小池コロンボの「うちのカミさん」

午後から大学。
時間があったので、ブックオフに寄る。
『日本語が好きになる本』(ホームライフ社)、山口瞳『伝法水滸伝』(集英社文庫)、額田やえ子『アテレコあれこれ―テレビ映画翻訳の世界』(中公文庫)、富岡多恵子『厭芸術浮世草紙』(中公文庫)、松谷みよ子『あの世からのことづて』(ちくま文庫)、山田風太郎『棺の中の悦楽』(講談社大衆文学館)を買う。全て105円。
で、いま、『アテレコあれこれ』を読んでいる。著者の額田さんは、たしか三年ほど前に亡くなっている。私はずっと「ぬかだ」と読んでいたのだが、プロフィールをみると「ぬかた」とルビが振ってある。これは失礼なことをしてしまっていた。
いささか唐突に思われるかも知れないが、私は「古畑任三郎」が大好きで、スペシャルの『消えた古畑任三郎』を録画しわすれたことを未だに悔やんでいる。まあそれはともかく、「古畑任三郎」を好きということはすなわち「倒叙もの」が好きということで*1、当然ながら「刑事コロンボ」も好きなのである(いや、正確にいうと「ピーター・フォークコロンボが好きなのである)。ずいぶん遠まわりをしてしまったが、私は額田さんを、コロンボ日本語版の翻訳者として知ったわけである。
この『アテレコあれこれ』には、コロンボの話もいろいろ出てくる。「ピーター」コロンボが、「うちのカミさん」(小池朝雄の声)とよく言うのはファンにとってはお馴染みだが、なるほど、これは小池朝雄のイメージも勘案された結果だったのか。
映画俳優についてはもちろん、ことばに関する話題も多くてたのしい本である。

もう一つ、原文が長すぎて困る言葉がある。ののしりあるいは呪いの言葉だ。英語では何とののしり言葉の豊富なことよと感嘆させられる。
“You dirty double-crossing stinking rat!”
まさか「この卑劣な裏切りもののプンプン臭いドブネズミめ!」ともいくまい。日本語のののしり言葉は、あまり言葉を重ねないで「この野郎」、「この裏切りもの」、「卑怯もの」と短く使われる場合が多い。もちろん「このオタンコナスのヒョーロク玉のスットコドッコイめ」などと多彩な表現もあることはあるが、これだと妙に愛嬌があり、憎しみをこめて叩きつける言葉にはならないのだ。
それに英語で言葉を重ねてののしるとき、たいていは一言、一言、区切りながら、相手の身体に自分の憎しみをねじこもうとでもするようにゆっくり言うので、(日本語を―引用者)合わせにくい。ふだんは上品な人妻が逆上してなんていうシチュエーションがいちばん困る。
数少ない日本語のののしり言葉の中から、さらにテレビで使うのが好ましくないとされている差別語を引くと、残るボキャブラリーはわずかである。どう組み合わせたって舌足らずで迫力がない。
こんなときは、「貴様みたいな汚ねえ裏切り野郎は叩っ殺してやる」とでも書いて格好をつけなくてはならない。(「おとなしい日本語」,p.49-50)

『罵詈雑言辞典』のたぐいは多く出ているが、日本語には言葉をかさねた罵詈雑言がたしかに少ないのかもしれない。パキラハウス『ことばと漢字の「面白隠し味」3000』(講談社+α文庫)の「ことばでなぐり倒す―美しい日本語のために」(文豪の使用例がすこし載っている)を見てみても、畳みかけるような表現は少ない。ひとことで済んでしまうものばかりである。

*1:だから乱歩の『十字路』も好きだ。