扇谷さんのエッセイ

中身もろくに確認せず買った扇谷正造『ことばづかいのマナー』チクマ文庫*1,1986)だけれども、これがなかなか面白かった。短いので、すぐに読めました。鈴木義司さんの絵も楽しめます。
題名からすると、たんなる実用書と考えてしまいがちですが、そうではありません。さすが扇谷氏、どれをとっても良質のエッセイになっている。いくつか引用しておきましょう。

話にも、マのとり方が大切である。私は『週刊朝日』の編集長をやり、夢声老をホスト役にし、連載対談「問答有用」というのを三百回やった。そのうちの三分の一くらい同席し、仔細に老の問答ぶりを観察した。すると、三つのことに気がついた。
(イ)じっと相手の目を見て話す。相手の目に不審の色が浮かんでおれば、相手が納得するまでくりかえして説明する
(ロ)ゆっくりしゃべる。こちらが、オヤと思うくらいゆっくりしゃべる
(ハ)上手なあいづちをうつ。「ハハア」「なーるほど」「うーむ」などである。(「“マ”ということ」p.49)

終戦後まもなくNHKで社会報道番組『岡目八目』を担当したことがある。池島信平文藝春秋)、花森安治暮しの手帖)それに私(週刊朝日)の三人で月刊、季刊、週刊の編集長三人による鼎談だった。いつもナマ放送なのに、その日は録音どりであった。それでどんな具合かなとその宵、三人できいた。たしか銀座の「ハゲ天」だったと思う。
スイッチをひねると、きれいな東京弁が流れてきた。信平さんである。本郷に生まれ育った信平さんの日本語は、すこし巻き舌だが、品のいいしゃべり方である。続いてダミ声の関西弁が流れてきた。花森君である。ゆったりした実にマのいい話し方である。そのあと、チャカ、チャカ、チャカということばが続いた。私は、一瞬だれかなと思った。そのうちアッと思った。電波に乗った自分の声というものは、本人には異様な声にきこえることをはじめて知った。つづいて(ああ、これがオレか)と思った。何をしゃべってるのか、いっこうにわからないのである。早口のチャカ、チャカがひとしきり続いて、終ると、花森君が、「いま、扇谷は、こうこうこう、いったけれども、これについては……」
私はガクゼンとした。と同時に花森君の友情をありがたく思った。まさに“和文和訳”なのである。花森という男は、口には出さないが、たとえば、こういう気くばりをしてくれる友人であった。
(「友情の和文和訳」p.63-64)

引用はしませんが、「花嫁の父親」(p.95-97)や「小林秀雄のスピーチ」(p.98-99)なども面白い。前者は、松本清張の長女のパーティにおける清張、井上靖のスピーチについてのエッセイ。純粋に「ことば」をテーマにしたもので面白かったのは、「ことばは民族の生命」(p.11-16)と「美しい方言を……」(p.105-09)。
またp.57-58で書かれている、石母田正が吃音を矯正したという話(「ドモリと私」)は、扇谷氏の『わが青春の日々』(旺文社新書)にも出てきます。
夜、バスター・キートン/エディ・クライン『ゴルフ狂の夢』(1920)を観る。「人違い」のもたらす悲劇、いな喜劇を描くという点では『強盗騒動』(1921)に似ていますが、ギャグやオチのつけ方は『ゴルフ狂〜』のほうが勝っているように思いました。それにしても、アメリカ映画がこの当時から人物のクロースアップを多用していることには、(邦画ファンとして)驚かされます。

*1:ちくま文庫」ではない。「千曲秀版社」(現在はチクマ秀版社)の文庫です。「チクママナーシリーズ」の一冊。