北村薫『六の宮の姫君』

 先日、北村薫『六の宮の姫君』(創元推理文庫1999)を再読した。
 北村薫「円紫さんと私」シリーズ第四作・長篇『六の宮の姫君』は、芥川龍之介の短篇「六の宮の姫君」についての芥川自身の発言の謎をめぐって推理が展開される、いわゆる「ビブリオミステリ」である。それはまた、主人公「私」の大学の卒業論文のテーマそのものでもあるわけだが、文庫版の「解説」(佐藤夕子*1)によれば、北村氏が「早稲田大学第一文学部在学中にものした幻の卒業論文で」もある(p.271)、らしい。
 この長篇のなかには様々な本が出て来て、発行年や値段、簡単な書誌などがそのつど示されるのが楽しい(むろんなかには架空の本もあるが、それは作中で大体わかるようになっている)。
 たとえば、「今度の岩波の『拾遺和歌集』、そのために買っちゃったのよ、三千六百円もするのに」(p.64)は、「今度の岩波の」とあるように、「新日本古典文学大系」本をさすのだろう*2。それで当時の新大系本『拾遺和歌集』が、「三千六百円」であったと知られるのである(現行版は五千円強)。
 一方、『今昔物語』を読む際に「私」が参照するのは、「岩波の『日本古典文学大系』」(p.76)、いわゆる旧大系本。このほか、「昭和四十六年の筑摩書房芥川龍之介全集』」(p.80)*3、「小学館の『群像日本の作家11 芥川龍之介』」(p.94)、などといった具合だ。『日本国語大辞典』(小学館)の初版からも、ある項目の用例(片岡鉄兵)が引用されている(pp.74-75)。
 作中で「私」に重要な手がかりを与えることになる『沙石集』については、次の如くある。

 父の本棚まで行って、問題の『沙石集』を捜した。私は古典大系本を持っていないのである。あちこち引っ繰り返すと、古い岩波文庫版が出て来た。裏表紙をめくると鉛筆で《50》と書いてある。五十円。父が、古書店で買った本なのだ。
 トントンと階段を踏み二階に帰り、今度は座布団に座って、今よりやや大きめの文庫本を開いた。(p.233)

 わたしの手許にあるのも岩波文庫版(上下二冊)、しかも一冊50円で拾ったものだが、「1988年4月7日」発行の第2刷で、現行の文庫と同じ判型である。奥付には「1943年11月25日」に初刷が発行されたとある。「私」が手にしているのもこの初刷だろう。ちなみに、北村著には「実に鎌倉時代の僧、『沙石集』の作者といわれる(解説を読んだら、そう書いてあった)無住である」(p.235)というくだりもあって、この「解説」は、校訂者の筑土鈴寛(つくどれいかん)が書いている。筑土といえば、小松和彦『神々の精神史』(福武文庫1992)*4の第三部「筑土鈴寛の世界」は必読だろう。小松氏は筑土を「まさに異端の国文学者であると同時に、悲しむべきことだが、忘れられた民俗学者でもあるのだった」(p.304)と評し、また、次のようにも書いている。

 だが、彼がライフ・ワークとして著述していた『中世文学史の研究』全三巻は、度重なる戦火のために資料とともに一切消失(ママ)してしまうという、惜しみて余りある不幸に襲われねばならなかった。
 戦後、柳田国男久松潜一たちの激励・援助によって東大図書館内に研究室を借り、新たな出発を決意したが、しかし、惜しいかな病に倒れた。享年四十五歳というその若さは、彼の研究がほとんど未完成であることを物語っているが、それにもかかわらず、彼の残した研究成果の豊かさに、いまなお私たちは驚かされるのである。(p.305)

 柳田というと、筑土の「解説」(『沙石集・上巻』)にも、「また柳田國男先生から、始終に亙って配慮賜つたことを、こゝに記して、深く感謝申上げる」(pp.8-9)と謝辞が述べられている。
 話が逸れた。さて、北村版『六の宮の姫君』には下記のようなくだりもあった。

