こわい話、おそろしい話

 前の記事で田中貢太郎について述べたが、貢太郎の「竈の中の顔」をここで紹介したことがある。当該箇所を再掲すると、

(注:種村季弘の)『日本怪談集』によって知った一篇に、田中貢太郎の「竈の中の顔」というのがあり、これは文句なしに恐ろしい怪談である。とはいえ、怖い映画やドラマのせいで免疫がある我々現代人からすると、あまり怖くはないようにおもわれるかもしれない。だが、活字で読む怪談では、もっとも怖い話の部類に入ると考える。この「竈の中の顔」は、田中貢太郎『日本の怪談』(河出文庫,1985)という『日本怪談大全』の抜萃本にもちゃんと収録されており、東雅夫編『田中貢太郎 日本怪談事典』(学研M文庫,2003)の「囲碁」の項や、『種村季弘―ぼくたちの伯父さん』所収の「種村季弘フェイヴァリット・アンソロジー」等にも再録されているので、比較的入手しやすいのではないか(文庫本は現在すべて品切ではあるけれど)。

 その後気づいたが、「竈の中の顔」は、安野光雅森毅井上ひさし池内紀編『ちくま文学の森6 恐ろしい話』(文庫版2011*1。単行本は『ちくま文学の森7 恐ろしい話』1988刊)にも収められていた。現在はこれがいちばん入手しやすい文庫ということになろう。底本は上で触れた『日本の怪談』(河出文庫)。
 『恐ろしい話』は、マニアックな短篇も収めているが、ディケンズ*2「信号手 The Signalman」などの定番作品も入っている。わたしはこの作品を、『恐ろしい話』が底本とした小池滋石塚裕子訳『ディケンズ短篇集』(岩波文庫1986)所収訳(小池滋)で知り、初読の際にはぞっとしたことを憶えている(小池氏の解説をあわせて読むとさらに恐ろしい)。
 「信号手」には近年の柴田元幸訳もあり、そちらは、『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談―憑かれた鏡』(河出文庫2012←河出書房新社2006)で読める。同書収録のゴーリー選の作品は、ブラックウッド「空家」*3、ジェイコブズ「猿の手*4、コリンズ「夢の女」等、怪談名作選でよく見る定番ものばかりでオリジナリティはさほどないが、自筆のイラストを添えている。

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 「信号手」は、結末部に合理的解釈(怪談なので文字どおり「合理的」ではないが)が用意されているが、一方の「竈の中の顔」は結末部が「宙吊り」になっていて、それゆえに恐ろしい。
 結末の「宙吊り」感、というのでおもい出すのが、小泉八雲の「茶碗の中 In a Cup of Tea」である。これはもと『骨董』に収められた作品で、小林正樹『怪談』(1964)が映像化している。ここで紹介したことがある。リンク先で引用したのは池田雅之訳だが、岩波文庫版『骨董』(現在「品切重版未定」)は平井呈一訳である。
 この平井訳は、最近文庫化された(元は1991年のちくまプリマーブックス版)紀田順一郎編『謎の物語』(ちくま文庫)にも入っているので、ふたたび手軽に読めるようになった。
 また、『謎の物語』は、末尾にブッツァーティ「七階」(脇功訳)を収めていて、幽霊妖怪の類が出て来る話ではないが、これもかなり怖い話である。同作品も、近ごろアンソロジィでよく目にするようになった。たとえば関口英子訳『神を見た犬』(光文社古典新訳文庫2007)*5に入っているし、北村薫氏も『謎のギャラリー こわい部屋』が新潮文庫に入った際(2002年)にこの「七階」をブッツァーティ「待っていたのは」*6とあわせて収めている(いずれも脇功訳)。『こわい部屋』も、今月ふたたび文庫版で刊行された*7から、「七階」は、新訳(関口訳)も旧訳(脇訳)も簡単に手に取ることができるようになった。

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 こわい話、といえば、江戸の怪談集を避けて通ることはできまい。
 高田衛編・校注『江戸怪談集(上)(中)(下)』(岩波文庫)がその主なものを収めているが、根岸鎮衛『耳囊』も忘れてはいけないだろう。単に不思議なだけの話やまじないの文言、滑稽な話もおおく収めてあるが、巻之一の「怨念無しと極難き事」という幽霊話はかなり恐ろしい。以前(十年前)匿名でオカ板上に現代語訳したことがある。出来のよい訳ではないが、すこし手を加えて再掲しておく(逐語訳ではないが、なるたけ忠実な訳をこころがけている)。

