『ボヴァリー夫人』のことーーフローベール生誕200年

 この秋から冬にかけて(主として車中で)味読していたのが、ギュスターヴ・フローベール/山田𣝣訳『ボヴァリー夫人』(河出文庫2009)である。十二月にフローベールが生誕二百年を迎えるというので、一種の義務感のようなものから読み直していたのだったが、初読時よりも杳かに充ち足りた読書体験となった。
 フローベールといえば、異形の者たちが跋扈する内容に惹かれて読んだ渡辺一夫訳『聖アントワヌの誘惑』(岩波文庫1957)や、未完のエンサイクロペディア的作品・鈴木健郎訳『ブヴァールとペキュシェ(上中下)』(岩波文庫1954)などもそれぞれに印象的だったし、当ブログでは、「愛書狂」や「ブヴァール~」について少し触れたことがある(「フローベールの『愛書狂』」「日本語の用例拾い」)けれども、生誕二百年の今年は、やはり『ボヴァリー夫人』で行こうと、独り決めに決めていたのだった。
 『ボヴァリー夫人』を再読するにあたって、『ボヴァリー夫人』が連載された「パリ評論」の編集主幹だったマクシム・デュ・カンによる『文学的回想』(冨山房百科文庫1980、戸田吉信訳)の第一章「ギュスターヴ・フロベール」を読みかえすなどしていた。そこに、こんな印象的な一節がある。

 フロベールは、写実主義の作家であり、また自然主義の作家であるといわれている。人々は彼を、様々な情熱にメスを入れ、人間の心を解剖する文学の外科医のような存在とみなしてきた。ところが、この世評を最初にせせら笑ったのがほかならぬ彼自身だった。彼は実際には抒情詩人だったのである。彼はこのころすでに、最も調べゆたかな語こそ最も的確な一語であるとする、あの独特の理論に達していた。文章の諧調を得るためなら、彼はすべてを犠牲にすることをもいとわなかった。ときには文法までも平気で犠牲にした。彼はしばしばこう繰り返したものだった。「何を語るかは問題ではない。いかに語るかがすべてなのだ。何かを証明しようとする芸術作品は、それだけではゼロだと言ってもいい。何の意味もない美しい詩句は、何らかの意味をもつこれと同じくらい美しい詩句よりすぐれていると言うべきだ。形式(フォルム)のほかに救いはない。一冊の書物の主題が何であれ、もしそれが美しい言語を語る機会となるなら、それはよい作品なのさ。」初めてペンを執ったその日から、死が、手中のこのペンを砕いたときまで、彼は芸術のための芸術の職人だったのである。(pp.13-14)

 この証言は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの以下のような記述に通ずるものであろう。

音調のよさと正確さはあらかじめ調和を作り上げていると彼(フローベール―引用者)は信じており、「正しい語と音楽的な語の間に必然的な関係」があることに驚いている。他の作家が言語に関してこのような迷信じみた考えを抱けば、統語と韻律の面で妙な癖のある言い回しを用いるようになるものだが、フロベールはそうはならなかった。生来の高潔さのおかげで、その教義がもたらす危険を回避することができたのだ。彼は粘りづよく正しい語(モ・ジュスト)を誠実に追求した。正しい語は決まり文句を排除するものではないが、やがて象徴派のサロンで使われるようになる奇異な語(モ・ラール)へと頽落してゆく。(「フロベールと模範的な運命」『ボルヘス・エッセイ集』平凡社ライブラリー2013所収pp.60-61、木村榮一編訳)

 いまわたしの手許にある邦訳の『ボヴァリー夫人』は、山田訳のほか、生島遼一訳(新潮文庫1965→1987第37刷)、白井浩司訳(旺文社文庫特製版1968)、芳川泰久訳(新潮文庫2015)の計4種である。山田訳と芳川訳とは出たばかりのころに新本で購い、それ以外の2冊は古本屋の百均で買っている。初読時に読み通したのは山田訳で、今回もまた山田訳であった。山田訳はすでに読んでいたので、別の訳本でもよかったのだが、十年前の初読はやや駆け足で読んでいたこと、『感情教育』もまた山田訳で読んだことなどを考え併せて、馴染みのある山田訳で、ということにしたのであった。
 さて、十年前に「積読気味」だった(読み止しのままだった)山田訳『ボヴァリー夫人』を読み通すことになったきっかけは何か、というと、これははっきり覚えていて、前田愛『都市空間のなかの文学』(ちくま学芸文庫1992)の序「空間のテクスト テクストの空間」を読んだことである。冒頭で前田は、伊吹武彦訳(岩波文庫)『ボヴァリー夫人』の、

