「BOOKMAN」第15号のこと

 高崎俊夫氏が、今年亡くなった坪内祐三氏との対談*1で、

不思議といえば、トパーズプレスも変な出版社でしたよね。瀬戸川猛資さんの個人出版で「ブックマン」という雑誌も出してた。(『本の雑誌坪内祐三本の雑誌社2020:64)

と語っていて、そういえば「BOOKMAN」は一冊だけ持っていたよな、と書架から探して取り出した。第15号(1986.6刊)、その特集タイトルは「『辞書』はすばらしい―切磋琢磨の熱中ガイド」である。当ブログで何度か言っているとおり、わたしは「辞書好き」なので、かなり以前、古書市に「BOOKMAN」がまとまって出ていたうちから一冊択んで買ったのだった。
 これが出た1986年には、『大漢和辞典』(いわゆる諸橋大漢和)の修訂版が完結しており*2、それに触発された特集だったのかもしれないし、また前年には鈴木喬雄『診断・国語辞典』(日本評論社)が出ていて、辞典の「個性」が批評の対象となる風潮がそろそろ醸成されつつある頃だったので、それを受けての特集であったかもしれない。
 さてその特集号、巻頭を飾るのが「日本六大辞書列伝」、この「六大」は「東京六大学」などに引っ掛けたものだろうけれど、「BOOKMAN」のこの特集に先立つこと十四年、漢和辞典批判本として、小原三次『本邦六大、中堅『漢和字典』をこきおろす』(モノグラム社)というのが出ている。そちらの書名も意識したのかどうか――はわからないが、とまれ「日本六大辞書列伝」が挙げているのは、『大言海』、『広辞林』、『広辞苑』、『日本国語大辞典』、諸橋大漢和、『大日本地名辞書』の六つである。
 その次のコーナーが、「どんな辞書をお使いですか」という著名人へのインタヴュー。冒頭が呉智英*3。呉氏は「『新明解』がおもしろい」なるタイトルのそのインタヴュー記事で、

 で、一番愛用しているのが『新明解国語辞典』(三省堂)。もし、旅行で一冊しか持ち歩けないという時だったら、これを持っていくね。ここにあるのは第二版なんだけど、今、第三版が出ている。(p.11)

と語ったうえで、新明解の特色を述べてゆく。そこに、

 なんといっても(「読んでると笑っちゃう」語釈の)圧巻は〈おやがめ〉。「―の背中に子ガメを乗せて」「―こけたら子ガメ・孫ガメ・ひい孫ガメがこけた」と載っていて、「他社の辞書生産の際、そのまま採られる先行辞書にもたとえられる」なんて書いてある。辞書編集のかっぱらい合いに対して激しい怒りを表明しているわけよ。(p.12)

というくだりがある。「おやがめ」について「BOOKMAN」は、p.26の囲み記事「おやがめごっこはやめて欲しい」(筆者不明)でも、新明解の編集主幹・山田忠雄の著作『近代国語辞書の歩み』中の一文とともに当該の語釈を引いている。「おやがめ」項(第三版以降は削除されてしまった)の話はわりとよく知られた話で、これは国語辞典批評の嚆矢、「国語の辞書をテストする」(「暮しの手帖(10)」1971.2.1)の次の記述を下敷きにしている。

 推しはかるに、ある辞書を作るとき、なにか、べつの辞書を参考にするのではないか。もちろん参考にするのはよろしいが、ついでに文章まで、借りてくるのではないか。
 だから、もとの辞書が、まちがっていたら、そのまま、新しい辞書も、まちがってしまうのではないか。
 「親ガメこけたら子ガメも孫ガメこける」(原文ママ。2箇所の「こけ」に傍点)例をひとつ、お目にかけよう。(p.111)

 「BOOKMAN」のこの次の特集コーナーには、「ジャンル別大ガイド」というのがあって(正確にはこの前に内藤理恵子*4「辞書で小説を書いた作家の話」という記事がある)、「国語辞典」「古語辞典」「特殊国語辞典」「漢和辞典」「専門辞典」の五つに分けて様々の辞書を紹介・批評している。「専門辞典」のなかには鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』(角川書店)も紹介されている。その評は、同書が労作であることは認めつつも、

 ふつう、辞典というと引くものだが、読み物として楽しめるものも多い。この辞典もタイトルから考えると、そうした使い方ができそうだが、なんせズラズラと事柄を並べているだけなので退屈。なかに面白そうなのがあっても、すぐ次の俗信が出てくるので、興味がふくらんでいかない。
 また、動植物名は一応五十音順に並んでいるが、詳細な索引がないこと、関連語の相互参照ができないこと、他に例えば地域別の俗信分布を載せるなどの工夫が全くない、といった点で検索も不便だ。(p.34)

とかなり手厳しい。恰もよし、鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』はこの4月・6月に、『日本俗信辞典 動物編』『日本俗信辞典 植物編』(いずれも角川ソフィア文庫)として二分冊で文庫化された(文庫版解説の担当はそれぞれ常光徹氏、篠原徹氏)。
 そこで、文庫版の「動物編」でたとえば「郭公」の項をみてみるとしよう。
 二段組で約3ページにも亙ってカッコウにまつわる各地の俗信が紹介されるなかに、

カッコウの口にマメ」(青森県下北郡)、「マメマキカッコウ」(山形)とは、共にカッコウが鳴き始めたらマメを蒔く適期の意。(p.203)

とあるのだが、これらはあくまでその土地に伝わる俗信を「共通語」で紹介しているのであって、これらが実際に各土地でどのような形で言い伝えられているのかまではわからない。
 これをある程度補完してくれるのが、鈴木棠三・広田栄太郎編『故事ことわざ辞典』(東京堂出版1956*5)、鈴木棠三編『続故事ことわざ辞典』(東京堂出版1958*6)である。前者の正篇に、

郭公啼けば豆を蒔け 【意味】ほととぎす(ママ。もっとも両者はある時期は混同されていた)が鳴き始めたら、豆をまく時季であると知れ。
 【参考】郭公鳥の口さ豆植えろ(青森) ○郭公の口さ蒔き込むよう(種籾のまき方をいう)(岩手)

とっとの口さ種を蒔けかんこの口さ豆を蒔け 【意味】つつどりが鳴いたらもみをまけ、かっこうが鳴いたら豆をまけ。東北地方のことわざ。◎とっと=筒鳥。新潟県で、ふじ豆をとっと豆と呼ぶのも、このことわざから出たものであろう。◎かんこ=郭公。閑古鳥。東北以外でも、「まめまき郭公」という例がある。

とあり*7、ある程度までは実際の言習わしを「復原」できる。ちなみに「とっと」「かんこ」の語形については、『日本俗信辞典』の「郭公」の項は言及していない。
 そういった不備はあるのだけれど……とまあ、これを「不備」と言い切ってよいものかどうか。「俗信」はもとより整然とした姿で存在するものではなし、どうしたって雑然たる寄せ集めになってしまうのは已むを得ないことだと思う。「BOOKMAN」が指摘したくなる気持もわからぬでもないが、詳細な索引や地域別の俗信分布などを作成するのは(特にパソコン、いなワープロでさえも普及していなかった当時、すなわち1982年時点にあって)個人にはどだい無理な話だったろう。
 話を戻して「BOOKMAN」だが、ついでにいっておくと、次号予告には「第16号は、いよいよSF特集。BMならではのユニークな特集にするつもりです。発売は九月中旬予定です」(p.71)とある。この「SF特集」は、具体的には「SF珍本ベスト10」という特集名で、SF好きの間ではかなり話題になったらしい。
 たとえば古書山たかし氏*8は、『怪書探訪』(東洋経済新報社2016)で次のように書いている。

