、動植物名は一応五十音順に並んでいるが、詳細な索引がないこと、関連語の相互参照ができないこと、他に例えば地域別の俗信分布を載せるなどの工夫が全くない、といった点で検索も不便だ。(p.34)

とかなり手厳しい。恰もよし、鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』はこの4月・6月に、『日本俗信辞典 動物編』『日本俗信辞典 植物編』(いずれも角川ソフィア文庫)として二分冊で文庫化された(文庫版解説の担当はそれぞれ常光徹氏、篠原徹氏)。
 そこで、文庫版の「動物編」でたとえば「郭公」の項をみてみるとしよう。
 二段組で約3ページにも亙ってカッコウにまつわる各地の俗信が紹介されるなかに、

カッコウの口にマメ」(青森県下北郡)、「マメマキカッコウ」(山形)とは、共にカッコウが鳴き始めたらマメを蒔く適期の意。(p.203)

とあるのだが、これらはあくまでその土地に伝わる俗信を「共通語」で紹介しているのであって、これらが実際に各土地でどのような形で言い伝えられているのかまではわからない。
 これをある程度補完してくれるのが、鈴木棠三・広田栄太郎編『故事ことわざ辞典』(東京堂出版1956*5)、鈴木棠三編『続故事ことわざ辞典』(東京堂出版1958*6)である。前者の正篇に、

郭公啼けば豆を蒔け 【意味】ほととぎす(ママ。もっとも両者はある時期は混同されていた)が鳴き始めたら、豆をまく時季であると知れ。
 【参考】郭公鳥の口さ豆植えろ(青森) ○郭公の口さ蒔き込むよう(種籾のまき方をいう)(岩手)

とっとの口さ種を蒔けかんこの口さ豆を蒔け 【意味】つつどりが鳴いたらもみをまけ、かっこうが鳴いたら豆をまけ。東北地方のことわざ。◎とっと=筒鳥。新潟県で、ふじ豆をとっと豆と呼ぶのも、このことわざから出たものであろう。◎かんこ=郭公。閑古鳥。東北以外でも、「まめまき郭公」という例がある。

とあり*7、ある程度までは実際の言習わしを「復原」できる。ちなみに「とっと」「かんこ」の語形については、『日本俗信辞典』の「郭公」の項は言及していない。
 そういった不備はあるのだけれど……とまあ、これを「不備」と言い切ってよいものかどうか。「俗信」はもとより整然とした姿で存在するものではなし、どうしたって雑然たる寄せ集めになってしまうのは已むを得ないことだと思う。「BOOKMAN」が指摘したくなる気持もわからぬでもないが、詳細な索引や地域別の俗信分布などを作成するのは(特にパソコン、いなワープロでさえも普及していなかった当時、すなわち1982年時点にあって)個人にはどだい無理な話だったろう。
 話を戻して「BOOKMAN」だが、ついでにいっておくと、次号予告には「第16号は、いよいよSF特集。BMならではのユニークな特集にするつもりです。発売は九月中旬予定です」(p.71)とある。この「SF特集」は、具体的には「SF珍本ベスト10」という特集名で、SF好きの間ではかなり話題になったらしい。
 たとえば古書山たかし氏*8は、『怪書探訪』(東洋経済新報社2016)で次のように書いている。

 純文学の世界と違い、エンターテインメント小説の世界では、オールタイムベスト10のような企画がしばしば行われ、大いに話題になる。SFも例外ではないが、一九八六年に、極めてユニークなSFベスト10が企画されたことがある。
 それは『BOOKMAN』という雑誌の第一六号で特集された「SF珍本ベストテン」だ。これは入手の困難さと内容の珍妙さをメインに、歴史的意義も加味して選ばれたもの。そこに選ばれた数々の珍書、稀書を目の当たりにした当時の若き本好き達は、自分達のちっぽけな常識では考えられないような珍無類なSFの大海原に目をむき、更なる探書の旅路に出発する決意を固めたものであった。その特集で、内容の荒唐無稽さから戦後SF珍本中、事実上ダントツに近い(ゲテモノとしての)高(?)評価を得ていたのが、栗田信の『醱酵人間』であった。(略)
 私も、同世代書痴の例に漏れず、『BOOKMAN』の特集で『醱酵人間』を知り、以来古書店で、古書即売会で、古書目録で、インターネットで、あらゆる機会に探し求め続けたが、さすがに奇書中の奇書として満天下に知れ渡ってしまったこの本を入手することはおろか、目録で見かけることさえついぞなかった。(pp.30-36)

 その後古書山氏は、自分だけのオリジナルの『醱酵人間』を作り上げ(書痴魂炸裂!)、さらには初版帯附を入手することになるのだが、詳しくは同書を参照されたい。
 またこの間(2014年)に、『醱酵人間』は戎光祥出版の「ミステリ珍本全集」という叢書で復刊されている(古書山氏もむろん言及している)。わたしは神保町の店頭ゾッキでこれを購ったものだが、ゾッキ本というと、この記事の冒頭にちらと出て来た坪内祐三氏もゾッキ本の愛好者だったと思われ、その文章や対談にしばしば出て来る(高見順の日記をゾッキ本で全部そろえた、と書いていたのは、確か『雑読系』だっけか)。
 なお「BOOKMAN」は、30号で終刊となったようだ。15、16号は、ちょうどその「折り返し地点」に位置していたことになる。

本の雑誌の坪内祐三

本の雑誌の坪内祐三

  • 作者:坪内祐三
  • 発売日: 2020/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
怪書探訪

怪書探訪

*1:「消えた出版社総まくり 函入り本を出すと出版社は消える?」(初出は「本の雑誌」2018年8月号)

*2:当該誌の表紙裏には修訂版の広告が出ている。

*3:呉氏は1982年に『読書家の新技術』(情報センター出版局)という本を出しており、そこで展開された辞書論をおもしろく読んだ記憶が有る(わたしが持っているのは後の朝日文庫版だが)。

*4:英文学者の内藤氏は、「BOOKMAN」で定期的に(連載?)エセーも担当していたらしく、当該号で「ブロードサイドからチャップブックへ―イギリス庶民文化の一枝」(pp.50-53)という一文もものしている。

*5:手許のは1974年の「六二版」。

*6:手許のは1976年の「三六版」。

*7:しかし、この辞書もやはり、それぞれの項目を相互参照できるようには作られていない。「とっと~」の項があることは、読んでいる途中で偶々気づいたのである。

*8:その正体は上場企業の「役員」だと奥付にあるが、新保博久『シンポ教授の生活とミステリー』(光文社文庫2020)によれば、「本名では上場企業の社長になっている」(!)(p.124)との由。