コリン・ウィルソンが語るアナトール・フランス

 学研パブリッシング(当時)が手がけていた文庫レーベルに、「学研M文庫」というのがあった。特に歴史小説や戦史ものを出していたことで知られるが、わたしにとっては、酒井潔『悪魔学大全(1)(2)』、アンソロジスト東雅夫氏の編纂にかかる「伝奇ノ匣」シリーズや「幻妖の匣」*1種村季弘偽書作家列伝』『澁澤さん家で午後五時にお茶を』、加藤郁乎『後方見聞録』、それから安原顯編『ジャンル別文庫本ベスト1000』『ジャンル別映画ベスト1000』等を刊行したことが印象に残っており、――やや大げさにいうと――青春期の読書体験の一頁を彩ってくれた、忘れ難いレーベルである。そう云えば、後藤明生(訳)『雨月物語』、立野信之『叛乱』というのもあった。
 五、六年前、この文庫に入ったコリン・ウィルソン柴田元幸監訳『超読書体験(上)(下)』(2000年9月刊行)を、遅れ馳せながら古本で入手して読んだ。わたしの記憶が確かならば、これは創刊ラインナップの一冊だったかとおもう。『超読書体験』という邦題は、そのころ何かしら「チョー」をつけて表現するのが若年層のあいだにそろそろ定着しつつあったことが背景にあるのか、その少し以前(遡ること四、五年前)の『「超」勉強法』ブームに肖ってのことなのかは判らないけれども、刊行当時は実用書と誤認した所為もあってか、完全に「スルー」していた。しかし実際に手に取って読んでみると、これがすこぶる面白かったのである。
 そもそもこの本は、もとの邦題を『わが青春わが読書』(原題は”THE BOOKS IN MY LIFE”)といい、元版は1997年に刊行されている。「訳者あとがき」(柴田元幸氏)によると、安原顯コリン・ウィルソンに直接手紙を出して、日本の読者向けに自身の読書遍歴についての本を書きおろして欲しい、と依頼したところ、一年ほど経ってから安原の許にタイプ原稿が届き、それを十人がかりで訳したのが、すなわちこの本であるという。
 単行本が刊行されて間もないころには、出久根達郎氏が、同書について次のように書いている。

アウトサイダー』(中村保男訳・集英社)などの著者で、作家・哲学者のコリン・ウィルソンの本棚には、どのような書物が並んでいるのだろう?
 現在、自宅には二万から三万冊の本があるという。新刊もあれば、古書もある。「車で走っていて、どこか小さな町を通りかかるたびに、私たちは古本屋を見つけてどっさり本を積んで帰った」「子供のころからずっと、私は古本を買うのが大好きだった」。
 コリン・ウィルソンの『わが青春わが読書』(柴田元幸監訳・学研)は、一千枚の長編エッセイである。
 ウィルソンの最初の読書が、ミッキー・マウスドナルド・ダックの漫画であり、スーパーマンのような超人物語であり、そして十代では『トム・ソーヤーの冒険』であったという告白は、なあんだ、と意外な感じである。
 天才の「書棚」は、われわれ常人とは全く異なった構成であろう、という先入観念を、ものの見事に裏切られる。
 われわれと同じ本を読んでいるのだが、しかしウィルソンの話は、面白い。当り前すぎる話だから、面白いのである。ウィルソンの著書としては珍しく気楽に読める。
出久根達郎「本棚公開」『人は地上にあり』文春文庫2002←『書棚の隅っこ』リブリオ出版1999所収:75-76)

 出久根氏が引用しているの(2箇所)は、いずれも第一章「何冊あれば本は多すぎるか?」(柴田訳)にみえる文章だが、この本は全部で二十六章からなる。担当した訳者(敬称略)とともにそれぞれの章題を示すと次のとおりである。

1.何冊あれば本は多すぎるか?(柴田元幸) 2.ウィルソンをめぐる真実(柴田元幸) 3.トム・ソーヤー(畔柳和代) 4.ロマンティストになるまで(飯塚浩芳) 5.シャーロック・ホームズ―人間的な超人(江崎聡子) 6.科学―そしてニヒリズム(都甲幸治) 7.ジェフェリー・ファーノルの華麗なる冒険(岸本佐知子) 8.日記をつけるということ(岸本佐知子) 9.『ファウスト』と「理不尽な朗報」(大久保譲) 10.セックスと「永遠の女性」(柴田元幸) 11.プラトンと性の幻想(都甲幸治) 12.ショー(小山太一) 13.エリオットとピュトンの尾(飯塚浩芳) 14.ジョイス(前山佳朱彦) 15.人格からの脱出―アーネスト・ヘミングウェイの謎(高吉一郎) 16.デイヴィッド・リンゼイアルクトゥルスへの旅』(柴田元幸) 17.ドストエフスキー(畔柳和代) 18.ニーチェ(坂口緑) 19.ジェイムズ兄弟(高吉一郎) 20.エルンスト・カッシーラー(坂口緑) 21.サルトル(前山佳朱彦) 22.ユイスマンス―究極のデカダン大久保譲) 23.ゾラとモーパッサン(畔柳和代) 24.レオニード・アンドレーエフ(江崎聡子) 25.ミハイル・アルツイバーシェフ(都甲幸治) 26.アナトール・フランス小山太一) あとがき 第七度の集中(柴田元幸