 純文学の世界と違い、エンターテインメント小説の世界では、オールタイムベスト10のような企画がしばしば行われ、大いに話題になる。SFも例外ではないが、一九八六年に、極めてユニークなSFベスト10が企画されたことがある。
 それは『BOOKMAN』という雑誌の第一六号で特集された「SF珍本ベストテン」だ。これは入手の困難さと内容の珍妙さをメインに、歴史的意義も加味して選ばれたもの。そこに選ばれた数々の珍書、稀書を目の当たりにした当時の若き本好き達は、自分達のちっぽけな常識では考えられないような珍無類なSFの大海原に目をむき、更なる探書の旅路に出発する決意を固めたものであった。その特集で、内容の荒唐無稽さから戦後SF珍本中、事実上ダントツに近い(ゲテモノとしての)高(?)評価を得ていたのが、栗田信の『醱酵人間』であった。(略)
 私も、同世代書痴の例に漏れず、『BOOKMAN』の特集で『醱酵人間』を知り、以来古書店で、古書即売会で、古書目録で、インターネットで、あらゆる機会に探し求め続けたが、さすがに奇書中の奇書として満天下に知れ渡ってしまったこの本を入手することはおろか、目録で見かけることさえついぞなかった。(pp.30-36)

 その後古書山氏は、自分だけのオリジナルの『醱酵人間』を作り上げ(書痴魂炸裂!)、さらには初版帯附を入手することになるのだが、詳しくは同書を参照されたい。
 またこの間(2014年)に、『醱酵人間』は戎光祥出版の「ミステリ珍本全集」という叢書で復刊されている(古書山氏もむろん言及している)。わたしは神保町の店頭ゾッキでこれを購ったものだが、ゾッキ本というと、この記事の冒頭にちらと出て来た坪内祐三氏もゾッキ本の愛好者だったと思われ、その文章や対談にしばしば出て来る(高見順の日記をゾッキ本で全部そろえた、と書いていたのは、確か『雑読系』だっけか)。
 なお「BOOKMAN」は、30号で終刊となったようだ。15、16号は、ちょうどその「折り返し地点」に位置していたことになる。

本の雑誌の坪内祐三

本の雑誌の坪内祐三

  • 作者:坪内祐三
  • 発売日: 2020/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
怪書探訪

怪書探訪

*1:「消えた出版社総まくり 函入り本を出すと出版社は消える?」(初出は「本の雑誌」2018年8月号)

*2:当該誌の表紙裏には修訂版の広告が出ている。

*3:呉氏は1982年に『読書家の新技術』(情報センター出版局)という本を出しており、そこで展開された辞書論をおもしろく読んだ記憶が有る(わたしが持っているのは後の朝日文庫版だが)。

*4:英文学者の内藤氏は、「BOOKMAN」で定期的に(連載?)エセーも担当していたらしく、当該号で「ブロードサイドからチャップブックへ―イギリス庶民文化の一枝」(pp.50-53)という一文もものしている。

*5:手許のは1974年の「六二版」。

*6:手許のは1976年の「三六版」。

*7:しかし、この辞書もやはり、それぞれの項目を相互参照できるようには作られていない。「とっと~」の項があることは、読んでいる途中で偶々気づいたのである。

*8:その正体は上場企業の「役員」だと奥付にあるが、新保博久『シンポ教授の生活とミステリー』(光文社文庫2020)によれば、「本名では上場企業の社長になっている」(!)(p.124)との由。

「ブンムクにむくれる」

 前回の記事で紹介したジェームズ・ケイン/蕗沢忠枝訳『殺人保険』(新潮文庫1962)には、「ぽんつく頭」(p.179)*1など、いわゆる俗語の類がしばしば登場するので、そのような点でも興味深い。次のごとく言語遊戯めいた文章もある。

どいつもこいつも、セコハンは上々の部類で、三パン、四ハン、五ハン、中には九ハンともおぼしきボロボロ自動車も置いてある。(pp.163-64)

 「セコハン」が「セカンドハンド」の略であることを知っていなければ、恐らく意味が通じにくいことだろう。
 以下の「むくれる」は、方言ないしは「世代語」として残っているが、若い世代の間ではどうだろうか(表記は原文ママ)。

彼はムクレて怒鳴りだした。(p.77)

およそ午後五時頃で、キースはむくれていた。(p.112)

 「むくれる」は、ここでは「腹を立てる」「怒る」といった義で、この意味で用いられる「むくれる」はわりと新しい。『日本国語大辞典【第二版】』は、

*がらくた博物館(1975)〈大庭みな子〉犬屋敷の女「サーカスにいた時にあたしが気に入る返事をしないっていうんでむくれていたファンの巡査がいてね」

という用例を挙げるが、『精選版 日本国語大辞典』は少し遡って、

*見るまえに跳べ(1958)〈大江健三郎〉「舞台にかまわず〈略〉称賛の熱い言葉をかわしつづけたので良重がむくれてしまった」

という用例を挙げている。
 それで思い出したが、「ぶんむくにむくれる」という用例をかつて拾ったことがある(以下も表記は原文ママ)。

それで組長(おやじ)さんは余計ブンムクにむくれてるんですよ(結城昌治『夜の終る時』中公文庫1990←中央公論社1963;90)

もちろんツネ子はぶんむくにむくれて、別れるときも、四人の位牌だけは持たされて出た。(結城昌治『終着駅』中公文庫1987←中央公論社1984;156)

 これに類する表現は、ふつう「〔接頭辞(または接頭辞的なもの)+V(いわゆる連用形)=N〕+ニ+V」という形をとるので、「ぶんむくにむくれる」といった形になることが予想される。したがって、「ぶんむくにむくれる」は、結城昌治の「個人言語(Idiolect)」というべきものなのかもしれない。
 ちなみに「ぶんむくれ」の「ぶん」は、「ぶち明ける」「ぶち当てる」「ぶっ殺す」(<「ぶち殺す」)「ぶっつぶす」(<「ぶちつぶす」)などの「ぶつ」に由来する「ぶち」が、鼻音要素(m, nなど)の前で「ぶん」となったものだろう。「ぶん殴る」「ぶん投げる」「ぶん回す」などの「ぶん」も同断である*2
 丸谷才一は、その「ぶつ」について、

「ぶつ」は近松の使ひ方*3から見ても東国語だつたと推定されます。秩父の執権、本田の二郎の台詞にあるのですから。これが西国侍なら「それ打て叩け」となるところでした。さすがに近松の藝は細かい。
 それにかういふこともある。江戸初期、江戸で旗本奴とそれに対立する町奴とが奴詞(やっこことば)なるものを使つた。六方詞(ろっぽうことば)とも言ひますね。当然これは関東語を基本としてゐるわけですが、柳亭種彦の六方詞をあつかつた文章のなかに、「『事だ』を『こんだ』、『うちかくる』を『ぶつかける』」とある。西国の「打つ」が東国の「ぶつ」。近世に入ると後者が優勢になりました。これは素人の想像ですが、おそらく古代以来ずつと東国では使はれてゐて、しかし文献には出なかつたのぢやないか。(「どこから来た『ぶん殴る』の『ぶん』」『日本語相談 五』朝日新聞社1992;120)

と書いている。
 それでは以下、その他の「〔接頭辞(または接頭辞的なもの)+V(いわゆる連用形=N)〕+ニ+V」の形をとるものの例を挙げてみよう。

ハッキリとしたことはいえないが、ウロ覚えに覚えている、記憶の底をさぐってみると、(横溝正史八つ墓村』角川文庫1996改版;310)

開廷とともに、法廷は大荒れに荒れた。(大泉康雄『あさま山荘銃撃戦の深層(上)』講談社文庫2012←小学館2003;169)

伊藤武雄大怒りに怒ったんだ。」(阪谷芳直ほか編『われらの生涯のなかの中国―六十年の回顧』みすず書房1983;18)

で――身内の衆の耳に入らぬ内と/大急ぎに急いで/明日あたり/御江戸へ御差立に/成るちう事でしたョ!(伊藤大輔『忠次旅日記』日活大将軍撮影所1927の字幕)

変り果てた恩人の姿を見て、また大泣きに泣いた。(獅子文六『大番(上)』角川文庫1960;481)

対してシンボルとは何事か、戦力放棄とは何事か、閣議大モメにモメた。(堤堯『昭和の三傑―憲法九条は「救国」のトリックだった』集英社文庫2013←2004;103)

「それに乗じた家老二人が権力の座にのし上がろうと競り合って大揺れに揺れておる」(田中徳三眠狂四郎 女地獄』大映1968)

