あの時君は若かった

1985年 (新潮新書)
1985年。それは、ある人にとっては「プラザ合意」の年や「科学万博―つくば’85」の年でありましょう。またある人にとっては、「阪神タイガース優勝」の年や「ファミリーコンピュータ発売」の年でありましょう。
私にとって、それは紛れもなく「日航ジャンボ機墜落」*1の年でした(この大事故については、ここで少し触れました)。というのは、この事故は私がいまでも鮮明に思い出すことのできる出来事のうちでもっとも古く、帰省するたびに飛行機を利用している身として、切実に胸に迫るものがあるからです。近所にも、亡くなられた方がおられます。
事故を伝える報道は、いまだによく覚えています。眼鏡をかけたアナウンサーが、「日航ジャンボ機123便の機影がレーダーから消えました」と繰り返し伝える姿、青い画面に亡くなられた方々の名前がカタカナで延々と流される映像。
とにかく私にとっては、「1985年」はそういう年であって、その他のことは殆ど記憶に止めていません。あとはせいぜい、通院していた耳鼻科の古ぼけたテレビで『スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説』(南野陽子主演)が放送され始めたのをリアルタイムで見ていた、とか、C-C-Bの『Romanticが止まらない』を『ザ・ベストテン』か何かでよく見た、とかいった記憶があるくらい(『夕やけニャンニャン』も見ていましたが、これは1986年か1987年あたりの記憶かもしれない。ああ、それにしてもテレビ番組の記憶ばかり。活字が読めなかったので無理もないのですが)。そのような私にとって、この『1985年』は、新鮮な気持ちで読むことができた本でした。
吉崎達彦『1985年』(新潮新書)は、「1985年」から「現在」を照射し、また逆に「現在」から「1985年」を照射し、歴史、とくに現代日本史における「1985年」の位置づけを探った好著です。「新書」という形態でありながら、その試みはわりと成功しているように思います。
一読して考えたことは、「1985年」とは〈若さ〉が支配的な時代であったのではないか、ということです。たとえば日本の「失業率」はまだ二パーセント台ですし、実質GDPの成長率は4.9%の伸びを示し、国民が保有する資産には現在ほどの格差がなく、そのためにたとえ怪しげな「意識」であれ、ともかくも「中流意識」が国民全体を覆い(一億総中流)、生活保守主義が擡頭してきました。それと関わることなのですが、社会党(当時)党幹部の「首相の靖国神社公式参拝」に対するスタンス(p.56-57)には、非常に興味ふかいものがあります。
また世界に目を向けてみると、この年、旧ソ連には若き書記長ゴルバチョフが登場しています。アメリカ合衆国の大統領は、三期目をむかえた老齢のレーガンでしたが、戦略防衛構想(SDI)、いわゆる「スターウォーズ計画」なるものを掲げていました。これも、時代の〈若さ〉ゆえの構想であったと考えられます。すなわち懐かしい「未来」が、まだ活きていたことの証左です。それに、マルコスに引導を渡した国防総省アーミテージ(当時)も、国務省のウォルフォビッツ(当時)もまだ若かった。
さてその他にも、たくさんのことを知ったり思い出したりしました。改めて認識させられたことといえば、たとえば当時はまだ「パソコン通信」の時代であったということ、「新書競争」ならぬ「写真週刊誌競争」が激化した時代*2であったということ。また、「第2章 経済〜いまだ眩しき『午後2時の太陽』」を読んで、いつか録画したはずの『金魂巻』が観たくなったり、「第5章 消費〜『おいしい生活』が始まった」を読んで、『十階のモスキート』を改めて観なおしたくなったりもしました。
これまでの日本の戦後論では、例えば「1945年」「1964年」「1968年」「1970年」「1972年」などが評論対象となることはあっても、(包括的な「1980年代論」や、また小説*3ならば知らず)「1985年」が単独で評論対象となることはなかったように思います。その意味でも、本書の試みは先駆的で貴重なものだと言えるのかもしれません。
1985年。それは、「『過去』と言い切るには新しく、『現在』と言うには時間が経ちすぎた時代の記憶」(紹介文より)。そうであるからこそ、それが風化しないうちに分析することで、何か見えてくるものがあるのでしょう。
著者は、末尾でこう書いています。

それでもときに人は、無性に過去を懐しみたくなることがある。どうでもいいこと、忘れていて当たり前のことが、妙にいとおしく思えるものだ。無理もない。未来などというあやふやなものに比べれば、過去ははるかに確かである。それが楽しい記憶であったとすればなおさらである。
1985年は、日本人にとってかなりいい時代だったように思える。だとしたら、そんな記憶を持つわれわれは、きっと幸福であるはずだ。思うに懐しむことのできる時代をもつことは、人として最高のぜいたくではないだろうか。(p.203)

なお本書は、『日本経済新聞』(2005.8.21)の読書欄でも早速取上げられました。せっかくですから一部を引用しておきます。

つくば博が「ハイテク国家・日本」の未来を明るく歌い上げる一方、テレビドラマ「金曜日の妻たちへ」シリーズは、一見幸福そうな団塊世代の専業主婦の漠とした不安を映し出す。事実の積み重ねから、あの年は戦後日本の一つの転換点だったことが見えてくる。

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拙ブログをご覧になって下さる皆様方、いつも有難うございます。突然ですが、明日から二泊三日の旅行、また一日おいてからしばらくの間帰省するため、三十日まで更新はお休みします。
時間があれば、二十五日に更新したり、携帯電話から更新したりすることもあるかも知れませんが、帰省先でも何かと用事に追われるので、現時点では一応、「お休みします」と申しておきます。
戻ってきたら、帰省先のことなども書く積りです。それではしばし。
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*1:実は本書で初めて知ったのが、この大事故と「三光汽船」の倒産とがまったく同じ日に訪れていたということ。

*2:それで思い出した。写真週刊誌だったか女性週刊誌だったかに、岡田有希子の自殺後の写真が掲載され、叔母がそれを見せてくれたことを。

*3:たとえば、五十嵐貴久『1985年の奇跡』(双葉社)がある。気にはなっていながら未読です。