言葉の正しさ?

 某所にてお話しした内容の一部を修正して、ここに掲げます(あるかたのご意見を拝聴し、触発されたためです)。
 気が向いたときに、つづきの文章も加筆修正のうえ転載します。

    • -

 「言葉の正しさ」は、個人的な尺度(主観)によって判定されがちであるということは、古来自覚されてきたし、現在にいたってもしばしば言及される。
 たとえば、次の文章に注目していただきたい。

男も女もことばの文字いやしう使ひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ。ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらん。さるは、かう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかしいづれをよしあしと知るにかはされど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。(略)なに事をいひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにとせんとす」といふ「と」文字をうしなひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」などいへば、やがてわろし。まいて文にかいてはいふべきにもあらず。
清少納言枕草子』第百九十五段 、長保二年1000頃成立)

 「人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり」、すなわち「これは個人的な見解だ」、というわけである。
 そのことに自覚的でない意見も、やはり昔からあった。「言葉の正しさ」を論う文脈でしばしば言及されるのが、

なに事も、古き世のみぞしたはしき。今様は、無下にいやしくこそ成ゆくめれ。(略)文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞいふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。いにしへは、「車もたげよ」「火かゝげよ」とこそいひしを、今様の人は「もてあげよ」、「かきあげよ」といふ。「主殿(とのも)寮(れう)人数だて」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講の御(み)聴(ちゃう)聞(もん)所(じょ)なるをば、「御講の廬」とこそ言ふを、「かうろ」と言ふ、くちをしとぞ、古き人はおほせられし。
卜部兼好徒然草』第二十二段、元徳二年1330〜元弘元年1331頃成立か)

という文章である(最後の「古き人はおほせられし」という箇所でずっこける。ナーンチャッテ、と舌を出す兼好の姿が見えて来るようでもある)。云わば「昔はよかった」式(ルネ・クレール夜ごとの美女』!)の言説であるわけだが、自分の生まれ育った時代や環境を特別なものと考えてしまうのは、なにも過去に限られた話ではない。

現代は国語の混乱時代だという。ところが、国語学者金田一春彦氏は、「日本語はそんなに混乱していないのではないか」という疑問を提出していられる。金田一氏にいわせると、どこの国のどの時代でも「いま国語は混乱している」と嘆いていたに違いない*1というのである。(加藤康司『校正おそるべし』有紀書房1959:156-57)

たしかに(言葉の―引用者)規範は変わるものなのだろう。ただし、規範がしっかりとあって、今様がその規範と戦った末、新しい規範が生まれるのであればいいが、いまは言葉の規範意識がとても弱い時代である。そこで今様の独裁が行われるわけで、これは大いに困る。(井上ひさし『ニホン語日記2』文春文庫2000:52←1996)

 もっとも、前者は後半部で金田一先生の発言を引いてはいる。しかし、「現代は言葉が乱れている」という見解にとどまるものも多い。というよりも、いちいち引かないが、むしろそのような意見のほうがよく見られる(特に専門家でない立場からの発言に)。
 さて、さきに述べた「個人的な見解」は、「個人言語」の反映、と見るべきものだろう。それについては、たとえば次のような説明がなされる。

私たちは(略)だれもが皆、それぞれの知識や教養のレベルにおうじた語法を身につけ、それぞれに固有の語彙体系をもっています。つまり、ひとりひとりがそれなりにバイアスのかかった「個人言語(イデイオレクト)」を使っているわけです。だとすれば、こうした個人言語間にも翻訳は必要となる理屈で、結局のところ、私たちの伝達という活動は、すべからく翻訳であるということになるでしょう。*2
加賀野井秀一『日本語を叱る!』筑摩書房2006:168)

 大事なのは、「それぞれの知識や教養のレベルにおうじた語法」、ということである。
 次に掲げるのは文字の話柄であるが、同じことを云おうとしている。

評論家も〈芸〉は認めないが、〈法〉は認めている。前者は〈藝〉の略字、後者は〈〉の略字で、まったく同じことなのに、自分の知識の深浅で、是非を発言するのであるから、たまったものではない。(杉本つとむ「再版の序」『改訂増補 漢字入門―『干禄字書』とその考察―』早稲田大学出版部1977:1)