いまのうちに、小あたりにあたっておけば、後になってから何か、役にたつような知識が得られるかも知れない(高木彬光『人形はなぜ殺される』光文社文庫2006;132)

小肥りに肥った肩の稍(やや)怒ったのは、妙齢(としごろ)には御難だけれども、(泉鏡花婦系図新潮文庫2000改版;25)

かれは赭(あか)ら顔の小ぶとりに肥った男で、(岡本綺堂三河万歳」『半七捕物帳(一) お文の魂』春陽文庫1999所収;235)

色白の小ぶとりにふとった顔は、観音様のように柔和であった。(『八つ墓村』;136)

胸でお辞儀をして、笑顔で小揺(ゆす)りにゆすりながら、(里見弴「縁談窶」『恋ごころ』講談社文芸文庫2009所収;130)

その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひた隠しに隠して、(太宰治人間失格新潮文庫1985改版;14-15)

本人は、むろん、ひたかくしに隠しているが、(松本清張『真贋の森』角川文庫;45)*4

昨日ひいておいた糸をたよりに、私たちはひた走りに走った。(『八つ墓村』;440)

 次の例は、後項が「前項のV+接辞」の形をとって受身になっているもの。

三割引とか、半額とかいうなら、まだしもだが、大ボリに、ボラれたのである。(『大番(上)』;471)

その間には戦争という大きな出来事が起り、その大波に「文学座」は大揺れにゆすぶられ、幾人かの人が来り、また去ってゆきました。(杉村春子『楽屋ゆかた』学風書院1954;36)

 次の例は、前項のVに附くものが明らかに名詞(N)であるもの。これらはみな、「NノヨウニV」と表現することができる。

大川は前にも書いたように一面に泥濁りに濁っている。(芥川龍之介「本所両国」『芥川竜之介随筆集』岩波文庫2014所収;98)

子供が生れ、妻が育児に夢中になると、おばあちゃんも孫を猫可愛がりに可愛がった。(福永武彦『愛の試み』新潮文庫1975;21)

木田も佐保子もしばらくは棒立ちに立って、この光景に気をのまれてしまった。(松本清張「青春の彷徨」『共犯者』新潮文庫1980改版所収;122)

 それらのうち、後項が接辞を伴って受身になっているもの。

美しく山盛りに盛られてきびしい匂いを漂わせていながら、(トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山(上)』新潮文庫1969;52)

 上記からは外れる例をいくつか。

お網は肩をすぼめたまま、子供のように暫くすすり泣きに泣いていた。(吉川英治鳴門秘帖(二)』吉川英治歴史時代文庫1989;34)

「ウム、それもよかろう。いずれ今宵のうちに、吉左右が知れるであろうから、心待ちに帰郷を待っておるぞ」(同上p.60)

よしんば貴方が、つきッきりにそばにくッついたって、見る目かぐ鼻の取締りまではつかないんだから、(「縁談窶」;103)

しかもこう降りどおしに降られてみると、芯まで水浸しになったようで、(山本周五郎「その木戸を通って」四、沢木耕太郎編『山本周五郎名品館1 おたふく』文春文庫2018所収;232)

私は男泣きに泣いた。(『八つ墓村』;374)

美也子はこの家風などおかまいなしに、座敷へ入ると少し横のほうへ横座りに座ると、(同上p.88)

さて、こうして理詰めに押しつめていったところで、これからただちに犯人がわかるわけのものではないが、(同上p.212)

 もう十年以上も前のことになるが、『徒然草』第八十七段の「ひた斬りに斬り落しつ」という表現を導入として、これに類する表現の分類をこころみた論文を読んだのを記憶している。それを改めて参照したいのだが、筆者も、タイトルも、すっかり忘れてしまった。記憶を頼りに検索してみたが、巧く引っかからない。

夜の終わる時 (中公文庫)

夜の終わる時 (中公文庫)

終着駅 (中公文庫)

終着駅 (中公文庫)

*1:「ぽんつく」は見たり聞いたりしたことがあるけれど、「ぽんつく頭」というのはこの本で多分初めて見た。

*2:もっとも、「ぶちまける」など、鼻音要素の前であっても「ぶん―」とならないものもある。

*3:『出世景清』(貞享二年=一六八五年)に見える「それぶて叩けと下知すれば」という台詞。

*4:松本清張『梅雨と西洋風呂』(文春文庫)に「おれにわかるとどんなイチャモンをつけられるかもしれんというので、計画をひた隠しにしとるのだ」(p.47)と、中間的な形態「ひた隠しにする」が出て来る。これがさらに「ひた隠す」となるわけである。

ワイルダー『深夜の告白』とケイン『殺人保険』

 先日、ビリー・ワイルダー『深夜の告白』(1944米,″Double Indemnity″)がBSPで放送されていたので、綺麗な映像で観直してみた。「フィルム・ノワール」の先駆的作品、「保険金殺人もの」の嚆矢、などと云われたりする作品だが、まずは配役がいい。
 後年のワイルダーアパートの鍵貸します』(1960)での抑えた演技が忘れがたいフレッド・マクマレイは、当時はB級映画にばかり出演していたらしいが、この作品で主役のウォルター・ネフに扮し、スターダムにのし上がった。ディートリクソン(トム・パワーズ)の後妻で悪女役のいわゆる″ファム・ファタール″フィリスを演ずるのはバーバラ・スタンウィックで、金髪のウィッグを着けて難しい役どころに挑んでいる。フィリスの継子役のローラはジーン・ヘザーズで、彼女もなかなかチャーミング。そしてネフの相棒バートン・キーズ役がエドワード・G・ロビンソン、彼の熱演ぶりがとりわけ印象に残る。矢継ぎ早に喋りまくる一方で、冷静な判断力も有するいわば「素人探偵」を、これ以上はないといっていいほど巧く演じている。その主役をも凌駕しそうな演技は、ワイルダー『情婦』(1957)で弁護士を演じたチャールズ・ロートンを髣髴させる。
 本作はワイルダーレイモンド・チャンドラーとの共同脚本で、チャンドラーのカメオ出演もある*1。しかしチャンドラーはかつて、本作の原作者であるジェームズ・M・ケインを「文学の屑肉(くずにく)」とまで扱き下ろしていたのだそうだ*2
 ケインの原作も、映画と同じく″Double Indemnity″(1943年に『スリーカード』の中の一篇として刊行)というタイトルで、これを直訳するならば「倍額保険」「倍額補償」などとなるのだろうが、その原作が蕗沢忠枝訳で新潮文庫に入ったとき、『殺人保険』という邦題で出ている(1962年刊)。その登場人物名も、映画とはちょっとずつ異なっており、例えば主役のネフは「ウオルター・ハフ」、ディートリクソンは「ハーバート・S・ナードリンガー」、といった具合だ。
 ストーリー展開にも違いがあって、原作ではハフがフィリスのみならず継子ローラにも恋をすることになっていて*3、これが後に活きてくることとなるし、ハフがナードリンガー殺害に手を染めた後(倒叙ものなので述べても問題なかろう)の苦悩を克明に描写しているのはむしろ原作の方で(映画版のネフはむしろ冷静)、その後にも大きな展開が待ち構えているし*4、キース(キーズ)はナードリンガーの「自殺」を初めから殺人によるものと疑っている*5。また原作では、キースが「君が好きだったんだぞ、ハフ」と言い、ハフが「僕もそうだった」と応じる場面(p.181)があるけれども、ここはやや唐突に感じられる。映画では序盤にネフがキーズに″I love you,too.″と伝える場面があって、これがクライマックスの伏線となっており、無理はないように感じられる。そして、これまでネフにばかりタバコの火を点けさせていたキーズが「初めて」ネフのタバコに火を点けてやるのだが、原作にないこの演出も秀逸だ。
 もっとも、映画とは大きく異なる原作のラストもたいへん魅力的で、そのラストについては、沢木耕太郎氏がエセーの中で紹介している。曰く、