 このように各章が独立した内容となっており、どこからでも読める構成になっているのだが、結びの章が「アナトール・フランス」になっているのは、この本を初めて披いたとき、いささか意外に感じたことだった。
 わたしは以前(約十一年前)、荒川洋治氏の「読書のようす」(『忘れられる過去』朝日文庫所収)に触発され*2、フランスの『シルヴェストル・ボナールの罪』(以下『ボナール』)を買って読んだくちだが(この件はここで書いた)、結局いまに至るまで、フランスの小説は、この一作しか読んでいない。
 しかしウィルソンの『超読書体験』を読み、フランスの作品としては少くともあと一つ、『タイス』だけは、生涯のうちに読んでおきたいとおもっている。
 さてウィルソンは、E.M.フォースターの『小説の諸相』*3のなかに、フランスの『タイス』に関する独特なコメントを見いだす。「構造上、この小説は十字型あるいは砂時計の形をしている、とフォースターは述べていた。冒頭、聖者のごとき禁欲主義者パフヌティウスは美妓タイスを堕地獄から救おうという考えにとり憑かれているが、結末ではタイスが聖女となり、地獄に堕ちるのはパフヌティウスなのである」(下巻p.239)。続けてウィルソンは書く。

 私は図書館に駆けつけ、『タイス』を借りた。オレンジ色の装丁の全集の一冊だ。期待以上に驚異的な本だった。フランスが信じられないほど博識なのはのっけから明らかだった。それに、絢爛たる知性はショーを思わせた。フランスの存在にもっと早く気づかなかったのが不思議でならなかった。(同前p.239)

 『タイス』については、林達夫が『文藝復興』(中公文庫1981)の「書籍の周囲―5.『タイス』の饗宴―哲学的対話文学について―」(pp.196-206)*4で、その圧巻というべき「饗宴」部がブロシャール『ギリシア懐疑学派』に依っていること(フランス本人がその「手の内」を明かしているという)に触れ、「実は『タイス』の「饗宴」をはじめて読んだときにも、私の念頭に絶えず浮かんでいたのは、ほかならぬプラトンの哲学料理の逸品『饗宴』Symposionであった」(p.199)と書いていたのをおもい出すが(「『タイス』の饗宴」は、のちに中川久定編『林達夫評論集』岩波文庫1982〈pp.147-59〉や、高橋英夫編『林達夫芸術論集』講談社文芸文庫2009〈pp.96-107〉にも収められた)、この「饗宴」部の内容は、ウィルソンが前掲書のpp.243-44でややくわしく紹介していて、彼もまた、「フランスがプラトンの『饗宴』を念頭に置いていることは明らかである」(p.244)と述べている。
 ウィルソンはこの『タイス』に「圧倒され」、「これほど偉大な小説はそうざらにないと思った」(p.247)。さらに『ボナール』も読み、「『タイス』ほど圧倒的ではないにせよ、これも見事な作品」(p.250)だと感じる。そしてその冒頭部については、「フランスはほとんどディケンズ風ともいえる雰囲気を醸し出」している(p.251)と評する。またウィルソンは、次のようにも述べている。

 のちにフランスは、『シルヴェストル・ボナール』が売れたのは感傷性のおかげだといってこの本を嫌うようになる。それは疑いもなく事実である。しかしこの本が、感傷性が全面的に成功しているごく珍しい一例であることもまた事実なのだ。(p.256)

 もっともウィルソンは、この章の末尾でフランスの「最大の欠点」についても分析しているのだが、若き日の彼にとって、フランスが大きな影響を与えた作家であることを認めるにやぶさかではない。
 とまれウィルソンのこの文章を読むとすぐ、わたしは『ボナール』を再読したくなって、矢も楯もたまらず近所の古書肆に赴き、文庫版をふたたび購ったのである。250円だった。11年前に買ったのは1975年刊の初刷で(確か400円だった)、まだカバーのない時代の岩波文庫だった(赤い帯だけが巻いてあり、こちらは実家に置いてきた)が、再読するために買ったのは1989年刊の第4刷で、すでにカバー附きとなっている。ちなみに珍しいことに、カバー表紙の内容紹介に「多くの書物から深い知識を得たのち、その空さしを知った懐疑派アナトール・フランス(1844-1924)の世界がここにある」という誤記があるが、これは後刷で直ったようである。
 『ボナール』は大きく二部にわかれていて、十一年前の初読時には浮世離れした「第一部 薪」に惹かれたものだが、再読時はむしろ、ボナールが人との交わりによって現実へと回帰してゆく「第二部 ジャンヌ・アレクサンドル」をおもしろく感じた。わたし自身の環境の変化にもよるのかもしれないが、いずれにしても、小説を再読三読する愉しみは、こういうところにも有る。特に、次のようなやり取りがなんと心に響いたことか。