(河出の『現代日本小説大系』の)第三十三巻。『新現実主義1』、芥川龍之介菊池寛という取り合わせである。解説は川端康成。(略)
 私は首を振って、
「鼠はいなかったけど、『六の宮の姫君』にはお会いしたわ」
「はあ?」
 語尾の上がった声と一緒に、正ちゃんは身を起こす。こちらは、隣のベッドに腰を下ろして説明する。
「というわけ。なかなかに運命というのも、味のあるものね」
「なるほど。で、川端康成は『姫君』について、何といってるんだい」
「そうね」
 解説は、かなりの長文である。取り敢えず、収録作品について触れている部分を見ると、こう書いてあった。
「《王朝にありがちの話で、そのあはれに、芥川は近代の冷たい光をあてたのである》」
「それだけ?」
「うん」
「ちょっと狡いな。見た目は整ってるけど、実は何もいってないじゃない」
「そうねえ、ラストに芥川流の冴え冴えとした解釈があるということなんだろうけど、そのどの辺が《近代》で、どの辺が《冷たい光》だというのか。うーん、解説なのに説明してくれない。川端先生のお考えは、しかとは分からない」
「そこはそれ、一目見て美しく、分かる人には奥があるという作風の方だから」
(pp.124-25)

 この「かなりの長文」とされる川端の解説は、川西政明編『川端康成随筆集』(岩波文庫2013)にも収録されている(pp.291-324「芥川竜之介菊池寛」、新かなづかい)。当該の一文はpp.319-20に見える。ただしその「初出一覧」を見ると、「「現代日本小説大系」三一巻(河出書房刊、一九四九年一〇月一〇日)原題「解説」」とあって、巻数が違う。これはどうやら北村著の誤記のようである。(版によって違いがあるようです。コメント欄ご参看)
 それから、北村著に何度か出て来る「永井龍男の『菊池寛』」(この本がまた、「私」に重要なヒントを与えることになる)に触発され、乾英治郎『評伝 永井龍男芥川賞直木賞育ての親―』(青山ライフ出版2017)を読んでいたところ、思いもよらぬ記述に逢著した。

(1953年の第二回「世界短編小説コンクール」の)出品作となる(永井の)「小美術館で」は、昭和三〇(一九五五)年八月『新潮』に掲載されている。内容は、美術館(鎌倉美術館がモデルと思われる)喫茶室に務める(ママ)三〇代の戦争未亡人・水野が、館に足繁く通う紳士に求婚されて惑う様子をスケッチ風に描いたものである。喫茶室には水野の他に二人の老婦人と、そのうち一人が籠ごと連れてくる鸚鵡がいる。その鸚鵡が突然「ええい! どうして俺は、古臭い言葉ばかりしか知らないんだ。それも、みんな人間の口真似じゃあないか。俺自身の鳴き方って云うのじゃ、いったいどんなんだ。退屈だ。ええい、退屈だ。逆立ちをして、二、三度世の中を眺めたが、へん、やっぱり変わりはあるもんか。蓮の花が、ぐるぐる廻って見えただけさ」と矢継ぎ早に叫ぶ。自分の鳴き方が判らない鸚鵡というモチーフは第三短編集『朝霧』所収の「ペロツケ」を思わせるが、「逆立ちをして、二、三度世の中を眺めたが、へん、やっぱり変わりはあるもんか」という言葉は、芥川龍之介の「河童」(『改造』昭和2・3)の中で河童の一人が口にする「いえ、余り憂鬱ですから、逆まに世の中を眺めて見たのです。けれどもやはり同じことですね」という台詞の本歌取りではないかと思える。また、「蓮の花が、ぐるぐる廻って見えただけさ」は、同じく芥川の「六の宮の姫君」(『表現』大11・8)の中で、瀕死の姫が「金の蓮華が見えまする。天蓋のやうに大きい蓮華が。……」という場面を思わせる。(pp.240-41)