 主人公のウオルターは、フィリスという名の金髪の、悪魔的な魅力を持つ美人と知り合うことで犯罪への道に足を踏み入れてしまう。彼女の夫に傷害保険をかけ、列車からの転落死を装った殺人によって保険金を詐取しようとするのだ。すべてがうまくいきかけるが、殺した男の実子でフィリスにとっては継子にあたる娘に、ウオルターが強く魅かれはじめることによって、事態は錯綜しはじめる。互いに裏切り裏切られ、すべてが露見し、破滅したウオルターとフィリスは、南へ行く船に乗り合わせる。このラスト・シーンは、外国の小説で描かれた「道行」の中でも、最も美しいもののひとつであると思われる。(沢木耕太郎「ポケットはからっぽ」『バーボン・ストリート』新潮文庫1989:86)

 この後に沢木氏は蕗沢訳の一節を引き、それから、「人はいつ青年でなくなるのか。それは恐らく、年齢でもなく結婚でもなく、彼が生命保険に加入した時なのではあるまいか」(p.89)云々と書いている。
 ところでケインといえば、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(″The Postman always Rings Twice″ ; 1934)が最も有名で、これが遅咲きの(当時42歳)長篇デビュー作となった。『郵便配達』も複数回映画化されており、わたしは1946年のテイ・ガーネット版(ジョン・ガーフィールドラナ・ターナー)と、1981年のボブ・ラフェルソン版(ジャック・ニコルソンジェシカ・ラング)との2本を観たことがある。特に後者は、原作とはかなり異なっていて、ヒロインのコーラ(ジェシカ・ラング)に「悪女」といった雰囲気は殆どなく、しかも中盤以降は「恋の駆け引き」の様相を呈し始め、犯罪映画というよりは上質の恋愛映画のような仕上がりを見せている。
 なお『郵便配達』の方は最近も新訳が出ていて、2014年には7月に池田真紀子訳(光文社古典新訳文庫)が、9月には田口俊樹訳(新潮文庫)が刊行されている(田口氏はケイン『カクテル・ウェイトレス』も翻訳し、『郵便配達』と同時刊行している)。
 ちなみに池田訳の「訳者あとがき」によると、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』というタイトルについて、ケイン本人が次のように記しているのだそうだ。

(ケインは)『殺人保険』のまえがきで、友人の脚本家ヴィンセント・ローレンスとの会話がヒントになったと書いている。ローレンス宅に来る郵便配達員はいつも二度ベルを鳴らすので、玄関を開ける前から出版可否の通知が届いたのかもしれないとわかるという話を聞き、自分の新しい小説にぴったりだと閃いたのだという。なぜかと言えば、『郵便配達』の重要な出来事はすべて二度ずつ起きているからだ。(pp.241-42)

 但しこの「まえがき」は、上に見た蕗沢訳の新潮文庫では訳出されていない。

深夜の告白 [DVD]

深夜の告白 [DVD]

  • 発売日: 2011/02/15
  • メディア: DVD
バーボン・ストリート (新潮文庫)

バーボン・ストリート (新潮文庫)

*1:開始約14分にネフがキーズの事務所を出るシーンがあって、その出入口脇でタバコ片手に雑誌を読み耽っているのがチャンドラーである。

*2:田口俊樹訳『カクテル・ウェイトレス』(新潮文庫2014)の訳者あとがきなどによる。ちなみに、同書に附されたチャールズ・アルダイ「解説」によると、「彼(チャンドラー)は彼一流の雄弁さと辛辣さで次のように書いているーー″ケインは私が嫌悪する作家のあらゆる特性を備えている……彼は油じみたオーヴァーオールを着たプルーストであり、板塀のまえでチョークを持つ薄汚い小僧だ。そんなやつなど誰も見向きもしない″」(pp.504-05)。これに続けてアルダイ氏は次のように書いている。「明らかにチャンドラーはまちがっている。彼はもちろんケインを誹謗して言ったのだろうが、ケインにはチャンドラーの非難それ自体がそのまま勲章になっている。そして、ケインは誰からも″見向き″されていた」。

*3:映画版でも、ネフはローラに好意を寄せるが、それは恋愛感情とはおよそ異なるものである。

*4:さきに述べたように、ハフがローラも好きになることが、この後の展開に関わってくる。

*5:映画版でキーズは初め「事故死」だと考える。また原作のキースは「わたし自身の六感と、直感と、経験きり」(新潮文庫版p.107)を信ずるが、映画のキーズは、ーーこれは「六感」と似たようなものなのかもしれないがーー自分の胸のなかの″my littleman″に常に問いかける、という設定である。そしてキースは「大男で、でぶで、気難かしやで、おまけに理窟屋」(同p.99)と描写されるが、キーズ=エドワード・G・ロビンソンは、「気難かしやで、おまかに理窟屋」ではあるけれどもやや小男で、「でぶ」というよりは小太りである。

「~を鑑み」誤用説

 かつて、某首相が「未曾有」を「ミゾーユ」と読んで*1話題になったことがあった。当時は、「『未曾有』は『ミゾウ』と読むのが正しくて『ミゾーユー』は間違いだ」という批判に止まるのがせいぜいで、「未曾有」が歴史的にどう読まれてきたかということは殆ど耳目を集めなかった。
 飯間浩明氏によると、

ただ、私とともに『三国』(『三省堂国語辞典』)の編集委員を務める塩田雄大(しおだたけひろ)さんの調査によれば、戦前には、「未曾有」には「ミゾユー」「ミソーユー」など、少なくとも6つの読み方のあったことが確認されているそうです(『放送研究と調査』2009年2月号)。(飯間浩明三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から』新潮文庫2017:82)

といい、なるほど手持ちの内海以直『新編熟語字典』(又間精華堂1903)を引くと「ミソイウ」とあるし、大町桂月編『國語漢文 ことばの林』(立川文明堂1922)を引くと「ミソウイウ」とある。確かに明治・大正期にも、「これはミゾウと讀むので、わざ\/ミソウイウなど讀むは耳ざはりである」(大町桂月・佐伯常麿『机上寶典 誤用便覽』(春秋社書店1911:425)、「『ミソウユウ』と讀まず『ミゾウ』と讀む」(高野弦月『正續 誤りたる文字の讀方』尚榮堂1914:158)といった指摘はみられたけれども、そういう指摘があること自体、「ミソーユー」という読みがひろく行なわれた状況を示すものだし、指摘とはいえ「耳ざはりである」などと述べているだけで、それが何らかの「根拠」に基づく言葉とがめだったとも思われない。
 言葉の「正誤」を云々する際には、このように、後世になってから「誤」とされるに至ったものや言葉とがめの対象となったものが少くないことに留意しておく必要があるだろう。
 「人間(ニンゲン・ジンカン)」の読み分けなどもその最たる例かも知れない。すなわち、“「ニンゲン」と読むと「ひと」の義だが、「ジンカン」と読むと「世間、世の中」の義だ”、という言説である。
 この手の指摘がいつ頃生じたのかはわからないが、「たとえば、『人間』という字を、わたしたちは『にんげん』と読むが、漢文では『じんかん』で、俗世間の意味である」(安達忠夫『素読のすすめ』ちくま学芸文庫2017←カナリア書房2004;146)、「日本語では『人間』を今『にんげん』と読むが、古くは『人間』は『じんかん』で『世間・世界』の意である」(加藤重広『日本人も悩む日本語』朝日新書2014:43)など、最近の本からも幾つか拾える。
 しかし例えば大槻文彦言海』(吉川弘文館1904)は、

「にん-げん」(一)ヨノナカ。世間。「―萬事塞翁馬」閑看―得意人」
(二)佛経ニ、六界ノ一、即チ、此ノ世界。人間界。人界。
(三)俗ニ、誤テ、人(ヒト)。

という語釈を示し、むしろ「人間=ニンゲン」を「ひと」の意味で捉えることを俗用としており、しかも、「ジンカン」という読みを掲出しない。少し時代が下がるが、服部宇之吉ほか『修訂増補 詳解漢和大字典』(冨山房1940)でも、

