昨年は「ダーウィン・イヤー」であった。すなわちチャールズ・ダーウィンの生誕二百年にあたり、また、『種の起源』出版百五十年にあたる年でもあった。
 このことに関しては、たとえば三中信宏『分類思考の世界―なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』(講談社現代新書)なども述べており、そのpp.222-27に、ダーウィン生誕二百年事業や、いわゆる「ダーウィン産業」への言及がある。さらに昨秋から昨年末にかけては、光文社古典新訳文庫から初版(『種の起源』は六版まで出たという)の全訳が刊行された(渡辺政隆訳、上下二分冊)。
 その余波はまだあって、今年の二月には、『ビーグル号世界周航記』*1が文庫化(荒川秀俊訳、講談社学術文庫)されている。また先月は、『種の起源』の訳者渡辺氏による『ダーウィンの夢』(光文社新書)が出た*2。光文社は、古典新訳文庫×新書の相乗効果で売上げアップを図ろうとしているのだろうか*3
 さて、『種の起源』は十五シリングで売りだされ、初版はたちまち売切れたと伝えられるが、それでも凄まじい売行きをみせたとは言い難いようだ。たとえば、「骨相学の権威」ジョージ・クームの手になる『人間の構成』廉価版(1932年刊*4)は、1835-40年の六年間に約六万四千部売れたといわれ、「一九世紀を代表する著作といえるダーウィンの『種の起源』(一八五九年)が世紀末までにようやく五万部に達した事実と比べると、その売れ行きのすごさが理解できる」(吉村正和『心霊の文化史―スピリチュアルな英国近代』河出ブックス、p.46)、というのだからすごい。

心霊の文化史---スピリチュアルな英国近代 (河出ブックス)

心霊の文化史---スピリチュアルな英国近代 (河出ブックス)

 進化論は、聖書の記述とは相容れないものであったから、聖職者を中心とする個人や団体の非難にさらされたが、しかのみならず、神智学の方面からも攻撃の対象とされた*5。それは、「人間の霊魂は特殊である」(神智学)とする立場上の相違から来るものであった。吉村前掲書によると、神智学協会の「交信秘書」ブラヴァツキー夫人は、人類の起原は「神」であって当初は肉体を持っておらず、類人猿は人間が「退化」したものであるという立場をとっているという。つまり、進化論とは全く逆の思想なのである。
 デボラ・ブラム 鈴木恵訳『幽霊を捕まえようとした科学者たち』(文春文庫)にも、『種の起源』がヴィクトリアの体制派などから批判されたということが記されている。特に1860年には、ジョゼフ・フッカー、"ダーウィンブルドッグ"T.H.ハクスリーら進化論の支持者と、サミュエル・ウィルバーホースら批判者との間で論争が繰り広げられたという。
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 ダーウィンとほぼ時を同じくして、進化論、生物の自然淘汰説を提唱したアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、ダーウィンの警告にもかかわらず降霊会に参加し、メスメリズムや心霊主義に傾倒して行った。ただし、ウォレスにしてみれば、「人間特殊説」に基いたために、人間の場合についてのみ適者生存と進化論とに疑義を呈しただけなので、進化論の提唱者でありながら心霊主義者でもあるということに自家撞著はなかった、ということになるのかもしれない。それにしても面白いのは、ロバート・オーウェンにしろこのウォレスにしろ、社会主義と近接性があるということである*6

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 また、最近「事業仕分け人」として議論を呼び、恐竜絶滅仮説(小天体の衝突説)を「証明」した国際研究チームの長としても有名になった松井孝典氏は、こう書いている。

いわゆるダーウィニズムは生物の世界にとどまらず、人間の社会学歴史学、心理学に広く援用され、「適者生存」「自然淘汰」が社会の前進と繁栄を導くといった主張や、力こそ正義であるといった風潮へと結びついていく。(『宇宙誌』岩波現代文庫、p.38)

 日本でも、ダーウィニズム紹介後に同様の事態が起きたという。上野益三『日本博物学史』(講談社学術文庫)によると、

一八七七年(明治十)、モースが日本に紹介して以来、進化論は生物学界ばかりでなく、思想界にも浸透した。しかし、論理でかためた進化論が、そう短日月の間に正当に理解しつくされたとは言い切れない。ダーウィンが一八五九年に自説を発表したときに出合ったような、宗教的感情による激しい反対は、日本では起らなかった。しかし、「この思想の健全な浸透を順調にした」(駒井卓)とは断定できない。一知半解ならとにかく、自論に好都合なように歪曲解釈し、国策に利用しようとする者さえ出たのである。(p.217)

ということなのだそうだ。さすがに国策への利用ではないが、相対性理論に対する「一知半解」がもたらす喜劇については、ここに、ほんのちょっとだけ書いたことがある*7

*1:訳者もことわっているが、厳密にいうとダーウィンの著作ではなく、ハーパー・アンド・ブラザーズ書店が再編集したものである。

*2:まだ、直接手にとってはいないが、『ダーウィンの悪夢』を意識した書名なのだろうか。

*3:他にも、亀山郁夫訳「カラキョー」完結後に、亀山氏による『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』という本が出た、という例がある。

*4:初版は1828年刊。

*5:ただし、神智学はキリストをも「マハトマ」の一人に位置づけていたので、宣教師たちからは嫌悪の対象となっていたという。

*6:ウォレスの場合、オーウェンに感化された部分があるから、このような表現はフェアでないかもしれないが。

*7:もう五年も前に書いた記事なのか、とおもうと、たいへん感慨深いものがあります。