それは「盆池」ではないのか

晴れ。久しぶりに天気が良い。
午後から大学。近所の桜はいよいよ満開だが、大学構内の桜はすでに葉桜だ。
Aで、三田村鳶魚朝倉治彦編『鳶魚江戸文庫1 捕物の話』(中公文庫)390円、池部良『風、凪んでまた吹いて』(講談社文庫)100円を買う。
加賀野井秀一『日本語を叱る!』(ちくま新書)に、「おかげで、京都の芸妓さんたちまでが『霖雨ニ盆地ノ金魚ガ脱走シ火鉢ガ因循シテヰル』などという始末で」(p.93)云々とあるが、この「盆地」は「盆池」の誤りではないか、とおもった。
そう云えば、樺島忠夫『日本語はどう変わるか―語彙と文字―』(岩波新書,1981)にも、


慶応四年(一八六八年)五月の『都鄙新聞』によると、京都祇園の芸子、舞子の間に漢語を使うことが流行したという。続く長雨で、池の金魚が逃げ出し火鉢の火付きが悪くなったということを、
霖雨ニ盆地ノ金魚ガ脱走シ、火鉢が因循シテヰル
という。客に会って、このあいだ工面をお願いしたお金はどうなっているの? とたずねるところを、
此間ノ金策ノ事件ニ付建白ノ御返答ナキハ如何(いか)ガ
などという。ドジョウとフナを料理して酒のさかなにしましょうを、
鰷(ドジョウ)ニ天誅ヲ加ヘ、鮒ニ割腹サセテ晩酌ノ周旋セン
と、いかにも物騒な幕末の世相を反映したようなことをいう。―実に聞くにたえない。京都は行儀や言葉が優美なところであるのに、おかしな時代になったものだ―こういうことが報じられている。(p.3)
とある。やはり、何故か「盆地」なのだ。
ところが、岩淵悦太郎『日本語を考える』(講談社学術文庫,1977)には、次のようにある。

慶応四年五月、京都で発行された都鄙新聞第一号を見ると、そのころの祇園の芸子や舞子たちは、漢語や漢文的表現を好んで使ったと言う。
「霖雨ニ盆池ノ金魚ガ脱走シ」「火鉢ガ因循シテヰル」「此間ノ金策ノ事件ニ付建白ノ御返答ナキハ如何ガ」「鰷(ドジョウ)ニ天誅ヲ加ヘ、鮒ニ割腹サセテ晩酌ノ周旋セン」「閨中ノ事件ハ我ガ関係セザル所ナリ」などと言い合ったというのである。(p.161)
加賀野井氏は、樺島氏の本を参照されたのだろうか。