【人間】ニンゲン(イ)ひとの世、この世。人世、世間。(略)(ロ)(邦)ひと、人類。「――ノ力。」

となっていて、「ニンゲン」で両義を表していたことが示される。こちらにも、「ジンカン」という読みは見えない。
 少し遡って、宇野哲人『明解漢和辞典【増訂版】』(三省堂1927)で「人間」を引いてみると、「ジンカン」「ニンゲン」の二つを挙げ、「ジンカン」は「よのなか。人世」、「ニンゲン」は「ひと。人類」として区別している。この頃から、「世間」を意味する場合には特にこれを「ジンカン」と読んで漸く区別するようになったとも考えられるが、そもそも、「ジンカン」「ニンゲン」の読み分けは、「悪(アク・オ)」「楽(ラク・ガク)」「度(ド・タク)」「易(イ・エキ)」などのごとく音の相違が意味の違いと対応しているものとは異なり、単に、漢音系か呉音系かというだけの違いであるはずだ。
 ちなみに、文化庁編『言葉に関する問答集【総集編】』(大蔵省印刷局1995)は、「人間、到る処、青山在り」の「人間」の読み方について、「『ジンカン』と読むことによって誤解を防ぐ方が好ましい読み方だ」が、「『ニンゲン』と読んで『ひと』と解釈し」てもかまわない(p.401)、と述べている。
 さて、ここ十年以上ちらほら目につく言葉とがめで、このところ特によく見聞きするようになった*2ものがある。
 「『~に』鑑み」を「正」、「『~を』鑑み」を「誤」だとする指摘である。そういった趣旨のブログの記事やツイートが、なぜか多く見られるのだ*3。しかもこれが、世代を問わず広くなされる誤用指摘なのである。
 結論からいうと、「~に鑑み」「~を鑑み」のいずれも誤りではない。しかし、なぜこのような言葉とがめが生ずるに至ったのかは、まだよくわかっていない。
 まず、手近な現行の国語辞典をいくつか参照してみると、西尾実ほか編『岩波国語辞典【第八版】は「先例に鑑みて」「時局を鑑みるに」という作例を、小野正弘編集主幹『三省堂 現代新国語辞典【第六版】』は「時局に鑑みて」という作例を、北原保雄編『明鏡国語辞典【第二版】』は「国際情勢を鑑みるに楽観は許されない」という作例を、山田忠雄ほか編『新明解国語辞典【第七版】』は「時局に鑑みて」という作例を、新村出編『広辞苑【第七版】』は「時局に鑑みて生産の増大をはかる」という作例をそれぞれ示している*4
 これらだけを見ると、「鑑みて」の場合には「『~に』鑑みて」の形が、「鑑みるに」の場合には「『~を』鑑みるに」の形が「正しい」のだ、と誤解する向きもあるだろうが、少なくとも、「~を鑑み」の形も誤用ではない、ということはわかるはずだ。
 後者の「鑑みるに」については、これを「~に鑑みるに」とすると「に」が前後で重複してしまうので、それを避けるため「~を鑑みるに」とするのが自然なのだ、という見方もできるだろう。一方で、前者「鑑みて」の場合も、松村明編『大辞林【第四版】』を引くと、

「来し方行く末をかがみて(=かんがみて)」〈謡・清経〉

という用例を拾っているし、『日本国語大辞典【第二版】』(以下『日国』)を引くと、

「臣が忠義を鑒(カンガミ)て、潮を万里の外に退け」〈太平記〔14C後〕一〇・稲村崎成干潟事〉

というのが見え、古典語の実例としてはむしろ「~を鑑みて」の方が目立っている。『日国』はその他にも、

「去(さる)天文是を鑑(カンガ)み名を改め」(浮世草子・新色五巻書〔1698〕五・三)
「此書を考(カンガミ)道をひらきふたたび帰路いたされよ」(浄瑠璃蘆屋道満大内鑑〔1734〕四)

と、「~を鑑み」の実例ばかり拾っている。
 なお『太平記』の例に関していえば、応永年間書写、大永~天文年間転写の「西源院本」(原文は漢字カタカナ交じり文)を底本にした岩波文庫本(2014-16刊)は「臣の忠誠を鑑みて、朝敵を万里の際に退け」(第十巻8「鎌倉中合戦の事」、『太平記(二)』:128)となっていて、多少の異同はあるものの、当該箇所はやはり「~を鑑みて」である。
 漢文訓読でも、「鑑+A」であれば「『Aを』かんがみる」と読み下すことが多いとおぼしい。
 まず諸橋轍次編『大漢和辞典【修訂版】』を引くと、「鑑止水 シスイニカンガミル」という読み下しにいきなりぶつかるが、典拠の『荘子』徳充符*5篇では「鑑於止水」となっているので、これは無視してよい。問題になるのは、先に述べた「鑑+A」の形で、例えば『千字文』中の「鑑貌辯*6色」を文選読した和訓*7は、「カムバウとかたちをかんがみて~」となっている(小川環樹木田章義注解『千字文岩波文庫1997:267)。
 また、戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』(第四版)で「鑑」字を引くと、

(1)かんが-みる。
(ア)かがみに照らす。映す。
明鏡可鑑形 めいきょうハかたちヲかんがミルべシ〈秦嘉―詩・贈婦詩〉
(イ)教訓にする。いましめにする。
後人哀之而之不鑑之 こうじんこれヲかなシミテこれヲかんがミず〈杜牧・阿房宮賦〉
(ウ)識別する。
鑑機識変 きヲかんがミへんヲしル〈晋*8・皇甫真載記〉

などのごとく、いずれも「~をかんがみ」と読み下している。
 秦嘉の贈婦詩は、『玉臺新詠』に収められているので、念のため手近な文庫本で確認してみると、「明鏡は形を鑒(かんが)むべし」と読み下している(鈴木虎雄訳解『玉台新詠集(上)』岩波文庫1953*9:118)。
 これらによるならば、漢文脈でも、「に鑑み」ではなく「を鑑み」の方が優勢であったと思われるのである。
 しかしながら、理由はなぜかわからないのだが(これが実に不思議なところで)、近代になるとこの多寡が逆転してしまう。
 まず「青空文庫」内を検索してみると(ノイズを除くと)、

「~に鑑み」57件、「~にかんがみ」13件
「~を鑑み」4件、「~をかんがみ」3件

と、10:1で「~に鑑み」の方が圧倒している。もっとも「~を鑑み」には、「家に飼う鳥の淘汰に人の力をかんがみる」(井上円了「西航日録」四十三、1903)といった古い例もやはり見うけられる。
 次に、現代日本語書き言葉均衡コーパスの「少納言」で検索してみると、

「~に鑑み」202件、「~にかんがみ」621件
「~を鑑み」49件、「~をかんがみ」16件

となっており、やはり約12:1の割合で、「~に鑑み」の方が多くなっている。
 このように、近代以降は「~に鑑み」の使用例が「~を鑑み」のそれを圧倒しているので、「『~を鑑み』は使った(聞いた/見た)ことがないので『~に鑑み』の方が正しいのだ」、という類推が働きやすかったのだろう、と思われる。
 またこれは思いつきの域を出ないが、あるいは、「大東亜戦争終結に関する詔書」(いわゆる玉音放送)などの影響もあるのではなかろうか。その冒頭に「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ」というくだりがあるのはよく知られるところで、ある年代以上にとっては、これが、「~に鑑み」を「正しい」とする規範意識を強めるものとして機能した可能性もあるのではないか、と思われる。

千字文 (岩波文庫)

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全訳漢辞海 第四版

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  • 発売日: 2016/10/26
  • メディア: 単行本
玉台新詠集 上 (岩波文庫 赤 10-1)

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  • 発売日: 1953/05/05
  • メディア: 文庫
太平記(二) (岩波文庫)

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  • 発売日: 2014/10/17
  • メディア: 文庫

*1:報道では「ミゾユー」「ミゾーユー」と読んだなどといわれたが、実際にはこう発音していたようだ。

*2:新型コロナウイルス感染状況(に/を)鑑み延期(中止)します」などといった文脈で多用される機会が多いから、それに対する反応として多く見受けられるのではないかと思われる。

*3:一方で、「~を鑑み」を「誤」と見なすのはネット由来のデマだ、と主張する記事も僅かながら見つかる。

*4:ちなみに、「鑑みる」を「他」動詞とするか「自他」両用とするかは辞書によって揺れがある。

*5:大漢和は「府」に作る。

*6:「辨」と通用する。

*7:千字文音決』。その奥書によると「貞永・天福の比(一二三二-一二三三)の手書」を「元禄七年(一六九四)」に写したものという。

*8:『晋書』。

*9:手許のは2008年2月21日第9刷。

獅子文六「牡丹」のことなど

 「三田文学」連載の対談をまとめた、石原慎太郎・坂本忠雄『昔は面白かったな――回想の文壇交友録』(新潮新書2019)を昨年末に読んでいたところ、次のような箇所が目にとまった。

