紅野謙介編『黒島伝治作品集』が岩波文庫に入ったので、早速求めた。プロレタリア系作家の作品集というと、5月には同じ岩波文庫から、道籏泰三編『葉山嘉樹短篇集』も出ている。
黒島伝治の作品に初めて触れたきっかけは単純で、父の蔵書に集英社版日本文学全集があり、そのうちの個人名の選集ではない名作選集に、「二銭銅貨」という、そのころ(四半世紀ほど前)私が入れ込んでいた江戸川乱歩の作品と同タイトルの短篇が収められていて興味を懐いたからで、それがまさに、偶々伝治の作品だったというわけなのである。もっとも、大正十五年一月の発表時(初出:「文藝戦線」)は、「二銭銅貨」ではなく「銅貨二銭」という題名であった。
とまれ伝治の「二銭銅貨」との出会いはなかなかに衝撃的で、その内容とともに作家名が強く印象されたので、某古書肆の店頭百均で黒島傳治『渦巻ける烏の群 他三篇』(岩波文庫1953)を拾ったり*1、別の店の三百均では黒島伝治遺稿/壺井繁治編『軍隊日記―星の下を』(理論社1955)を見つけて購ったりした。岩波文庫で読んだ「渦巻ける烏の群」や「豚群」にもまた感銘し、『軍隊日記』では、終始激越な調子のうちに亡き思人への恋情や切実な読書慾が吐露されているのを微笑ましく思うなどした。
するうち、山本善行選『瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集』(サウダージ・ブックス2013)が出た。上林暁や埴原一亟の作品集を編んだ山本氏の「読み巧者」ぶりは際立っていて、「私は、黒島伝治にまとわり付く、農民文学、プロレタリア文学、反戦文学などのイメージをまずは取り除き、ま新しい目で全集を再読することから作品選びを始めた」「この作品集で、黒島伝治作品の底に流れている、さわやかな瀬戸内の風を感じ取っていただけたら、選者としてうれしく思う」(p.244)と選者解説にもあるとおり、伝治の知られざる一面に光を当てた作品集となっている。「砂糖泥棒」「田園挽歌」「本をたずねて」はこの本で初めて読み、特に気に入った。nakaban氏の美しい装画も、伝治作品のイメージを一新するのに与って力があった。
その4年後には、黒島伝治『橇/豚群』(講談社文芸文庫2017)が出た。表題作のほか8篇、計10篇を収めている。この間にも、『日本文学100年の名作 第2巻 幸福の持参者』(新潮文庫)で「渦巻ける烏の群」を再読したり、『教科書で読む名作 セメント樽の中の手紙ほか―プロレタリア文学』(ちくま文庫)で「二銭銅貨」を三読したりしたが、大西巨人編『日本掌編小説秀作選(下) 花・暦篇』(光文社文庫1987)で読んだ黒島伝治「その手」も、一読忘れがたいものであった。タイトルの「その手」の意味するところは、「その手は桑名の…」の「その手」なのだが、物語の末尾での爆発、すなわち大西のいう「『親爺』の自然発生的な反抗の噴出」(p.284)が小気味よかった。
文芸文庫の『橇/豚群』には、山本氏が最後まで選集に入れるかどうか迷ったという「彼等の一生」も収められていたので、店頭で見掛けるなり直ぐに買い、これも舐めるようにして読んだ。同文庫の解説を担当した勝又浩氏も、「今度、黒島作品を集中して読んで改めて、これらは歴史的なプロレタリア文学という枠に捉われず、もっと広い時代の文学の上に置いて読まれるべきだ」「農民文学、プロレタリア文学という枠を外してみれば、作品のふくんださまざまに人間的、歴史的時代的な影も浮かび上がってくる」(p.234、p.236)などと述べ、伝治の作品群の普遍性をやはり強調している。
そもそもわたし自身に、「黒島伝治=プロレタリア文学作家」という予備知識があったなら、恐らく敬して遠ざけていたことだろう。それに伝治の文庫の内容紹介を読んでみると、概してつまらなそうなのだ。手に取る気さえしなかったに相違ない。しかし実際は、どの作品も読む悦びを充足するものだと思っている。文学全集のなかの「二銭銅貨」がいりくちだったことは幸いであった*2。
ちなみに、『橇/豚群』の帯文は荒俣宏氏が書いており、「不条理を超える『無常』を夢映画のように語れた才能!」などとある。その荒俣氏には、『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書2000)という著作があって、伝治の「二銭銅貨」も取り上げている。荒俣氏はその内容紹介をしつつ、同作品については、「もはや慄然とするほかない。これは単なる労働者階級の悲嘆を超えている。人間の運命ないし宿世を語った哲学小説と呼ぶべきかもしれない。いや、「山椒太夫」のような中世の説経節の偉大な末裔と称してもよい」「階級闘争をはるかに超えて縁起本覚論の世界にまで達した作品」(pp.58-59)などと評している(さらに面白いのは、これを乱歩の「二銭銅貨」と対比させながら作品の位置づけを行っているということだ)。
荒俣氏はこの本で、たとえばプロ文の代表作とも見なされる小林多喜二の『蟹工船』に「ホラー小説」「スプラッターホラー」といった側面があることを見出しているのだが、プロ文に多かれ少なかれそのような傾向があることを伝治も自覚していたのか、半ば自虐的に、次のごとく述べている。
一体、プロレタリア作家は、誰でも人を殺したり、手や足をもぎ取ることが好きである。彼も、その一人である。まるで、人を殺さなければ小説が出来ないもののように、百姓も殺せば、子供も殺す。パルチザンでも、朝鮮人でも、日本人でも、誰でも、かれでも殺してよろこんで居る。「橇」とか「パルチザン・ウォルコフ」などを見れば、これはすぐうなずける。彼はまた、「二銭銅貨」では子供を殺している。彼の殺し方は、なかなかむごたらしい。「穴」の中の、朝鮮の老人などがその一つの例である。――あんなにまでして殺さなくてもよかりそうなものだ。(「自画像」『黒島伝治作品集』所収:298)
文中の「彼」は、いうまでもなく伝治自身のことであるが、「あんなにまでして殺さなくてもよかりそうなものだ」と云いながら、一種独特のユーモアさえ漂わせている。たとえば「豚群」もそうだが、たくまざるものか、はたまた敢えてそうしたものか判然しないが、役人たちが豚を逐いまわす場面など、何ともいえない可笑しみがある。「橇」という、およそユーモアの欠片さえなさそうな状況を描いた小説であっても、吹き出しそうになる描写が少なからずある。
伝治が「プロレタリア文学」という時代の枠組みにとらわれず自在に作品を書いていたら、今よりもずっと高く評価される作家となっていたに違いない。