 或る日彼は三時頃に訪ねて来た。みんな野良へ出かけていた。彼は炊事場へ入って行ったが、はじめはエンマのいるのが眼につかなかった。窓庇(まどひさし)が閉めてあったのである。板のすき間を透して、陽の光が細長い線(すじ)をいくつも石畳の上に引いていた。その線は家具の角に砕け、天井に顫えていた。蠅が食卓の上で、飲み捨てたコップを伝ってのぼり、底に残った林檎酒の中にはまりこんでブンブンいっていた。煙突から射しこむ陽の光が煖炉の蓋の煤を天鵞絨のように見せ、冷い灰をほの蒼白く照していた。窓と煖炉の間でエンマが裁縫をしていた。頸巻をしていないので、露(あらわ)な肩の上に細かい汗の雫が見えた。

という箇所を引き、次のように述べている。

 暗い炊事場のなかに入ったシャルル(これが上引文中の「彼」――引用者)は、明るい外光に眼を馴らしていたために、はじめはエンマの姿に気がつかない。彼が見なかったエンマの存在を読者があらかじめ教えられるのは、語り手の声によってである。ところが、その次のセンテンスからはじまる精密な描写は、知覚をあらわす言葉は省略されているものの、まぎれもなくシャルルの視線にとらえられた室内風景であって、閉じた窓庇、板のすきまからさしこむ陽の光などの点景が時間の順序に従って描きだされて行く。円を描いて室内を一巡したシャルルの視線が最後に吸いつけられるのは、エンマのあらわな肩の上にちりばめられた汗の雫である。読者は、エンマの裸の肉と出会ったシャルルのまなざしを共有することで、そのなかにこめられた彼の欲望と期待を了解するのだ。(p.13)

 また前田によれば、シャルルの眼に飛びこんでくるそれら個々の像(イマージュ)は「ばらばらに切りはなされ、孤立しているわけではな」く、最終的にひとつに結合される(前田はそのあり方を「視線の統辞法」(p.17)と称している)。その結びつき、連続性のゆえにこそ、読者の想像力が、屋内の暗い炊事場と接続する屋外の明るい田園風景という「見えない空間」「描かれなかった空間」へとさらに拡がっていくことを可能にさせるのだと説く。そしてまた次のようにいう。

文学テクストを構成している言語記号は、数学の記号のように、純粋な意味と読者とを媒介するものではない。それがあらわしているのは、読者と非現実の世界との界面である。界面としての言語記号が消失し、表象としての空間をつつみこむかたちで現出する非現実の世界のひろがりこそ、読書行為によって現働化されたテクスト空間のひろがりそのものなのである。(p.19)

 後年に筒井康隆氏は、前田が引いた箇所とまったく同じところを、こちらは山田訳で引いたうえで、

 蠅のくだりはつい笑ってしまう。大藪春彦がその作品の中で、処女が野外で強姦される場面に「血だまりの中で蟻が溺れていた」と書き、その描写を気に入ったらしい彼が、他の作品で何度も使っていたことを思い出したからだ。(筒井康隆「細部」『創作の極意と掟』講談社文庫2017←講談社2014:182)

などと書いている。この「細部」という文章は、コンパクトな「『ボヴァリー夫人』論」にもなっていて、「細部の描写」や「記述の省略」、「妨害」「遅延」などがどのような効果を齎すかということについて、実作者ならではの着眼点から説き及んでいる。ちなみに、フローベールの細部の描写などが「時には全体としての効果を損っていることもある」と評したのが、同時代のサント・ブーヴであった(「フローベールの『ボヴァリー夫人』」、土居寛之訳『月曜閑談』冨山房百科文庫1978:245*1)。
 前田や筒井氏が引いた部分と同じ箇所について、翻訳者としての立場から興味深い解釈を呈示しているのが、芳川泰久『「ボヴァリー夫人」をごく私的に読む―自由間接話法とテクスト契約』(せりか書房2015)である。芳川氏はこの本で、新潮文庫の新訳『ボヴァリー夫人』を手掛けるにあたってどのような工夫を凝らしたかということを、「過激なテクスト論者」(p.6)としての立場から縦横に語っており、こちらは一種の「翻訳論」としても読める。
 芳川氏は、『ボヴァリー夫人』の上引の記述について次のようにいう。