坂本 (略)文六さんって人は、「牡丹」っていう絶筆を書いてね。
石原 読んだ、読んだ。
坂本 小林秀雄が絶賛してたの。
石原 あれ面白い文章だったな。僕はね、認める人は認めるんですよ、高橋和巳なんかもいい作家だけどね、力量があって。(略)(p.30)

 これに触発されて、正月の帰省時に、実家から『牡丹の花――獅子文六追悼録』(非売品、1971)を持ち出してきたのだった。
 紺色の染和紙に纏われた瀟洒な函に入ったこの本は、阿川弘之芥川比呂志淡島千景、石川数雄、上野淳一、扇谷正造大佛次郎加東大介角川源義川口松太郎河盛好蔵岸田今日子北杜夫今日出海渋谷実、田村秋子、辻嘉一戸板康二徳川夢声永井龍男長岡輝子中野好夫中村伸郎丹羽文雄野間省一、見川泰山(鯛山)、水谷準、三津田健など、錚々たる顔ぶれの揃った追悼文集で、文六先生関連書のうちでも、わたしの特にお気に入りの一冊である。背や扉の題字は小林秀雄によるものだ。
 その冒頭に(正確にいうと、まず数ページの口絵のモノクロ写真があって、その後に)、獅子文六「牡丹」が収められている。初出は「昭和四十五年五月「諸君」」となっている。すなわちこれは、文六の死後、約五か月経ってから発表されたわけである。
 この文章について、追悼録中の小林秀雄「牡丹」は次のごとく述べている。

 文六さんの三回忌には、友人達で思ひ出話でも持寄り、本にまとめてお供へしたらといふ話が出て、編輯の人から本の題名につき、相談を受けた時、『牡丹』と題する故人の名文を思ひ、「牡丹の花」とでもしたらどうかと、口には出さなかつたが、心のうちでは直ぐ思つた。それほど『牡丹』といふ彼の文には、心を動かされてゐたのである。亡くなつて間もなく、こんなものが机の引出しにあつたと言つて、夫人(文六の三番目の妻・岩田幸子氏―引用者)から、原稿を見せられ、早速、関係のあつた雑誌に、遺稿として、載せてもらつたのであつた。(p.14)

 当の岩田幸子氏(1911-2002)は、著書で次のように書いている。

 岩田(豊雄。獅子文六のこと―引用者)の亡くなった後、大磯の書斎から、未発表の原稿が、いくつか出て来たので、小林(秀雄)先生に見ていただき、遺稿として雑誌に載せていただいたが、「牡丹」という一文を、たいへん褒めて下さった。葬儀の時、委員長をしていただき、追悼文集を作る時も、「牡丹の花」という題名を書いて下さった。思い返せば御礼を申上げることばかりである。(「獅子文六の友人たち」『笛ふき天女』*1ちくま文庫2018:242)

 これらによれば、「牡丹」が絶筆なのかどうかは判らないわけだが、しかし読んでみると、これが確かに、死の影のちらつく随想になっていて、絶筆であったとしてもさほど不自然ではないようにおもえる。文六の随筆のアンソロジーを編むとすれば、最後に配置したい名品である。
 ところで、昨年12月7日から今年の3月8日まで、横浜の県立神奈川近代文学館にて「収蔵コレクション展18 没後50年 獅子文六展」がやっている*2。「特別展」ではなくて「収蔵展」だから、専用の図録は製作されていないのだが、観覧すると、菊判サイズで観音折の簡単なパンフレットが附いてくる。
 また、これとは別に1部100円で買える館報があって、その最新第147号で、文六に関する文章をいくつか読むことができる。山崎まどか獅子文六の創作ノート」(pp.2-3)と、岩田敦夫*3「父と神奈川」(pp.3-4)と、古川左映子「展覧会場から―『獅子文六業』への転業」(p.5)との三本である*4。その岩田氏の文章も、文六の「牡丹」に触れている。

「獅子に牡丹」という訳ではないだろうが、父は牡丹の花を大変愛していた。戒名の「牡丹亭豊雄獅子文六居士」も、生前お寺の和尚さんと相談し決めていたものである。大磯の庭に数株の牡丹を植えて毎年開花を楽しみにしており、東京に移ってからもふらっと大磯を訪ね牡丹と対面していた。亡くなった後に発見された「牡丹」という作品は、医者に病状を知らされ戸惑う自分の心を牡丹の花との対話のように綴ったものである。(p.4)

 展覧会を見ていて興味深く感じたのが、文六の「物持ちのよさ」である。それについては前掲の山崎氏が、「彼は「信子」の連載が始まる一九三八年の太平洋戦争前から六〇年代直前まで、二十二年に渡ってこのノートを使っていたという計算になる。物持ちがいいぞ、獅子文六。一冊のノートに、何という情報量。作品ごとにノートを変えたりしないのだ」(p.2)云々と記し、同じような点に驚きを示しているのだが、展示物のなかに、綺麗な状態のゴルフのスコアカードが何枚もあったことには、特に吃驚させられたものだった。
 文六とゴルフ、というと、木戸幸一「ゴルフをめぐって」(『牡丹の花』pp.17-19)という追悼文が面白い。その末尾を引いておく。

 岩田サンが(大磯から―引用者)東京へ移られてからは自然御一緒にゴルフをする機会も少くなりましたし、やがて健康を害されてゴルフは出来なくなったと話されるようになったのでした。
 岩田サンが文化勲章を受けられたので、早速御祝いの手紙を出し「スポーツシャツの上に勲章をブラ下げた貴兄と相模原頭で雌雄を決することが出来ないのは誠に遺憾千万。千載の恨事です」と申送ったところ、左記のような御返事を頂戴しましたが、これが同君からの最後の手紙となってしまったので、これを引用して結びと致します。

 拝復。今回不測の光栄に浴し早速御祝詞頂戴奉感謝候。スポーツシャツの上に勲章をブラ下げゴルフ致したきもドクター・ストップにては詮方なし。尤もこの間箱根でひそかに四ホール程廻り候処、腕前少しも衰へず、尊台なぞは歯が立たざるに非ずやと愚考仕候。何れ拝眉の上御礼申上候へ共、不取敢御挨拶申上度如此御座候。     岩田拝
   十月三十日
 木戸老台
   虎皮下

(pp.18-19)

 いかにも皮肉屋の文六らしい、エスプリのきいた書簡文であるといえる。

笛ふき天女 (ちくま文庫)

笛ふき天女 (ちくま文庫)

*1:単行本は1986年12月講談社刊。同書末尾には「文六教信者に」が収められているが、これは、『牡丹の花』の末尾の文章(pp.279-88)を再録したものである。

