あるイソップ寓話のこと

 室井光広『おどるでく―猫又伝奇集』(中公文庫2023)は芥川賞を受賞した表題作のほか、「猫又拾遺」「あんにゃ」「かなしがりや」「万葉仮名を論じて『フィネガンズ・ウェイク』に及ぶ」、それから加藤弘一氏による著者インタビュー(1995年)、多和田葉子氏のエセー(2020年)等々を収めているが、これまで書籍には収録されてこなかった短篇「和らげ」(初出は「すばる」1996年1月号)も入っている。
 この「和らげ」には、高倉村(架空の自治体)の生涯学習振興センターの機関誌「和らげ」が登場するのだが、その機関誌名の由来となった「和らげ」の語義についての説明がひとしきりつづいた後、次のようなくだりが出て来る。

 記述の典拠は、昭和四十六年初版発行の角川文庫版(大塚光信校注)で、この中からいくつかの物語を撰んで拡大コピーしたものをセミナーのテキストとして用いたと『和らげ』第二号にある。
 煩瑣になるので詳細は省くが、キリシタン版『エソポ物語』には古活字本『伊曽保物語』というのも併録されていて、雲野(いと子。機関誌の編集人―引用者)さんはこの中の「十八 男二女(ふため)を持つ事」の全文を『和らげ』に転載している。文庫版でも十四行に終る短い教訓話で、ここにあらためて孫引きするに足る内容とはいえないが、こんな話をテキストにつかった雲野さんの心持ちに興味を覚えるので、彼女の現代語訳(やわらげ)を参考にしながら紹介しておく。ある男二人妻を持けり。一人は年たけ、一人は若し、とそれははじまる。ある時、男が老いた女のもとにゆくと、年をとっている自分があんな若い男とナニして(これは僕の言葉ではなく彼女の現代語訳による)と、世人にあざけられるのが気恥ずかしいので、「御辺(ごへん)の」(=あなたの)鬢(びん)の髭の黒いところを抜いて白髪だけを残すようにしてしまいたいといって、たちまちその通り事に及んだ。男は何テコッタイと思ったが、夫婦の愛情にひかれて痛さもじっとこらえ、抜かれるままになっていた。またある時、今度は若い女のもとに行くと、じぶんはまだ若々しい身なのに、あなたのように白髪まじりの人を夫としたとあっては人のもの笑いになり、恥ずかしいので、「御辺の鬢髭の白きを抜かん」といい、全部抜きすててしまった。かくしてこの男「あなたに候へば抜かれ、こなたには抜かれて」とうとう鬢髭が無いありさまとなった。
 物語はここから最後の教訓にうつる。曰く、君子たらん者が「淫乱にけがれなば」(=色好みにふけると)、たちまちかかる恥辱をうけることになる。およそ「二人の機嫌をはからふは、苦み常に深き物也」、だからこそことわざにも「二人の君につかへがたし」というのである、云々。(「和らげ」pp.343-44)

 ここに引用・紹介されている物語はイソップ寓話がもとになっている。その原話を、E.Chambry校訂版ギリシア原文に拠った山本光雄訳『イソップ寓話集』(岩波文庫1942*1)は「五二 ごましお頭の男と芸者」(p.55)というタイトルで収めている。おなじくChambry校訂版に拠った塚崎幹夫訳『新訳 イソップ寓話集』(中公文庫1987)は「7-6 ごましお頭の男と愛人たち」(pp.144-45)として訳出、さらにB.E.Perry校訂『アエソピカ』第一巻のギリシア語寓話を全訳したという中務哲郎訳『イソップ寓話集』(岩波文庫1999)は、「三一 ロマンス・グレーと二人の愛人」(p.45)という題名で収めている。
 府川源一郎『「ウサギとカメ」の読書文化史―イソップ寓話の受容と「競争」』(勉誠出版2017)によると、山本訳『イソップ寓話集』は、旧版は英語読みでない『アイソーポス寓話集』というタイトルだったという。府川著は上記のほかの文庫にも言及しており、それぞれの特徴について簡潔にまとめているので、以下に引いておく。

