谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』、木村恵吾『瘋癲老人日記』

 谷崎潤一郎『瘋癲(ふうてん)老人日記』*1は、20年ほどまえ小林信彦氏の評に導かれるようにして読んだのがたしか最初であったが、最近、宇能鴻一郎『姫君を喰う話―宇能鴻一郎傑作短編集』(新潮文庫)の「解説」(篠田節子)に、〈「雲のかなたにそびえる高峰」と宇能鴻一郎が讃える文豪谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」で、自分が執心する嫁の足形を墓石に刻みつけ、死後も踏まれ続けることを切望する老人が登場するのだが、本書では銅板に刻みつけられたキリストを無垢な若い花魁の生身の足が踏みつける〉(p.372)云々とあるのを読んで触発され、じっくり再読(正確には三度め)した。
 手許に『瘋癲老人日記』のテクストは二種あって、ひとつは『鍵・瘋癲老人日記』(新潮文庫2001改版)、いまひとつは函入再版本(1962年5月刊)の『瘋癲老人日記』(中央公論社)である。後者は『鍵』がそうであったように装釘を棟方志功が担い、志功の板画も収めてある*2。今回再読したのは携帯に便利な新潮文庫版の方だったが、少なくとも2箇所、本文で片仮名表記とすべきところを平仮名にしている誤記に気づいた(p.255「血圧が二〇〇ヲ越スクライニ」、p.348「男性的に結跏趺坐シテイル」)。と、これは餘談。
 それから偶然にも、木村恵吾監督の『瘋癲老人日記』(1962大映)を、こちらは初めて観る機会に恵まれたのだった*3。観た感想はというと、原作の卯木督助の人物造形はかなり変えてあったが、山村聰の「怪演」は実にすばらしく、若尾文子の颯子もなかなかよかった。さるところでこの映画が「コメディ」に分類されていたのも宜なるかなと思った。
 督助の人物造形を変えたというのは、原作で「芸術批評の一見識を持っている」「演劇にも一家言を持っている」(山本健吉)人物として描いていたのを、映画ではすっかり削ぎ落したということなのだが、原作における督助による批評の具体的な内容は次のごとくである。

 七十七歳の督助は、たとえば、永井荷風の書と漢詩はさして巧みではなけれども、彼の小説は自分の愛読書だ、というような芸術批評の一見識を持っている。あるいはまた、勘弥の助六は感心しないが、訥升(とっしょう)の揚巻は充分感心したとか、団子(今の猿之助*4)の治兵衛は緊張し過ぎてこちこちであり、訥升の小春は綺麗だが揚巻ほどではないとか、演劇にも一家言を持っている。相当以上に洗練された教養と趣味との持主であることが、これらによってほのめかされるのであって、その精神生活の面が全然切り捨てられている『鍵』の主人公とは、その点でまず同じでない。(山本健吉「解説」、p.444)

 それに督助の部屋には、「青磁ノ水盤ニ縞ススキト三白草ト泡盛草ガ活ケテア」ったり「長尾雨山ノ書」が掲げてあったりするし(p.198)、日本画家の菅楯彦については「ヨク漢詩ヤ和歌ヲ書キ添エル癖ガアル」(p.331)などと評したりもする。このような内面は、映画では全くといってよいほど描かれていない。したがって映画版の督助は、はっきり言って、単なる助平爺のように見えてしまう。しかしそのことが、督助の執着心のみクロース・アップさせることにつながり、作品に妙ななまなましさを与えているのも事実である。
 ところで、山本のいう「勘弥の助六」「訥升の揚巻」は原作の冒頭に出て来る話題なので、とりわけ印象的である。当該部を引く。

十六日。………夜新宿ノ第一劇場夜ノ部ヲ見ニ行ク。出シ物ハ「恩讐の彼方へ」「彦市ばなし」「助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)」デアルガ他ノモノハ見ズ、助六ダケガ目的デアル。勘弥ノ助六デハ物足リナイガ、訥升ガ揚巻ヲスルト云ウノデ、ソレガドンナニ美シイカト思イ、助六ヨリモ揚巻ノ方ニ惹カレタノデアル。(略)トニカク予ハ助六ノ芝居ガ好キナノデ、助六ガ出ルト聞クト、勘弥ノデモ見ニ行キタクナル。況ンヤ御贔屓ノ訥升ガ見ラレルニ於テヲヤ。
勘弥ノ助六ハ初役デアロウガ、ヤハリドウモ感心出来ナイ。勘弥ニ限ラズ、近頃ノ助六ハ皆脚ニタイツヲ穿ク。時々タイツニ皺ガ寄ッタリシテイル。コレハ甚ダ感興ヲ殺グ。アレハ是非素脚ニ白粉ヲ塗ッテ貰イタイ。
訥升ノ揚巻ハ十分満足シタ。コレダケデモ来タ甲斐ガアルト思ッタ。福助時代ノ昔ノ歌右衛門ハイザ知ラズ、近頃コンナ美シイ揚巻ヲ見タコトハナイ*5。(pp.176-77)