 この「六の宮の姫君」からの引用、「金の蓮華が」と云うのは「金の蓮華が」の誤脱かと思われるが、永井の短篇と芥川の「六の宮の姫君」とが結びつく(かもしれない)という事実はたいへん興味深いことである。
 さて北村氏の「六の宮の姫君」は、芥川の、あるいは菊池寛の作品等を通じて、「人と人との繋がりの哀しさ」(p.167、円紫の発言)を描いた佳品であるが、さらに意外な事実が明かされるのが、同じ「円紫さんと私」シリーズの「山眠る」(『朝霧』*5創元推理文庫2004所収)である。
 そこには、芥川が「六の宮の姫君」を「強引に慶滋の保胤で結んだ」理由(p.29)について、「田崎信」の口からある推測が語られる(その「推測」の根拠となる事実について、北村氏は作品の末尾で「石川哲也さんに御教示いただきました」p.92と述べている)。それは、芥川がおそらく意図的に「(慶滋保胤という)俗名を挙げ、内記の上人と呼ばれたことまで記しながら、法名を書いていない」(p.29)ことに関わっているのだが、これとちょうど逆のような書きぶりが、幸田露伴の「連環記」に見られることを思い出した。すなわち露伴は、保胤(寂心)の弟子・寂照が三河守定基である事実をしばらく伏せたまま物語を展開し、終盤でようやく俗名を記しているのである(「幸田露伴「連環記」」を参照されたい)。

    • -

 北村薫太宰治の辞書』(創元推理文庫2017)に附されたエッセイのうちの一つ、「二つの『現代日本小説大系』」(pp.265-73)で北村氏は、「現代日本小説大系」の件についてくわしくお書きになっています。わたしのブログにも触れてくださっています。
 わたくしお得意の「早とちり」が発端だったとはいえ、こうして北村氏の新たなエッセイを読めたうえに事情を知ることもできたわけですから、これもまた、“怪我の功名”と云うべきでしょうか。

六の宮の姫君 (創元推理文庫)

六の宮の姫君 (創元推理文庫)

沙石集 (上巻) (岩波文庫)

沙石集 (上巻) (岩波文庫)

神々の精神史 (講談社学術文庫)

神々の精神史 (講談社学術文庫)

川端康成随筆集 (岩波文庫)

川端康成随筆集 (岩波文庫)

評伝 永井龍男 ─芥川賞・直木賞の育ての親─ (シバブックス)

評伝 永井龍男 ─芥川賞・直木賞の育ての親─ (シバブックス)

朝霧 (創元推理文庫)

朝霧 (創元推理文庫)

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

*1:日本語教育学の視点―国際基督教大学大学院教授飛田良文博士退任記念』(東京堂出版2004)http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000007500694.htmlに「翻訳小説の文体」という論文を寄せている佐藤氏と同一人物らしい。

*2:北村氏『六の宮の姫君』の発表年は1992年で、新大系本『拾遺和歌集』は1990年に刊行されている。ちなみに、古典文学全集類の注釈のそれぞれの特徴については、最近、林望『役に立たない読書』(インターナショナル新書2017)pp.124-32が、『源氏物語』を例に説いているのを読んだ。林氏は、新大系の「注釈は、一般の読書人にとっては不親切なところがあって、全訳などは一切付けられていないのですから、これだけで「源氏」をスラスラと「読書」するのは相当にむずかしいことと思います。どうもこれは、最初から古典を相当に読み慣れている人を対象として作られた注釈のような感じがするのです」(p.128)と述べている。

*3:この全集本のある「誤記」について、第八巻の解説で吉田精一が「後から付け足したような活字で」(p.84)触れ、それが「岩波版の新しいの」(p.85)で訂正されている、という事実も明らかにされている。

*4:のちに講談社学術文庫版も刊行され、そちらも長らく品切であったが、今年に入って新カバーで復刊された。

*5:北村氏は、この表題作を書くにあたって永井龍男の『朝霧』を意識されたか、どうか。