 一方、間違いなく成人に向けた訳業としては、一九四二(昭和一七)年に岩波文庫の一冊として刊行された『アイソーポス寓話集』(三五八話収録)が挙げられる。訳者は山本光雄。この本は、フランスの研究者シャンブリ(Emile Chambry)が一九二七年にパリで刊行したテキストの中のギリシア語原文からの翻訳だった。シャンブリのテキストは、それまでのヨーロッパにおけるイソップ寓話研究の成果を踏まえて原典を校訂し、それにフランス語訳を添えた書物である。これ以降、シャンブリのテキストは「シャンブリ版」と通称されて、イソップ研究の基礎文献となり、数々の寓話も「シャンブリ版の○番」という通し番号で呼ばれるようになる。(略)
 また一九八七(昭和六二)年には、塚崎幹夫が『新訳イソップ寓話集』(中公文庫)を刊行する。この翻訳の底本もシャンブリ版である。この本は、奴隷の身分だったといわれるイソップという人物がなぜイソップ寓話を表した(ママ)のかという問題意識に立って、イソップの作成意図を想定し、話材を「主張別」とも言える独自の配列で並べたことが特徴である。これまでにも「動物(獅子・狐など)」や「人間」などの題材別にイソップ寓話の各話を並べて示した試みは存在した。しかし、原作者であるイソップの「主張」を仮設的に推定し、それに基づいて全体を再構成するという発想は新機軸だった。シャンブリ版では相互に遠く離れて並べられていた話も、メッセージ別に並べ替えてそれらを続けて読むことで、新たな発見が生まれてくることが興味深い。
 (略)次いで、一九九九(平成一一)年に岩波文庫から、中務哲郎の訳で四七一話が収録された『イソップ寓話集』が刊行された。これは、ベン・エドウィン・ペリーの校訂した『アエソピカ』の第一巻に掲載されたギリシア語の寓話四七一話を全訳したものだという。イソップ寓話に関する最新の研究成果を取り入れた労作である。(pp.163-65)

 塚崎訳は「主張別」に各話を排列した、ということだが、たとえば「ごましお頭の男と愛人たち」であれば、「7 選びかたを誤ればすべては崩れる――疑わしいものは避けよ」の下位項目の第6「利害の反する者」のなかに、「いっしょに旅をするロバと犬」「炭屋と洗濯屋」「父親と娘たち」と共に収められている。
 柳沼重剛『語学者の散歩道』(岩波現代文庫2008)によると、この「ごましお頭~」(「ロマンス・グレー~」)の寓話は、河野与一が「大人のためのイソップ」で紹介したことがあるのだそうで、単行本の『学問の曲り角』に収められたというが、残念ながら手持ちの岩波文庫版『新編 学問の曲り角』(2000年刊)には入っていない。
 柳沼氏は、

 桂文楽がやきもちの話、例えば『悋気(りんき)の火の玉』などという、それ自体が小噺風の話をやる時に、決まって枕にふった小噺に、このイソップとそっくりなのがある。違うのは、イソップでは二人の妾だが、文楽ではご本妻さんとお妾さんだ。枕に降った話だから、落語全集めいたものにも載っていない。思い出しながら書いてみると、こんなふうだ――(「イソップなどを読んで文楽志ん生を思い出すこと」p.88)

と前置きしたうえで、1ページ半にわたって当該のマクラを紹介している。そして次のように述べる。

これはまちがいなくイソップから出た小噺だろう。いわゆるキリシタン文書の中に入っていた『エソポ物語』がやがて漢字・仮名まじりの『伊曾保物語』となって流布している。岩波文庫の武藤禎夫校注『伊曾保物語』の下巻十八番の「男、二女(にじょ)を持つ事」というのがこれだ。
 ふつうイソップの寓話には、それぞれの終わりに教訓が添えられているが、この話について今挙げた三つ、つまりハウスラートやシャンブリが校訂したギリシア自身の収集、キリシタン文書(原文ママ)の『古活字本伊曾保物語』、それと河野先生の(たぶんハウスラート版からの)訳を比べてみるとなかなかおもしろいのでご覧に入れると、
まずハウスラート版とシャンブリ版は同じで、「このように、不一致というものはどこにおいても有害なものです」。
『伊曾保物語』では、「其(その)ごとく、君子たらん者、故なき淫乱にけがれなば、たちまちかゝる恥を請(うく)べし。しかのみならず、二人の機嫌をはからふは、苦み常に深き物也。かるが故に、事わざに云、「ふ(た)りの君につかへがたし」とや」。この諺とはキリシタンのものではなく漢文の教養から得たものだ――「忠君不事二君、貞女不更二夫」(『史記』)。(同上pp.90-91)

