
前回の記事「中野重治『本とつきあう法』をめぐることがら」で、吉川幸次郎『古典を生きる―吉川幸次郎対話集』(角川ソフィア文庫2025←『中国文学雑談 吉川幸次郎対談集』朝日選書1977)から、中野重治(1902-79)の発言中の一節「あるとき漢和辞典の話が出て、服部と言ったか小柳(おやなぎ)と言ったか、そんなような人の漢和辞典にはこうあるじゃないか、と生徒が逆質問したわけですよ」を引き、その「服部と言ったか小柳(おやなぎ)と言ったか、そんなような人の漢和辞典」について、脚注で次の様に書いておいた。
ここには注釈が附いており(文庫版で新たに附されたもの)、「小柳司気太・服部宇之吉『詳解漢和大字典』(一九一六年初版)を指す」(p.107)とある。冨山房から出ていたこの辞書、わたしは昭和四十九年刊の修訂増補版(当用漢字に対応している)を所持しているが、平成の半ば頃まで、大きな新刊書店の漢和辞典のコーナーには必ず置いてあった。後刷りのものは赤と黄色との函入りで目を引いたものだった。
正確に云うと、手許にあるのは「昭和四十九(1974)年一月五日 修訂増補百十四版」である。修訂増補版は「昭和二十七年九月一日」に初版(初刷)が発行されている(当用漢字は昭和21年11月に内閣告示)。
奥付に拠れば、『詳解漢和大字典』の初版印刷発行は「大正五(1916)年十二月十八日」であって、上引の中野の回想は県立中学校時代のものであるから、同級生が触れたのはその初版ということになる(初版は大正十五年四月十日に「三百九十八版」まで版を重ねている)。この後「改訂増補版」というものが「昭和二年一月十日」に、「新訂版」が「昭和十一年一月十八日」に、「増補版」が「昭和十五年七月十五日」に、それぞれ発行されている。戦後になって、この増補版の次に出たのが修訂増補版ということになる。
何年か前に、わたしは雑司ヶ谷の古書肆で、幾つかの出版社の販促用絵葉書をまとめて1,500円で購入しており、そのなかに、小柳司気太・服部宇之吉『詳解漢和大字典』の絵葉書(未使用)もあった。中央に学生服を著て『詳解漢和大字典』を掲げた人物のイラストがあしらわれているのだが、そこに記された文言をみると、「改訂増補」とあるから、昭和2~10年頃に作成されたものと判る。また、「當選標語「學生生活の太陽」」「全國中等學校 千五百餘校の指定辭書」「定價金三圓八十錢 送料 内地三十六錢 領土六十五錢」等ともあって、手数料込みの国内での送料を一律「三十六錢」としているようだ。
そこで「公共料金の推移」をみてみると、当時の東京-大阪間の小包(800匁~1貫、1貫は約3.75kg)の送料は大正8年4月に改定されて36銭(200匁までは12銭)となり、昭和6年8月にはグラム、キログラム換算となって3~4kgが38銭(500gまでは10銭)となっている*1から、昭和2~6年頃までに絞ることが出来るのではないかとおもう。
日本漢字学会編『漢字文化事典』(丸善出版2023)の「大漢和辞典」の項(円満字二郎氏執筆)をみると、
大正時代には、中等教育の機会の増加や教養主義の流行を背景に、大型の漢和辞典が相次いで刊行された。その代表は、服部宇之吉・小柳司氣太(おやなぎ・しげた)『詳解漢和大字典』(1916年)、榮田猛猪(たけお)*2ほか『大字典』(1917年)*3、簡野道明(かんの・どうめい)『字源』(1923年)である。一方、「自習辞典」と呼ばれる、現代日本語に重きを置いた初学者向けの漢和辞典も、大阪を中心に数多く出版された(脇坂1956*4)。大正は、昭和後期と並ぶ漢和辞典の黄金時代だったといえる。(p.292)
の如く、『詳解漢和大字典』は中等教育向け漢和辞典の代表格として位置づけられている。さきの葉書でみたように、中等学校で標語を募集するくらいだから、実際に教育現場でもよく使われていたのだろう。
服部宇之吉が編纂した(あるいは監修者として名前を出した)大正年間の辞書としては、ほかに、大正十四年刊(手許のは昭和二年三月の七版)『大漢和辭典』(春秋書院)と、大正二年刊(手許のは大正四年三月の修訂九版)の小型の『漢和新辭海』とを所有しており、いずれも実用を重んじた初学者向け(ないしは日常遣い)の漢和辞典であったとおもわれる。機会があればこれらについても書いてみたい。
漢和辞典に関する記事は、これまでに「ふたつの『明解漢和辞典』」「後藤朝太郎の「漢和辞典改革」」などを書いているが、今回は(三省堂の戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』の第五版が刊行されたことにも触発され?)餘話として、『詳解漢和大字典』についてのメモを残しておくこととした。
*1:手許の修訂増補版の重さが大体1.3kgで、紙の質などを考えると、昭和初期の改訂増補版も同じくらいの重さ、即ち1.3kg=約346匁であったろう。
*2:なお紀田順一郎編『「大漢和辞典」を読む』(大修館書店1986)の第三部「『大漢和辞典』を引く」「漢和辞典の歩み」(彌吉光長筆)には、「猛猪」に「たけい」のルビあり(p.271)。また、「(この辞書は―引用者)上田万年ほかの編集名義だが、実質は東京帝国大学図書館に籍を置いていた栄田猛猪の編纂になるものである」(p.277)との記述がみえる。また今野真二『漢和辞典の謎―漢字の小宇宙で遊ぶ』(光文社新書2016)にも「さかいだたけい」の開きルビあり(p.280)。今野著は「山田忠雄から聞いた」として、『大字典』第十三版に基づくリプリント版(ハーバード大学、1942年)が存在することに言及している(p,282)。『大字典』については、円満字二郎『漢和辞典に訊け!』(ちくま新書2008)のp.151、pp.195-96も参考になる。同書p.196には、1917年3月15日「万朝報」の出版広告が図版として掲げられている。
*3:さきに述べた絵葉書群のなかには、『大字典』(啓成社、戦後は講談社から刊行)の「昭和新版」のものもある。こちらには「百五十五萬部突破」「中等學校二千餘校指定」「改正定價金三圓五十錢/送料内地三十錢」等とある。ちなみに原田種成『漢文のすゝめ』(新潮選書1992)には、『大字典』の跋文について「かつては(略)出版社の編集員必読の名文とされていた」(p.90)との証言がみえる。
*4:脇坂要太郎『大阪出版六十年のあゆみ』(大阪出版協同組合1956)。