 こういった「それぞれの知識や教養」「自分の知識の深浅」が、「言葉の変化」に対するスタンスを決定するファクターにもなる。
 たとえば次の発言は、「言葉の変化」を当然のものとして認めてはいるものの、それには〈よい変化〉もあれば〈悪い変化〉もある、という前提に立ったうえで論を展開している。
 かかる点において、客観性を装いつつ、主観的見地に立っているということは否めない、ようにおもえる。

回顧すれば前代にも多くの例があったごとく、国語はよくも悪くもないのに変化し、また確かに悪く変わった場合もあるのである。人と人との交通が、ことに同胞相互の理解が、たとえ少しでもそんなことのために、不調和または障碍を加えるとすれば、これは明らかに国にとって損である。すなわち国語の将来の変化ということが、自然の成り行きに放任しておけないゆえんである。(略)国語が時とともに変化せずにいないことだけは確かで、それがある時はよく変わり、ある時はいやな風にも改まるということも、すでにこの短い期間の経験が、相応にわれわれに教えているのである。すくなくともどう変わった方がよいくらいかは、見当をつけておかねばならぬ。(柳田國男「国語の将来」1938.8、於國學院大學*3

 主観という「超論理」を振りかざすだけ、すなわち言葉に対する好悪の念を表明するだけでは、いかにも発展性がない。そこに「裏づけ」となるべき何らかの客観的尺度が要求されるようになっていくのは自然のなりゆきだといえる。
 いったい、その客観的尺度には、どのようなものがあるのだろうか。

われわれが言葉の正しさ、よしあしを判断する規準として、大ざっぱには、伝統性、一般性、合理性などが考えられるが、しかし、これらのうちの一つで判断が出来るとは限らない。少なくとも、これら三つの条件がからみ合っていて、判断が容易でない場合もある。また、これらの三つの条件のほかにも条件がないわけではない。(岩淵悦太郎現代日本語―ことばの正しさとは何か』筑摩書房1970:274)

 しかし、それらがはたして「客観的」たりうるのかどうか(何によって保証されるのか)、ということを考え始めると、議論が錯綜してくる。それに、「個人言語」を認めつつ客観性を云々するということには、どういった意義があるのだろうか。いやそもそも、客観性というのは有無をいわせぬ絶対的基準であってしかるべきなのか――等々。
 次の記述は、「中央語=東京の言葉」か否か、ということだけが「言葉の正しさ」の基準として採用されているのであり、その限りにおいて、客観的見地に立っているとはおよそ云い難い。しかし、「伝統性」「一般性」「合理性」のほか、「中心性」(「一般性」にも通じよう)も「言葉の正しさ、よしあしを判断する規準」の要素となりうることを示している。

市会議員の羅致せらるる事を新聞記者は芋蔓式に拘留せらるると記したり。昔より株連蔓引といふ熟語あり。何を苦しんで芋蔓といふが如き田舎言葉を用るにや。(1928.9.18)
『東京日々新聞』(略)に門の錠をかける、また鍵をおろすといふ語あり。過日岡鬼太郎君の談に近年新聞の記事中鍵と錠との差別を明にしたるもの殆どなしとのことなりしが誠にその通りなり。錠はおろすもの、鍵はかけるといふが東京の言葉なるべし。(1936.1.19)
永井荷風 磯田光一編『摘録 断腸亭日乗(上)(下)』岩波文庫1987)

(続く??)

*1:某先生の御教示によれば、筑摩グリーンベルトの一冊、『新日本語論』という本にこのことが書かれてあるとの由。ちくま学芸文庫に収められたのと同じものだろうか(こちらもわたしは未読)。

*2:この文中の「すべからく」の用法が「誤り」であることは、しばしば指摘される。主な言及者としては呉智英国広哲弥高島俊男、工藤幸男など。はからずもこの文章が、加賀野井先生の「個人言語」のサンプルとなっているのである。なお、呉智英『健全なる精神』(双葉社2007)pp.230-33には、まさにこの加賀野井著(が「すべからく」の誤用を連発すること)に対する痛烈な批判が展開されている。呉氏は、漢文調を理解せずにこけおどしで多用するエセ知識人の心性をむしろ問題にしているのだが、その後呉氏に反論した加賀野井先生は、その点に反撥を感じたのだろう。

*3:講談社学術文庫合冊版を参照。