 いずれにせよこの話は、キリシタン版の『エソポ物語』(『イソポのハブラス』。岩波文庫には、新村出翻字『天草本 伊曾保物語』として1939年に収められた*2)は採らない。国字本『伊曾保物語』の下巻第十八に出る話なのである。
 ちなみにいうと、各話について各版のイソップ寓話や、『伊曾保物語』等のどこに収載されているかを表の形で対照・一覧したものが、さきの中務訳『イソップ寓話集』巻末に掲げてあって、これが非常に参考になる。
 また、『イソポのハブラス』と国字本『伊曾保物語』とは、同一の祖本から別々に編集されたと思われるが(大塚光信も武藤氏もそのような見立てである)、内容・形式ともにかなりの逕庭が有る。その違いを容易に比較できるものとして、大塚光信校注『キリシタン版 エソポ物語 付 古活字本伊曾保物語』(角川文庫1971)が、やはり「実に重宝な一書」(武藤氏)となる。もとより旧くなってしまった情報もあるものの、日本語学・国語学的視点からの分析を主とする「解説」、脚注が充実している。
 ところで、先の柳沼氏が引用していたのは古活字本の方であったが、上引の如く、武藤禎夫校注『万治絵入本 伊曾保物語』(岩波文庫2000)にも触れている。実はこの巻末補注の二六で武藤氏は、八代目桂文楽による口演のマクラを全文引用の形で紹介しつつ、「おそらく伊曾保物語の話を読んだ贔屓客の勧めで、マクラに用いたものであろう」(p.292)などといった注まで附しているから、柳沼氏はその注釈を参照しておればよかったので、わざわざ「思い出しながら書いてみ」なくてもよかったわけである。
 とはいえ柳沼氏が、この話の末尾の「教訓」部分について、「漢文の教養から得たものだ」と示唆していることは重要だと思われる。たとえば中務訳『イソップ寓話集』は「解説」で、

 三一「ロマンス・グレーと二人の愛人」は八代目(六代目)桂文楽(一八九二―一九七一)が落語「悋気(りんき)の火の玉」の枕に振って有名にした話であるが、『伊曾保物語』下一八に「男二女(ふため)を持つ事」として訳出される前に、仏教説話集『三国伝記』(一五世紀前半)巻一ノ二五「抜髪男事」によってわが国に入っている。(p.369)

と説いており、この物語が「一六世紀のキリシタン宣教師による将来以前に、別のルートでわが国に伝わった話」であることを示している。そのため、「教訓」(「下心」ともいう)部分に漢籍による影響がうかがえるのかも知れない。
 ありがたいことに、武藤校注『万治絵入本 伊曾保物語』の補注二六には、玄棟編『三国伝記』巻一第二十五話「抜髪男事」も平仮名本から全文引用されている。それによれば、最終的に「男」は禿頭になるどころか、「二人の妻に嫌はれて、浅ましくなりて、命終りぬ」(p.291)といった末路を辿ることとなる。そもそも、もとのイソップ寓話では「二人の愛人」だったのが、『三国伝記』や『伊曾保物語』では「二人の妻」(文楽のマクラでは「妻と愛人」)となっていることからして、興味深いといえる。
 イソップ寓話の(あるいは『伊曾保物語』の)受容・変容史については、野村純一「「伊曾保物語」の受容」(小川直之編『野村純一|口承文芸の文化学』アーツアンドクラフツ2022所収)を面白く読んだことをおもい出す。当該の論考で野村は、檀家めぐりの説教僧が教導や訓戒の材料として説話集を用いたことが、『伊曾保物語』等の説話を種とした昔話が各地に点在する契機になった、と説いていた。
 ちなみに、物語行為全般を一種の「編集作業」に準えていたのは野家啓一氏であった。

物語の語り手は「作者」ではなく、いわば「編集者」なのである。その編集作業を「解釈学的変形」と呼べば、そこでは「オリジナル・テクスト」の探索や「テクストの同一性」の保証などは望むべくもないことは明らかであろう。(『物語の哲学』岩波現代文庫2005:74)

 イソップ寓話それ自体も、「教訓」部分はオリジナルではないというし、巷間にはいくつもの「変奏」が流布されていたりするので、オリジナルの探求などもはや「望むべくもな」く、これらもやはり、名もなき編集者たちによって担われてきた物語だということが出来るのだろう。
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 『語学者の散歩道』は何度か読み返している本の一冊で、この本についてはここなどに書いたことがある。

*1:1974年の第30刷で改版された。手許のは1981年9月10日の第42刷。

*2:手許のは2009年刊の第3刷。そもそも天下の孤本であった『エソポ物語』を明治末期に最初に翻字したのは新村だったようで、岩波文庫版はその後の校合を経たものと思しい。