「食卓の上で、使われたコップに蠅が伝いのぼり、底に残ったシードルに溺れてぶんぶん羽音を立てている」という記述じたいもまた、恋の情動の昂進という意味の方向性になじむだろう。甘いシードルを求めるハエ(とはいえ、日本のものより小バエに近いという)の姿には、蜜に群がり、そこに絡み取られる欲望というイメージが重ねられている、と考えることが許されるだろうか。しかし厳密には、それはテクスト的な現実の外にある。かろうじてテクスト的な意味につなぎとめるとすれば、「シードルに溺れてぶんぶん羽音を立てている」ハエから共示(コノウト)される意味の広がりとしてとらえる必要があるかもしれない。しかし、テクスト的な現実から、そこに接近する方法もある。テクスト的な隣接性のうちに、もう一つ、液体にちなむ光景が描き込まれているのだ。エンマの「むき出しの肩の上に小さな玉の汗が見えた」とあるではないか。エンマとシャルルしかいない空間で、「見えた on voyait」とは、シャルルの視覚以外にない。そのとき、シャルルの視線を介して、底に残った「シードル」の蜜と、顕わな肩に結ぶ汗の小さな水滴は同じ意味の磁場を形成する。間違っては、いけない。蜜と汗という液体に、共通する物質性があるのではない。そうではなく、シャルルの視線に共有されることで、蜜と汗は意味の隣接性を獲得するのだ。(pp.121-22)

 この「蜜と汗という液体に、共通する物質性があるのではない」というくだりは、そのまま「主題論(テマティスム)批評」批判ともなっているわけだが、「過激なテクスト論者」たる芳川氏は、主題論批評の一例として蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房2014)の「塵埃と頭髪」を挙げ、その方法論について、やや批判的に言及している(pp.131-39)。
 もっとも、芳川氏の『「ボヴァリー夫人」をごく私的に読む』でわたしがとりわけ関心を懐きながら読んだのは、第一章「『そして』に遭遇する」、第二章「『自由間接話法』体験」、第三章「表象革命としての『自由間接話法』」で、これらは、さきにも述べたように「翻訳論」として読むこともできる。
 たとえば第一章では、(いずれも「そして」と訳しうる)文頭の〔Et〕、フローベールがもっともよく用いたという〔;et〕、節と節とのあいだに小休止を入れる〔,et,〕の三種をそれぞれどう訳し分けたかということについて説得的に論じているし、第二・三章では、フローベールが自覚的に用いた「自由間接話法」が小説の語りをどのように変革したかということが丁寧に述べられている。
 わたしは特にその第二・三章を読んで、池波正太郎が好んだ(そして門井慶喜氏に引き継がれた?)丸括弧の用法(「門井慶喜作品を読む」参照)は、あるいはこの「自由間接話法」の影響を受けたものなのではないか、と考えてみたりもしたのだった。フランス贔屓の池波のことだから、あり得なくもない話のようにおもえる。
 なお芳村氏は、「自由間接話法」という名称について「『自由間接文体』とも呼ばれる」(p.37)と書いているが、蓮實氏の浩瀚な『「ボヴァリー夫人」論』は、

たとえば、ある作中人物の言葉なり思考なりを文の形式で再現する場合、直接話法と間接話法という二つの文法上の範疇があることは誰もが知っている。それとの関連でいうなら、むしろ「自由間接話法」《le discours indirect llibre》という名称がふさわしかろうが、その名称は論者によってさまざまであり、必ずしも一定していない。(p.251)

と前置きしたうえで、「主節を用いることなしに思考なり言葉なりが独立した文として形成される『報告文』」の一形態(p.252)ともされる「自由間接話法」の呼称を避け、オズワルド・デュクロの言語理論にもとづいて「自由間接文体」《le style indirect libre》の方を採用している。ただし、

 とはいえ、「自由間接文体」なるものの定義は、なおも曖昧なものとしてとどまる。『ボヴァリー夫人』には、そこに表現されている思考や言葉が誰のものかにわかには決定しがたい文章がいくつもまぎれこんでいるからだ。実際、ごく普通の構文におさまっているかに見える文章が、見方によっては「自由間接話法」ともとれる場合も少なくない。(p.264)

