中野重治のことば談義

 「させていただく」という表現に不快感を表明した文章を探してみると、あるわあるわ、かなり見つかった。
 意外なところでは、中野重治の言がある。

中野 例えばだれかが死にますね。そこへ香奠を送るでしょう。いろんな場合がありますが、どうもありがとう、三七日も済んで、勝手ながら○○病院、○○施設、○○学校とか、そういうところへ寄付「させていただきました」ことをお知らせ申しあげますというふうに言ってくる。あれを私は、本人の気持ちを不愉快に思うんじゃなくて、ことばを非常に不愉快に思うんです。例えばそばをたべようと思って狙っている店へ行くでしょう。そうすると、「勝手ながら本日は休ませていただきます」(本文ママ―引用者)と。そういう場合はまあ仕方がないと思うけども、「いただきます」と、こっちへ責任をね……。(略)あんなことはいつごろからですか。
岩淵 わたしの経験では、わたしは昭和十三年に大阪高等学校の教師になって赴任したんです。東京では「本日休業」という素気ない看板が出てたのに、大阪へ行きますと「本日休ませていただきます」という看板が出ているんです。
岩淵悦太郎×中野重治「日本語が日本人を作る」,岩淵悦太郎『日本語対談』筑摩書房1978所収pp.90-91)

 この対談はもと「言語生活」(昭和五十二年二月号)に掲載されたものだが、速記を担当したのが、松本清張の「影武者」でもあった福岡隆である。福岡はその著書『活字にならなかった話―速記五十年』(筑摩書房,1980)に、こう書いている。

 私は、新日本文学会の会員の中で中島健蔵氏を早口の代表として挙げたが、それとは対照的に遅口の代表は野間宏氏であり、次は中野重治氏である。野間氏は実にゆっくりとした話しぶりで、速記を必要としないくらいだった。しかも「だがしかし……」で何回もつないでいくから、はたして言わんとする真意が那辺にあるのか、ちょっとつかみにくい。その点、中野重治氏のほうは、いわゆる説得型で、「……である。……であるけれども」と前の言葉を繰り返しながら弁証法的に発展させていくから、話もわかりやすいし書きやすい。これはなにも参議院議員になったからではなく、長い左翼運動の中で自然と身につけたものかもしれないし、もっと言えば、先天的なものかもしれない。いずれにしても福井弁特有のソフト・ムードと、大人風な話しぶりには好感が持てた。普通なら「いいかげん」と言うところを「いいころかげん」(「ころ」に傍点―引用者)と言うのも、この人の特徴として印象に残っている。
 中野重治氏の速記は、「新日本文学」ばかりでなく、「展望」でも「言語生活」でもやったし、また『中野重治全集』の座談会でもやった。ことに忘れられないのは、前(当時―引用者)国立国語研究所所長岩淵悦太郎氏との対談「日本語が日本人を作る」で、これはその後、筑摩書房から刊行された『日本語対談』の中にも収められた(pp.101-02)

 そして福岡は、対談から一部引用しているのだが、『日本語対談』所収のものとはかなりの異同がある。「偉い人がずっとたくさん」(『日本語対談』)→「偉い人がずらりとたくさん」(『活字にならなかった話』,以下もこの順)、「段落に分けて説明するとか、わたし、あんなことやってもいいとは思いますが、あれを教科書に」→「段落に分けて説明するとか、あれを教科書に」、「読ませなきゃいけないとわたくしも思っています」→「読ませなきゃいけないとわたしも思っています」、「方向に少しずつ向いている」→「方向に少しずつ向いている」、「日本の学者で植物学でも地質学でもいろいろ書いてる人いますよ」→「日本の学者だって植物学でも地質学でも数学でもいろいろ書いてる人いますよ」、「難しい分子結合がどうとかこうとかいうようなことじゃなくて、また数学でも専門の狭いところへ入ったものじゃなくて、数学に関していいこと書いてますよ」→「むずかしい専門的なことじゃなくて」、「日本語とか国語とかっていうものを一所懸命教えるとすると」→「日本語とか国語とかっていうものを教えると」。たった一ページ弱の引用なのに、これだけ相違点があるのは一体どういうことか。初出誌と単行本との違いなのだろうか。
 それはさておき、この対談で中野は、「させていただく」のほか、教科書の編纂方針にも苦言を呈している。それから、書簡文教育にもちょっと言及していて、いろいろと興味ふかい*1。また対談でも紹介されているが、中野には単著として『日本語 実用の面』(筑摩書房,1976)というのがある。その前年に出た『本とつきあう法』(筑摩書房)と対をなすような装幀のこの本には、「日本語の問題」は「政治的に保守的な人々と進歩的な人々とが」手を携えて取組むべきものだ、という主張が一貫していて、中野の意外な一面を窺い知ることが出来るとおもう。
 ここにも、中野の言葉や日本語の表現に対する好悪がはっきりとあらわれている。たとえば、「したがいまして」には「ファシスト的な日本侵略主義の匂いが骨髄までしみこんでいると考え」(p.61)、この言葉の「プリオリテート」が東條英機にあるのではないか、と書く。また「おぼつく」という言葉を「川下へさかのぼるのよりももっとおかしなことになる」(p.70)と評し、当該節では金田一春彦『日本語』(岩波新書)の一刷と重刷との違い(「三周忌」→「三回忌」)にも言及していておもしろい。ほかに、「着かえる」を「着がえる」と濁るのや、「さらなる前進」というのを好かない、などといったことも書かれてある。
 そうそう、「まかり通す」は自他のねじれ*2ではないか、という指摘もあった(p.274)。最近(ついふた月ほど前)、たしか石原慎太郎都知事が「まかり通す」を使ったので、ちょっと話題になったのだった。都知事だったとおもうのだけれど、そうでなかったらすみません……。

活字にならなかった話―速記五十年 (1980年)

活字にならなかった話―速記五十年 (1980年)

*1:ちなみに岩淵は、学生の頃に「商品注文の候文」を書かされたが、そんなのは書けるわけがない、と述べている。

*2:「立ち上げる」も「自他のねじれ」現象としてしばしば論われるが、こちらは単純にそうとも言い切れないらしいことを小谷野先生が書いていた。