*2:その最後のほうに、『牡丹の花』と、小林が題字を記した色紙とが展示してあった。

*3:文六の長男。三番目の妻・幸子との間に生れた。

*4:ちなみに古川氏の文章は、『牡丹の花』から中村光夫による追悼文の一部を引用している。

藤原宰太郎・遊子の「父娘合作」

 藤原宰太郎*1氏(1932-2019)は、ミステリの面白さを教えてくれた点において恩人のひとりだといえる。
 巷では、藤原氏の著作群が古典的名作トリックのひどい「ネタばらし」の宝庫になっていたというので、「罪」の部分がクロースアップされることもしばしばだ。確かにその通りなのだが、それはひとり藤原氏の責任に帰せられないわけで、かつての(わたしが小中学生だった時分の)子供向け漫画や、子供向けの手引き類*2はおおむねそんな状況だった。わたし自身、漫画やクイズ本であらかじめ犯人やトリックを承知したうえで原作にあたる場合も多かった。もっとも、最近では、作品の根幹にはあえて触れずにすませたり、「この後の記述にはネタバレが含まれます」などとあらかじめ注意を促してくれたりする解説書類も増えている、というか、それこそが「常識」「お作法」になっているが。
 ともかく、わたしにとって藤原氏の著作群は、「功」の部分がむしろ大きかったわけで、ネットも何もなかった時代に、世界には他にどんな探偵がいるのかとか、次に何を読むべきなのかとかいった、いわば名作ミステリの指南書の役割を果たしてくれた。
 わたしが当時よく読んだ藤原氏の本は、『探偵ゲーム―怪盗Xより七つの挑戦状』(KKベストセラーズワニ文庫1989*3)、『真夜中のミステリー読本―古今東西、名&珍作ガイド』(KKベストセラーズワニ文庫1990)、『あなたの頭脳に挑戦する 世界の名探偵50人―推理と知能のトリック・パズル』(KKベストセラーズワニ文庫1984*4)、『知的興奮をもう一度…… 続・世界の名探偵50人―推理と知能のトリック・パズル』(KKベストセラーズワニ文庫1994 *5)、『推理狂 謎の事件簿―奇想天外のトリックを楽しむ』(青春BEST文庫1990)、『日本縦断ミステリー紀行 名探偵に挑戦(第三集)―あなたの故郷で事件が起こる!』(KKベストセラーズワニ文庫1991)、『殺人ファイル 犯人は誰だ!?―奇想天外! 殺人トリックにあなたも挑戦!!』(にちぶん文庫1994)。
 わけても『世界の名探偵50人(正・続)』『真夜中のミステリー読本』の三冊は、何べんも繰り返し読んだし、いまでも時々披く。『世界の名探偵50人(正・続)』などは、掲載されているデータこそ古いかもしれないが、たとえば創元推理文庫エドワード・D・ホック木村二郎訳『怪盗ニック全仕事』が全六巻で出たり(2014―19年)、作品社からバロネス・オルツィ『隅の老人』やジャック・フットレル『思考機械』(全二巻)が平山雄一訳で完全版として出たり(2014年・2019年)、春陽堂書店から横溝正史の『人形佐七捕物帳*6が完本として全十巻で出たり(刊行中。既刊1巻)しているといった現状に鑑みるならば、名作ミステリのガイド役たる鮮度をなお保っているとさえおもう*7。この二冊での「ネタバレ」を避けたいのであれば、クイズやコラムを読み飛ばして、探偵のプロフィルだけ読めばよい。
 さて昨年末のこと。『真夜中のミステリー読本』が、「改訂新版」として装いも新たにふたたび世に出た。藤原宰太郎・藤原遊子『[改訂新版]真夜中のミステリー読本』(論創社)がそれである。共著者・藤原遊子氏は宰太郎氏の長女。宰太郎氏は2000年代初頭に、「遊子」名義で小説を書いていたこともある。「あとがき」で遊子氏が、

 実際の父も、用事のない限りほとんど書斎から出ることなく、一日中トリックのことを考えているような人でしたから、世事や流行にはとても疎く、小説の中の事件現場は自分の故郷(広島県尾道市―引用者)や母校であったり、登場人物の女子大生は性格も趣味も娘の私そのままのプロフィールであったり、娘と同じ名前の女性を殺してみたり、と自分の身近なネタばかりを小説に使うので、家族にとってはかなり迷惑でしたが、今となってはいい思い出です。(p.184)

と書いているのが微笑ましい。また遊子氏は、改訂新版の編集方針について、「二一世紀のIT社会にも通用するミステリーの案内書(ガイド)を作りたいという父の遺志を引き継ぎ、娘の私が加筆や訂正、および項目の削除を行い、『真夜中のミステリー読本』を生まれ変わらせました」(pp.182-82)、と書いている。
 そのような元版との異同については、アマゾンの書評子が、削除された項目を中心にして実に丁寧な比較検討を行っているので、ここでわたしがあれこれ述べる必要はないだろう。そちらで書評子は、「削除の基準は(略)多くは『今日的観点』と思う」と書いており、「今日的観点」の具体的な項目として、「人権意識」「ネタばらし、トリックばらし」等を挙げている。わたしもざっと読み較べてみて、確かにその通りだろうとおもった。元版p.51の「外人」が改訂新版p.30で「外国人」となっていることや、プロローグの「読むためにも知りたい推理小説これだけのルール」(改訂新版では「読むためにも知っておきたい推理小説のルール」)で、ある海外作品の犯人がいきなり明かされてしまうのがぼやかされていることなども、多分この類であろう。さらに書評子が、改訂新版の「大変良い工夫」として、「可能な限り、トリックの原典の作品の名前を注の方に移し」たことを挙げているのにも同感であった*8
 ただ、意味が通じにくいとはまったく思えない文章にもあちこち手を加えているのであり、その理由はよくわからない。
 宰太郎氏は晩年には脳梗塞を患い、ミステリの世界からは離れ、厖大な蔵書も全て手放してしまったとのことだが、「〈インタビュー〉推理小説と歩んだ半世紀」(『藤原宰太郎探偵小説選』論創ミステリ叢書2018、pp.394-416)を遺してくれたのは、一ファンとしてたいへん嬉しい。インタビューでは、旧河出書房の倒産後に『探偵ゲーム』が「KK河出ベストセラーズ」から出た経緯や(KK河出ベストセラーズ社長の岩瀬順三〔1986年歿〕と宰太郎氏とは、同じ中学の出身だという)、子供向け推理クイズを学年雑誌に執筆するようになったきっかけなどについても語っている。ちなみに、この談話でインタビュアーが言及している『真夜中のミステリー読本』の記述(p.414)や、『藤原宰太郎探偵小説選』の解題(呉明夫)で紹介された『真夜中のミステリー読本』所収の「久我京介のミステリー談義」(同p.423)は、いずれも改訂新版では削除されている。

改訂新版 真夜中のミステリー読本

改訂新版 真夜中のミステリー読本

藤原宰太郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書 113)

藤原宰太郎探偵小説選 (論創ミステリ叢書 113)

*1:本名「宰(おさむ)」。

*2:とりわけ印象に残っているのは「てのり文庫」で出た幾冊かの本。ふと学研の『世界の名探偵ひみつ事典』というのも思い出したが、こちらは藤原氏の監修。

*3:元版は1968年刊のKKベストセラーズ

*4:元版は1972年刊のKKベストセラーズ。手許にあるのは「1994年7月1日十四版」。「名探偵は死なず―まえがき」の末尾に「一九八四年」とあるにも拘わらず、その冒頭が「推理小説の始祖E・A・ポーが一八四一年に名探偵デュパンを創造してから、約百三十年間、それこそ無数の探偵が世に出ました」(p.3)と、おそらく元版の形のままになっているのが可笑しい。

*5:これには元版がなさそうで、オリジナル文庫として出たものと思われる(ここに挙げたもののうち、『探偵ゲーム』『世界の名探偵50人』の二冊以外は、みな文庫版がオリジナルの形であったようである。ここで「思われる」「ようである」などと言うのは、いずれも巻末などに書誌が全く示されておらず、詳細がわからないためだ。なお『続・世界の名探偵50人』の「プロ&アマ探偵、ゾクゾク登場!―まえがき」末尾に、「二十年後といわずに、十年以内には、早くも三冊目の『世界の名探偵50人』シリーズを書くことになりそうです。/そのときは、またよろしく」(p.5)とあるが、それが果されなかったのは残念である。

*6:BSフジでは、林与一版「人形佐七捕物帳」(1971年、全26話)が放送中だ。わたしは第十話まで見ている。特におもしろかったのは、宝田明が将軍家斉に扮した「第五話 折れた扇子」(監督は第一話に引き続き田中徳三!)、佐々木功ささきいさお)出演回で二転三転する展開が見ものの「第六話 雷の宿」、鳳八千代・岩崎智江・西山恵子、三者三様の女性たちの物語とでもいうべき「第十話 怪談・変幻地蔵」。

*7:怪盗ニック・ヴェルヴェットは続篇pp.125-30、隅の老人は正篇pp.41-46、思考機械バン・ドゥーゼンは正篇pp.48-52、人形佐七は正篇pp.77-80にそれぞれ登場。

*8:さきに述べたプロローグ中の「ある海外作品」には、注さえ附けられていない。やや大げさにいうと、ミステリの歴史にも関わる問題なので、たとえ注の形であっても作品名を記すことにためらいがあったのだろうか。

