レイクサイド頭山

晴。レポート書き、読書など。
ムービープラスで、山村浩二『頭山』(2002)を観る。10分の小品。その「オチ」は、稲垣足穂一千一秒物語』―「ポケットの中の月」だったッけか―を想起させるような、不思議な味わいのある作品だった。
この作品は、落語の「あたま山」(あたま山の花見/桜ん坊)をもとにしたもので(原話は安永年間の『俗談口拍子』等に既に見えるらしい)、「あたま山」というのは落語では珍しい鳴物入りなのだそうだ(アニメーション版では国本武春が三味線を奏する)。また、二代目桂枝雀がよく演じていたらしいが(矢野誠一+草柳俊一『落語CD&DVD名盤案内』だいわ文庫参照)、LPやCDは未発売、ちくま文庫の「桂枝雀爆笑コレクション」にも採録されていないようだ(CDに録音されたものを速記したのだから仕方ないか)。
レイクサイド マーダーケース [DVD]
夜は、日本映画専門チャンネルの「日曜邦画劇場」枠で、青山真治レイクサイド マーダーケース』(2005,東宝)を観た(奇しくもid:u-senさんと同じ日に鑑賞したことになる)。周囲の評判は芳しくなかったので*1、あまり期待せずに観たのだが、そんなに悪くはなかった(原作本『レイクサイド』を読んでいたとしても、多分評価は変わらないだろう)。案内役の軽部真一氏によれば、原作者の東野圭吾は、「登場人物の心理描写を一切えがかずに外側だけをかくことによってどこまで出来るのかチャレンジしてみたかった」、「映画を撮るような感じで書きたい」、と語っていたのだそうだ。つまり東野氏は、映画は「内面」を描けない(描かない)ものだ、と云っているわけで、これは黒沢清のスタンスと一致する。それは、『黒沢清の映画術』(新潮社)でもくり返し語られており、しかも黒沢氏は、説明的なカットを「寄り」で入れることにも批判的であった。
黒沢清の映画術
さて、この映画で青山氏は、「引き」用と「寄り」用の二台のカメラを用意し、役者をその真ん中に立たせてワンシーンワンカットふうの(ワンシーンごとに)演技をさせたらしい*2(これも軽部氏の解説による)。確かに「それっぽい」長回しが多く、舞台劇のような印象を抱かせるのだけれども、全体的に「引き」が多いのにはなかなか気がつかなかった(「寄り」には薬師丸ひろ子の顔のアップが多いが、それは青山氏が薬師丸のファンだからということなのかな、とつまらないことを考えた*3)。
ところで、この映画にはラストのほうで「未来」という言葉が出て来る。

役所(俊介):「なあ、出会ったころ、君、未来が見えるって云ってたよな。だから君の目はそんなに綺麗なんじゃないかな」
薬師丸(美菜子):「未来はね、私たちそれぞれの中にあるの」
役所(俊介):「…俺たちがつくっていくしかないか」

この別居中の夫婦の会話は、円地文子『食卓のない家』の父親の諦観に辿り着いたことを意味するものだと思うのだが、この文脈における「未来」という言葉は、『回路』における加藤晴彦の「なんか、見えてきた、未来が」というセリフに象徴されるような、黒沢清が若者たちに期待する「未来」(『黒沢清の映画術』pp.240-41参照)とシンクロするものでもある。まさに、黒沢氏にぴったりな題材ではないか(それに、「ホラー」的要素を更に加味できる余地があるし―『CURE』のような映画を、とは金輪際申しませんが―、夫婦は出て来るが別居中だし*4、原作は「内面」を描かないことに徹している*5。これらの要素が揃っているということも、黒沢氏にぴったりな題材だと考える所以である)。
果して、この映画を黒沢清が手がけていたらどうなっていただろうか。

*1:某君に至っては、「駄作」「時間の無駄」だと(そこまで云わなくても…)扱き下ろしていた。

*2:可笑しかったのは、役所広司が「あなたがた」を(二度も)上手く云えないシーンがあったことである。これは、成宮寛貴が今日の「徹子の部屋」で、「『あなた』という言葉が連母音で言いにくいんですよ」(連母音とはちょっと違うと思うが)と語っていたから思い出したのだ。

*3:軽部氏は、「私が殺したの」というセリフは、『Wの悲劇』のオマージュになっているのでしょう、と解説していたが、そうだったか! 迂闊にも気づかなかった。

*4:黒沢清は基本的に「夫婦」を描かないのだそうだ。本作では主人公以外の夫婦も、まったく不釣合いなペアで(だって柄本明黒田福美鶴見辰吾杉田かおる―3年B組!―なんだもの。キャスティングは後から決まるから、これは正確な表現ではないが)、およそ「夫婦」らしくないのだが、それがいい(柄本の藝達者ぶりは相変わらずである)。

*5:しかも黒沢氏は、自分の映画には「子供は全く不可解な、コミュニケーションを拒否した存在」(前掲書,p.223)として現れることが多いと語っている。ネタばらしになるから多くは語らないが、このスタンスは、『レイクサイド マーダーケース』のテーマと通底するものではなかろうか。