若尾文子、最後のマスムラ映画

千羽鶴』(1969,大映東京)

監督:増村保造、製作:永田雅一、脚本:新藤兼人、企画:藤井浩明、原作:川端康成、撮影:小林節雄、音楽:林光、主な配役:平幹二朗(三谷菊治)、若尾文子(太田夫人)、梓英子(太田文子)、京マチ子(栗本ちか子)、南美川洋子(稲村ゆき子)、船越英二(菊治の父)、新宮信子(菊治の母)、北林谷榮(とよ)。
学部生のころ、一学年上に、Kさんという美人の先輩がいました。いつぞや、自分の好きな小説は何かという話になったときに、Kさんは、「川端康成の『千羽鶴』が大好きだ」とおっしゃったのです。私は『千羽鶴』と聞いたとたんに、もうドキドキしてしまって、どう反応すべきなのか困惑してしまいました。だいたい、「川端康成」という固有名詞だけでもすこし緊張してしまうのに、『千羽鶴』ときたものですから、驚くのも無理はありませんでした。
私は高校生のころに、『千羽鶴』や『山の音』、『眠れる美女』を読んで、そのインモラルな内容にビックリしてしまったことがあるのです(それまで私は、川端康成はいわゆる「健康的」な作家であると思い込んでいました)。ですから、Kさんの見た目や性格と、『千羽鶴』の内容とのギャップに困惑したわけです。
閑話休題川端康成については、次のような逸話があります。

わが人生の時の人々 (文春文庫)
ともかくも川端さんの女性を見る時の目つきというのは異様なもので、いつだったか同じように横須賀線でいっしょに座って文学についてのかなり大事な話をしてい、私もうまく質問して水を向け、川端さんもそれをわかっていてぽつりぽつり言葉を選ぶようにして答えてくれていたが、電車が戸塚に止まって新しく客が乗り込んできたら、川端さんの方からそれまでの会話をむしり捨てるような気配で中断してしまい、目の前の私など忘れて身を乗り出し私の後ろにいる誰かに眺めいっている。(中略)誰かまた川端さんの気を引くような見栄えのする女が乗ってきたんだなと思い、確かめに振り返ってみたらどうということもないただの女の客だった。しかしなお、川端さんはその相手に気を奪いつくされでもしたように、我を忘れた風情で眺めいっていた。
石原慎太郎『わが人生の時の人々』文春文庫,2005.p.72)

川端康成にはほかにも、女性記者を無言で睨めつけてついに泣かせた、という伝説があるくらいですから、とにかく女性にたいして異常なまでの執着心があったようです。あるいは、執着心というようなものではなくて、べつの異常な何かであるのかもしれません。そして、そんな川端の作風と、増村保造の独特の女性観とが「親和」したのがこの『千羽鶴』だといえましょう。
増村保造は、私の好きな監督のひとりです。増村の、撮影現場での「いびり」は相当なものだったようで、たとえば『からっ風野郎』(1960)に出演した三島由紀夫は、東大法学部の同期生であるにもかかわらず、徹底的にしごかれたのだそうです(若尾文子のインタヴューによる)。
そういう厳しい演技指導のせいもあってか、本作品の梓英子(太田文子)の演技は、『セックス・チェック 第二の性』(1968)の安田(現・大楠)道代、『でんきくらげ』『しびれくらげ』(ともに1970)の渥美マリ、『音楽』(1972)の黒沢のり子―などのコピーを見せられているような錯覚さえおぼえます。若尾文子も、これが最後の増村映画となったこともあってか、演技に熱がはいっていて、いつもよりもますます「若尾文子」らしい。からみつくような甘くけだるい声と、ねちっこい(もちろん讃辞です)演技。そして、それ以上に京マチ子がまた良い。
若尾が出演した増村映画のなかで、私の気に入っているのは『妻は告白する』(1961)や『「女の小箱」より 夫が見た』(1964)ですが、この『千羽鶴』もなかなか良かった。しかも、茶室内でのやりとりが多いので、『盲獣』(1969)、または『音楽』(1972)みたような閉鎖性をもっていて、増村の演出も冴えに冴えます。平幹二朗(三谷菊治)が割れた志野の破片をグッと握りしめるシーン―原作にはない―を入れたり、ちか子の「黒紫のあざ」に原作よりもふかい意味をもたせたり、…などおもしろい工夫もみられます。
それから余談ですが、原作の『千羽鶴』については、板坂元『考える技術・書く技術』(講談社現代新書,1973)が、その内容の撞著をあげつらっています(p.73-75)。