 「助六曲輪菊」は、市川家十八番(七代目団十郎が指定)の一、「助六所縁(由縁)江戸桜(すけろくゆかりのえどざぐら)」の外題でむしろ知られるが、「助六曲輪菊」は六代目菊五郎助六の花道登場時の河東節を清元節に代えて上場したものという。助六(実は曾我五郎)と恋仲の三浦屋揚巻は女形の大役とされ、

 揚巻は、美貌・伝法・貫目と三拍子揃った女形でなければ完璧でなく、そういった俳優は五代目岩井半四郎以来皆無とされる。助六以上の難役である。いわば五丁町の運命を支配する女王だからである。(金沢康隆『歌舞伎名作事典』青蛙房1959:164)

などともいわれる。訥升=揚巻の話も映画には出てこないものの、勘弥=助六についての話は劇中に出て来る。もっとも、それもやはり督助の言ではなくて、その妻を演じる東山千栄子と主治医に扮する永井智雄との会話のなかに、やや唐突に次の様なかたちで出て来る。

東山千栄子「勘弥の助六観ましたけど、大したことありませんでしたね。勘弥に限らず、みんな近頃の助六は足にタイツを穿いていますが、あれはやはり……素足に白粉を塗ってもらいたいものですねえ」
永井智雄「タイツに皺が寄りましたんではね」

 「芸術批評」と言いうるものは、劇中では上記のやり取りに限られる。なお「助六のタイツ」に関しては、谷崎自身、かなりの不快感を懐いていた様子で、別のところでも次のように述べている。

ところで、近頃の助六は不精をして素脚に白粉を塗らず、タイツを穿いてゐる場合が多い。私はあれが嫌ひなのだが、今度の(十一代目団十郎襲名披露の舞台―引用者)助六はさすがにそんな不精をせず、ほんたうに素脚を白塗りにしてゐると云ふ。さう聞いて私は安心したが、(略)白塗りにするのを面倒がつてタイツを穿いたりするやうなことから、次第に歌舞伎の醍醐味が失はれて行くのだと思ふ。(谷崎潤一郎助六の下駄」*6『雪後庵夜話』中央公論社1967所収:124-25)

 そのほか映画では、原作の細かな個々のエピソード――たとえば、颯子が鮎を食い散らかす場面*7や、督助が自分の喉が鳴る音をコオロギの鳴声だと勘違いする挿話など――をそのままなぞっている部分もあるが、そもそも映画は第三者の視点(超越的視点)から描かれているので、印象はまったく異なる。原作の語り手たる督助が登場するのは映画では開始後約13分のことだし、颯子=若尾文子の方も開始10分後くらいに至ってようやく姿を現す。日記形式のものを、そのまま映像化するのは困難だろうし、かえって画面が単調になったり説明が過剰になる印象を与えたりしかねないので、已むを得ないこととは思うが、たとえば新藤兼人『濹東綺譚』(1992)が、『断腸亭日乗』の記述を荷風津川雅彦による朗読(ナレーション)をかぶせる形で引用していたような、そういった手法もあったかも知れないとは思う。望蜀の嘆だろうが。
 ちなみに最近、『谷崎マンガ―変態アンソロジー』が文庫化されたが(中公文庫)、しりあがり寿氏が『瘋癲老人日記』とヘミングウェイ老人と海』とを組み合わせた漫画を描いており(pp.163-96)、その着想に驚かされるとともに、おもしろく読んだ。なおこの文庫には、榎本俊二氏による「青塚氏の話」も入っているが、竹本健治選『変格ミステリ傑作選【戦前篇】』(行舟文庫)で竹本氏が〈…とびきりの怪作「青塚氏の話」から、乱歩に受け継がれたテーマや発想をいくらでも見つけることができるだろう〉(p.76)などと書いていることに触発され、今度は中公文庫で「青塚氏の話」を久しぶりで(10年ぶりくらい?)読み返そうと思っているところだ。

*1:初出は「中央公論」1961.11~1962.5。

*2:ちなみに現行の中公文庫版『瘋癲老人日記』にも板画が掲載されている。

*3:同じ木村恵吾による『痴人の愛』(京マチ子宇野重吉主演)も観たことがあるが、増村保造版(安田道代〔大楠道代〕、小沢昭一主演)の方がなぜか強烈な印象を残している。中学3年という多感な時期に観たことにもよるのだろうか。なお、木村のセリフリメイク版『痴人の愛』(叶順子、船越英二主演)は未見。高林陽一『谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ』(水原ゆう紀主演)は録画してあるが、まだ観ていない。

*4:「今の」とあるが、これは解説が書かれた1968年時点でのこと。現・二代目市川猿翁

*5:督助は翌(六月)十七日、訥升の小春(「河庄」)を観にゆくが、「訥升ハ今日モ綺麗デアッタガ、揚巻ノ方ガヨカッタ気ガスル」(p.182)との感想を漏らしている。

*6:初出は「朝日新聞」PR版1962.5.26付。

*7:原作では銀座の「浜作」での出来事になっているが、映画では熱海に変更されている。