 湯島聖堂の儒生でいまは高松の松平家に仕える、(苗字は忘れたが)佐助という男が、壮年のころ深川へ儒学の講義をしに行った。
 黄昏どきになったが家までの道のりは遠かったので、帰途、仲町の茶屋に立ち寄った。そこで女をとって遊んでいたが、夜がふけると、二階下から、しきりに念仏を唱える声や、梯子をのぼる音が聞こえてきた。かと思うと、外の廊下を通る者がある。恐ろしくなった佐助が、障子の隙間から覗くと、髪を振り乱して両手を血に染めた女が廊下を歩いていた。気絶するほど恐ろしくなったので、布団に戻って夜着を頭からひきかぶっていた。
 そのうち障子の外が静かになったので、横で寝ていた妓女に、こんなことがあったと話したところ、妓女は言った。
 「やはりそうでしたか。この家には昔、おおぜいの夜鷹をかかえた親方がいたのですが、そのひとりが病身で、一日客をとれば十日臥せっているというしまつ。親方はそれに憤って、その妓女にたびたび折檻を加えていました。しかし、親方の妻には慈悲の心があったのでしょう、この子は病気の身なのですから、と折々窘めて、旦那の折檻を思い止まらせておりました。あるとき親方はいつも以上に怒り狂っており、妓女を殴ったり蹴ったりしはじめました。例のごとく妻が見かねて止めようとなだめたところ、親方はさらに憤激し、脇差を抜いて妻に切りかかってきました。妓女が両手で刀を受けてこれをかばったところ、指が残らず切り落とされてしまったそうです。妓女はその傷がもとで亡くなってしまいました。その後、かの女の亡霊が毎夜あのとおり出るようになり、客足が日に日に遠のいたという次第なのです」
 翌朝、佐助は別れを告げて家へ帰った。それからあまり日の経たないうちに同じところを通りかかったが、かの色茶屋は跡形もなくなっていたという。

謎の物語 (ちくま文庫)

謎の物語 (ちくま文庫)

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

こわい部屋―謎のギャラリー (ちくま文庫)

こわい部屋―謎のギャラリー (ちくま文庫)

耳嚢〈上〉 (岩波文庫)

耳嚢〈上〉 (岩波文庫)

*1:あくまで「文庫版」なのであり、「ちくま文庫」ではない様だ。

*2:今年が生誕200年に当る。日本版Googleのホリデーロゴにも登場したと記憶する。

*3:「ジム・ショートハウスもの」の一篇。今年はじめに南條竹則訳『秘書綺譚―ブラックウッド幻想怪奇傑作集』(光文社古典新訳文庫)が出ており、冒頭にこの「空家」が収録されている。

*4:都筑道夫作品に、パロディの「猫の手」がある。

*5:この古典新訳文庫版には、ブッツァーティの短篇が22篇収められていて、新本の邦訳では長らく読めなかった「戦艦《死》」も訳出されている。この作品については、筒井康隆氏が『本の森の狩人』(岩波新書1993)で「なんともう二十六年も前、『SFマガジン』におれの「カメロイド文部省」と並んで「戦艦の死」という短篇が紹介されている」(p.50)と述べ、作品の梗概について書いている。もっとも筒井氏は、当該部でブッツァーティの「タタール人の砂漠」をメインに紹介しており、解答の与えられない不条理文学の傑作、と評している。これもまさに「宙吊り」感のある作品といえるだろう。未読だが。

*6:「待っていたのは」はこのアンソロジィではじめて知った。ブッツァーティは「イタリアのカフカ」などと称されることも多いそうで、確かに「待っていたのは」は、カフカの『審判』をおもわせるような、これまた怖い作品である。

*7:北村氏と宮部みゆき氏の対談と田中小実昌訳のスイーニイ「価値の問題」とをあらたに収録した、ちくま文庫版『こわい部屋―謎のギャラリー』。