とも述べており、「にわかには決定しがたい」という「『曖昧さ』を加速させているのが『自由間接文体』であり、その定義を具体的なテクストに触れつつ魅力的に拡張して見せたのがオズワルド・デュクロだとひとまずいえる」(p.265)と評価している。
 そう云えば先日、山田訳の『ボヴァリー夫人』を読み了えた直後に、ソフィー・バルテスボヴァリー夫人』(2014米=独=白)という映画を観てみたのだけれど、そもそもたった2時間弱の尺でこの作品を映像化しようとすること自体に無理があるようにおもわれたものだった。まず、ボヴァリー夫妻がトストからヨンヴィル・ラベイへと引っ越す場面や、医師たるシャルル・ボヴァリー(ヘンリー・ロイド=ヒューズ)がイポリットの脚を手術した後、その「失敗」が明らかになるまでの過程などがかなり端折ってあったりするので、エンマ・ボヴァリー(ミア・ワシコウスカ)の微妙な心理の変化がほとんど伝わらない。ロドルフ(劇中では確かそんな役名ではなかったが、ローガン・マーシャル=グリーンが演じている)は原作に較べると最初から傲岸な印象があるし、ロドルフがエンマを口説く名高い「農業共進会」の場面の描き方も、ごくあっさりしたものであった。原作の面白さ*2を活かすなら、クロスカッティングで繋ぐという手法もあったとおもうのだが。主観ショットも殆どなく、したがって淡々とした描写に終始している。
 同年製作の映画であれば、それよりは、アンヌ・フォンテーヌ『ボヴァリー夫人とパン屋』(2014仏)*3のほうがずっと面白かった。この映画では、小説に憧れて?妄想を懐くのは“ボヴァリー夫人”ジェマ(ジェマ・アタートン)ではなくパン屋のマーティン・ジュベア(ファブリス・ルキーニ)のほうで、最後の秀逸な「オチ」でもその妄想を全開させつつ終わる。原作のレオンにあたるエルヴェ(ニールス・シュナイダー)は貧書生ではなく金持ちのぼんぼんで、そういった細かな設定も映画では活かされているようにおもう。
 では最後に、面白い「こぼれ話」をひとつご紹介しておくとしよう。

 戦前、我が国にも、厳重な検閲制度がありましたが、(略)『ボヴァリー夫人』に対して、やや国辱的な削除が命令され実行されていました。それは、女主人公のボヴァリー夫人が、新しい恋人と馬車に乗ってゆくところですが、しばらくして、男が車からおりますと、走り去ってゆく馬車の窓から、紙切れが投げだされるという描写でした。ボヴァリー夫人は、前の恋人から送られた恋文を破り棄てたにすぎませんのに、日本帝国の検閲官は、恐らく性行為後に用いる桜紙のごときものが窓から投げすてられたものと解釈したのでした。(渡辺一夫『曲説フランス文学』岩波現代文庫2000:300←『へそ曲がりフランス文学』光文社1961)

 ただし、この「紙切れ」は作中ではっきりと「恋文」のことだとわかるように書かれているわけではない。そのために、後年でもこのくだりをエロティックなものと解釈する向きがあったようだ(芳川著p.168)。しかし結論としては、「前の恋人から送られた恋文」ではなくエンマが前日に「新しい恋人」レオンに書いた「断りの手紙」(同p.170)を指すとみて間違いないようだ。すなわち、エンマがレオンを受け容れたので、いったん書いた断りの手紙が不要になって破り棄てた――、ということである。

*1:1857年5月4日に発表。なおサント・ブーヴは、フローベールの描写の仕方についてさらに、「一切を記述しようとし、そこに起った一切の事柄を強調しようとする彼の方法の効果そのもののために、細かい部分がまことに生き生きとして、露骨なまでに描かれており、それがもう少しで官能を激しくゆするまでになっている(略)。だが絶対にそれはその手前で止めるべきであったと私は思う」(同p.259)とも書いている。

*2:芳川著の第四章「『農業共進会』」参照。

*3:芳川訳『ボヴァリー夫人』の帯には、この映画のスチルが印刷してあって、(2015年)7月上旬から全国で公開されることが書かれている。新潮文庫の「Star Classics 名作新訳コレクション」の一冊としての位置づけだが、映画とのタイアップ企画としての側面もあったようである。