「たくさんのご本でございますね。ボナール先生、先生はこれをみんなお読みになったのでございますか」
「悲しいことにみんな読みました。だからこそ何にも知らないのです。何しろどの本もほかの本と矛盾しないものは一冊もない、したがってみんなを知ればどう考えてよいのかわからなくなる。私はそんな状態にいるのです」
(伊吹武彦訳『シルヴェストル・ボナールの罪』岩波文庫:185)

 さきに言及した林達夫は、「書籍の周囲―1.文献学者 失われた天主教文化―新村出氏の『南蛮広記』を読む―」*5で、『ボナール』について次の如く述べている。

 かくて文献学者は、諷刺家の嗤笑に反して、この世における最も尊敬すべきまた最も愛すべき存在の一つたるを失わないのである。そうして人もし真の文献学者の典型を示して貰いたいと言うなら、私はアナトール・フランスシルヴェストル・ボナールを指して彼を見よと言いたい。およそ世界にこの老文献学者以上に愛すべき人間があるであろうか。文献学者に豊かな想像力と大いなる好奇心と美の感情と表現の才能とがないとは、誰が言いし言葉ぞ。学士院会員(マンブル・ド・ランスティテュ)シルヴェストル・ボナールの存在は、まことに文献学の強みであるのみならず、また彼あるが故に、文献学がその胸にかき抱いている多くのエルマゴラの偏癖と罪過――もしあるなら――は充分に償われ、また大目に容赦されるであろう。(『文藝復興』中公文庫1981:149-50)

 別のところでは、「フランス語で最初にわたくしが独力で読んだ作品は、アナトール・フランスの『シルヴェストル・ボナールの罪』である」(「フランス語事始め」*6高橋英夫編『林達夫芸術論集』講談社文芸文庫2009所収:94)と書く林のことだから、『ボナール』自体への思い入れも相当強かったに違いない。
 フランスの作品でもう一つ印象に残っているのは(こちらもむろん読んではいないのだが)、木下杢太郎の名篇「残響」*7に出て来る「パリに於けるベルジュレエ君」である。杢太郎はその随筆(「残響」については、以前ここで触れた)の冒頭ちかくで、次の如く述べている。

 アナトオル・フランスの小説に「パリに於けるベルジュレエ君」というのがある。田舎の大学の先生がパリのソルボンに招聘せられることになってからの話であるが、その中ではいろんな人が勝手に猶太(ユダヤ)人論やドレェフィユス事件の批評をしていて、ベルジュレエ君がどんな人かはっきりとしない。この間フランス人にきいたらこの類作では田舎とパリとで環境や人物に著しい差のあるのを書きわけているということだが、残念ながら、前の部分を読んでいない。(「残響」岩阪恵子選『木下杢太郎随筆集』講談社文芸文庫2016所収:87)

 この「パリに於けるベルジュレエ君」が『現代史』という一連の著作の一部であることを知ったのも、ウィルソンの本のおかげだった。

パリに出ていく地方大学教授ムッシュー・ベルジュレを主人公にした『現代史』四部作(私の一番好きな批評家エドマンド・ウィルソンはこれをフランスの最高傑作としている)を支えたのはマダム・アルマンだった。(『超読書体験(下)』p.257)

 『ボナール』巻末に附いている「略年表」によると、『現代史』四部作が著された年は次の如くである。

一八九七年――『現代史』第一巻・第二巻。年末ドレーフュス事件が起り、アナトール・フランスは進歩派としての思想的立場をとりはじめる。
一八九九年――『現代史』第三巻。『赤いゆり』劇化上演。『ピエール・ノジエール』。
一九〇一年――『現代史』第四巻。『クランクビーユ』、権力に対する庶民の反抗を描く。(p.299)

 邦訳の『現代史』も、いつかは文庫化して欲しいものである。

*1:「伝奇ノ匣」を冠した本は十冊ほど出ており、うち六冊ほどを所有している。後者の「幻妖の匣」もシリーズ化する予定だったのかもしれないが、わたしの知るかぎり、『赤江瀑名作選』のただ一冊にとどまる。

*2:一昨年、『忘れられる過去』をはじめとした既刊エセー集のうちから択ばれた諸篇と、単行本未収録の諸篇とを合わせた荒川洋治『文学は実学である』(みすず書房)が出たが、「読書のようす」はそこには収められていない。

*3:フォースターの著作も、このところ邦訳が相次いで出ている。今年六月刊行の井上義夫編訳『E.M.フォースター短篇集』、そして今月出たばかりの小野寺健訳『インドへの道』など。『小説の諸相』にも古い邦訳はあるが、そろそろ文庫化するか新訳で出すかして欲しい……。

*4:初出は1927年3月30日付『東京朝日新聞』(!)で、それを改稿したものという。

*5:初出は1925年11月「思想」49号。

*6:初出は「新潮」1954年5月号。

*7:1937年頃に書かれた。