渡辺一夫とモンテーニュ

 『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか――渡辺一夫随筆集』(三田産業2019)という本がある。これには、標題の「寛容(トレランス)は自らを守るために不寛容(アントレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか」(pp.110-30)のほか十六篇(計十七篇)の渡辺一夫による随筆が纏められている。
 1951年の7月に書かれた「寛容は自らを守るために~」は、これまでに出た文庫にもしばしば収録されている。たとえば渡辺一夫『僕の手帖』(講談社学術文庫1977)*1のpp.99-117や、大江健三郎清水徹編『渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二篇』(岩波文庫1993)のpp.194-211、そして最近では、トーマス・マン渡辺一夫『五つの証言』(中公文庫2017)のpp.185-207がある。但し各版に小異があって、三田産業版はエピグラフとして掲げられたガブリエル・セナック・ド・メーラン(1736-1803)の言葉(二宮敬氏によれば「出典は未詳」だそうだが)が省かれているし*2、中公文庫版には末尾に「附記1」(1967年)、「附記2」(1970年)が附される。いささか時評めいた「附記1」は蛇足であるようにもおもうが、それはさて措き。
 わたしが渡辺の随筆のうち最も心惹かれるのは、書物や読書に関するもので、『僕の手帖』に収める「古本」「読書の悲哀について」「読書の恐ろしさについて」「読書の思い出」、あるいは『狂気について』に収める「買書地獄」「本を読みながら」、渡辺一夫『白日夢』(講談社文芸文庫1990)に収める「書痴愚痴―一九四六年―」*3、「架空文庫について」*4あたりをとりわけ好む。
 特に「古本」の、次のようなくだりがいい。

 つまり、このはかない、残忍な世の中で、昔から、現在の自分と全く同じようなことを考え、同じことに興味を持つ人々がいるということが、古書の存在によって証明されるのは何よりもうれしく、楽しいことである。書物を愛し、古本屋めぐりをするのがすきな人々ならば、こうしたうれしさ楽しさは、何度となく感ぜられるであろう。
 暇を作って、古本屋に這入り、ぼんやり書棚を眺めているうちに、昨夜考えたことや、昔興味を持ちながら忘れてしまったことなどに関するぼろぼろな古本を発見した時のたとえようもないうれしさは、こうした経験のない方々には全く判らないだろう。(略)僕は変態ではないつもりだが、古本の匂いならば、どんな匂いでも、くんくんと嗅ぐ。新刊本の匂いもよいけれど、古本の匂いはまた格別である。新刊本の匂いが、みどり児の甘い匂いとすれば、古本の匂いは豊かな大人の体臭であり、時には屍臭であり、しばしば焼場の匂いである。みどり児の匂いは、ただ単に感覚的であるが、大人の体臭、屍臭、焼場の匂いは、それ以外のものを持っている。それ以外のものは何だかはっきり判らないが、人間世界を狼星(シリウス)の高みから眺めるような幻想を与えるものも含むと言ったら変であろうか?(「古本」『僕の手帖』講談社学術文庫pp.121-22)

 書物随筆以外のもので印象に残っているのが、1947年に書かれた「モンテーニュと人喰人」だ。オリジナル編集の『五つの証言』(中公文庫)の解説「第六の証言」(山城むつみ氏)が渡辺のこの随筆に触れて、「渡辺一夫にとってモンテーニュは、ラブレーを補うユマニストだった」(p.208)云々と書いている。ただし『五つの証言』は、渡辺の「モンテーニュと人喰人」を併録しておらず、文庫版としては、『狂気について』がこれを収めている(pp.79-95)。
 「モンテーニュと人喰人」は、モンテーニュの「人間」に対する認識について述べたものである。すなわちモンテーニュにとっては、新大陸アメリカやアフリカの「人喰人」が、「野蛮人」やラブレーが準えたような「怪物」などではなく、「ヨーロッパ人同様の」、それどころか「失った美徳すら持っている『人間』」であったと論じた文章で、ルネサンス期の「人間」観のコペルニクス的転回を、モンテーニュの思想に見いだし、考察している。
 これを、くだけた話しことばで説いたのが、渡辺一夫ヒューマニズム考―人間であること』(講談社文芸文庫2019)に収める「新大陸発見とモンテーニュ」(pp.169-94)であり、そこで渡辺は、「モンテーニュは、いわゆる文明人の思い上がりと、偏見とを明らかについているように考えられます」(p.185)、と結論している。
 いずれの随筆でも渡辺が参照しているのが、モンテーニュ『エセー』第一巻三十一章の「人喰人について」である(原二郎訳の岩波文庫版では、「食人種について」)。
 この章は、『エセー』中のハイライトに数えられることもある。たとえばレヴィ=ストロースは、1992年9月に書いた随筆「モンテーニュアメリカ」で、当該章を参照しつつ、

 「われらが人食い人種」と彼(モンテーニュ)が呼んだブラジルの野蛮人は、社会生活を可能にするのに必要な最低条件という問題を彼に投げかけた。言い換えると、社会的絆の本性とは何かという問いである。その問いへの書きかけの応答が『エセー』にいくつも散りばめられている。とりわけ明らかなのは、モンテーニュはその問いを定式化しながら、ホッブズ、ロック、ルソーの手で一七、一八世紀のあらゆる政治哲学がその上に築き上げられていく基盤を築いたということである。(クロード・レヴィ=ストロース渡辺公三監訳・泉克典訳『われらみな食人種(カニバル)―レヴィ=ストロース随想集』創元社2019:136)

と述べ、モンテーニュが切り拓いた「ある文化が異文化を評価する拠り所となるどんな絶対的基準も受けつけない相対主義」(p.138)を称揚しているし、保苅瑞穂『モンテーニュ―よく生き、よく死ぬために』(講談社学術文庫2015)*5も、第一部「乱世に棲む」の「怒りについて―人食い人種は野蛮か」で『エセー』第一巻三十一章(保苅氏の訳では、「人食い人種について」。後に挙げる宮下氏の訳文も同断)を引き、

 野生の意味を逆転させ、それによって人為と自然をめぐる価値の判断までも逆転させようというのがかれ(モンテーニュ)の狙いなのである。この価値の逆転はもともとかれの根底にある考えであって、人間の人為が変質させて自然の姿から逸脱させたものこそが、反対に「野生」なのだと言いたいのである。(p.47)

と書いているし、また宮下志朗モンテーニュ―人生を旅するための7章』(岩波新書2019)の第五章「文明と野蛮」も、当該の章から幾つかの文章を引用しながら、モンテーニュの思想の根柢に、「文化相対論」(p.148)、「エコロジーの原点のような発想」(p.150)などの観点があることを述べている。
 これを要するに「人喰人について」は、モンテーニュの先見性がよく表れた一章である、ということだ。

狂気について―渡辺一夫評論選 (岩波文庫)

狂気について―渡辺一夫評論選 (岩波文庫)

*1:河出市民文庫(1952)版がもとになっている。

*2:巻末の「凡例」には、「底本にあったエピグラフと「附記」、外国語の原綴は省略した」と明記してある。

*3:ちなみに「トーマス・マン『五つの証言』に寄せて」で渡辺は、「このマンの小冊(「ヨーロッパに告ぐ」のこと)は、戦争が始まった時以来、他の三、四冊の書籍といっしょに常に雑嚢のなかへ入れて身辺から離さずに置いたものでありますが」(『五つの証言』p.11、『狂気について』p.120)と書いているのだが、「書痴愚痴」によれば、その「他の三、四冊」というのは、アンリ・バルビュス『知識人へのマニフェスト』、ロマン・ロラン『動乱の上に立ちて』、ジュール・ロマン『精神と自由』、プレイヤード叢書の『ラブレー全集』、岩波文庫版の『陶淵明詩集』の五冊だといい、「厚さは全部で約二寸ぐらいだった」(p.29)とのことである。

*4:確かこれは、『亀脚散記』(朝日新聞社1947)で最初に読み、感銘を受けたのではなかったか。

*5:元本は、『モンテーニュ私記―よく生き、よく死ぬために』(筑摩書房2003)。