「俺がバンドボーイだった頃、今にエルヴィスのようになろう! と思った。俺が1ステージに1曲歌えるようになったころ、チャック・ベリーのようになろうと思った。初めて自分のバンドを持った時、ジョン・レノンのようになろうと思った。ウッド・ストックが行われた時、ジミ・ヘンドリックスになろうと思った。少し物判りが良くなった時、ミック・ジャガーになろうと思った。40歳になった時、自分になろうと思った」(内田裕也

1981(昭和五十六)年度「ジャパン・ロック・フェスティバル」のチラシより*1

*1:シリーズ20世紀の記憶『かい人21面相の時代 山口百恵の経験 1976-1988』(毎日新聞社,2000)から間接的に引用(p.251)。