「いやいや、幸福じゃなくったって……、幸福だの不幸だのなんて、一体なんの役に立つんです。どうでもいいじゃありませんか。要するに、ますます純粋に、豊富に存続しつづけるということが問題。そうじゃないですか」(アルピイエ=園長)

安部公房『デンドロカカリヤ』(1949)より。

デバカメの由来

今日は、「のぞき」の代名詞「デバカメ」*1の由来について書きますが、全然まとまっていないので、とりあえず、抜書きしておきます。ほとんどが孫引きです。
「デバカメ」というのは、もともと「池田亀太郎」の綽名でした。彼はのぞきの常習犯で、幸田ゑん子を殺したかどで逮捕されたのですが、冤罪説もいまだに根づよく存在しています。しかるに、彼の綽名「出歯亀」はあっという間にひろまり、あろうことか、「のぞき魔」「変態」の代名詞になってしまいました。さらに、「出歯る」とか「出歯亀主義」とかいった派生語もうまれました。
さて、この綽名「出歯亀」は、「出っ歯の亀太郎」に由来するという説が一般的なのですが、そうではないとする説もあるようなのです。

セクシュアリティの近代 (講談社選書メチエ)
この出歯亀について貴重な証言を残している者がいる。大杉栄である。一九〇八年、二四歳の大杉は赤旗事件で市ヶ谷監獄に入っていたとき、池田と出会っている。「目立つ程の出歯でもなかったようだ。いつも見すぼらしい風をして背中を丸くして、にこにこ笑いながら、ちょこちょこ走りに歩いていた。そして皆んなから、『やい、出歯亀。』なぞとからかわれながら、やはりにこにこ笑っていた。刑のきまった時にも、『やい、出歯亀、何年食った?』と看取に聞かれて、『へえ無期で。えへえへ。』と笑っていた」と、大杉は『自叙伝』(一九二三年)のなかで振り返っている。興味深いのは、池田がさほど歯が出ていたわけではなかったことである。マスメディアによって捏造された出歯亀イメージが勝手にひとり歩きをして、さらに膨張していったのである。
川村邦光セクシュアリティの近代』*2講談社選書メチエ,1996.p.105-106)

■『東京おぼえ帳』今昔言葉の泉(1952年)〈平山蘆江〉「この職人、即ち、出齒であるために、出齒龜で通つてゐたといふので、以來、不しだらな事をしたり、女をいぢめる男のことを出齒龜といひならはし、出齒る、出齒られると四段活用の通り言葉が東京中にはやること約十年にも及んだらう」
米川明彦編『日本俗語大辞典』東京堂出版,2003.p.405より孫引き)

お言葉ですが…〈2〉「週刊文春」の怪 (文春文庫)
しかし実は、池田亀太郎は出っ歯ではなかったそうである。当時の新聞*3によれば、亀太郎は何事にでも口を出したがる癖があり「何にでも出張りたがるより出張(でば)亀の称あり」とのこと。今のことばで言えば「出しゃばりの亀」である。
しかし、出っ歯の男が女湯をのぞいてニタニタしている、というイメージがまことに鮮烈であるので、新聞がみな出歯亀出歯亀と書く。「出っ歯の亀太郎」と昭和平成の辞書に書かれるまでに至ったのは気の毒であった。
高島俊男お言葉ですが…(2) 「週刊文春」の怪』文春文庫,2001.p.226.1997年の記事)

性の用語集 (講談社現代新書)
ところで、実は、綽名の由来はあまりはっきりとはしていなかった。六月十七日付の『東京二六新聞』では、公判に出てくる亀太郎が目立つ歯をしているわけではないのにどうして「出歯亀」かと疑問を呈し、三つの説を紹介している。「亀太郎は何事にもみだりに口を出したがる癖あり、何にでも出張りたがる」から「出張亀」だというのがその一。出っ歯であるというのがその二。「亀太郎は性質すこぶる短気かつ荒けなく、事あればみだりに出刃三昧をなす」から「出刃亀」というのがその三だ。この記事では第一の「出張る」「亀太郎」説が有力としている。しかし「出っ歯」説がおそらく当初から力をもち、やがて「出っ歯」説に収斂して行ったのだ。
斎藤光「出歯亀」,井上章一&関西性欲研究会『性の用語集』講談社現代新書,2004所収。p.258-259)

以上に挙げたものには、『萬朝報』『東京二六新聞』『東京日日新聞』からの引用がありましたが、当時の『朝日新聞』に興味ふかい記事があったので引用しておきます。池田を見知っている人による「出っ歯」説です。

池田亀太郎の親しく出入せし西大久保村植木屋の親分伊藤鉄五郎は亀太郎の素行に就て左の如く語れり「亀は一時私(あつ)しの乾児(こぶん)でしたが今日では縁も切て居ますし近来は丸で使つたことも有りません尤(もつと)も以前から繁々私しが家へ出入するやうなことは有りませんでしたが奴は前歯が出てゐるので仲間から出歯亀(でつぱかめ)と綽名(あだな)を付けられて居ました亀は元植木職ではありますが一時東大久保の鳶職もやつて居ました……(以下略)」
朝日新聞社編『朝日新聞の記事にみる 奇談 珍談 巷談〔明治〕』*4朝日文庫,1997.p.368,1908.4.6付の記事より)

なお、この最後に挙げた本は、三六七頁に池田亀太郎の写真を載せています。ちょっと見えにくいのですが、確かにさほど「出っ歯」ではなさそうです。

*1:「デバガメ」とも。「デバカメ」のほうが一般的か。

*2:この本は、文庫落ちちくま学芸文庫)して、『性家族の誕生』という変なタイトルに改められました。同書によれば、石井研堂明治事物起原』(これもちくま学芸文庫に入っています)も「出歯にして出歯亀の綽名あり」と書いているのだそうです。

*3:東京二六新聞』のことか?

*4:この本は、「千里眼騒動」とか「束髪」の流行とかいった記事も採録しています。