再話ふう掌篇の愉しみ

森銑三『新編 物いう小箱』(講談社文芸文庫

新編 物いう小箱 (講談社文芸文庫)
2005.3.10第一刷。
『唐宋(代)伝奇集』とか『聊齋志異』とかいった類の「怪異譚」が好きです(そのほとんどは、岩波文庫の抄録版で読んでいます。国内のものでは、たとえば『耳嚢』)。いずれも「再話風」の掌篇集です。このような作品は、一気に読んでしまうと食傷気味になるので、ちびちび読むのに適しています。
この『物いう小箱』も、時間をかけてゆっくりと読んでいきました。本書は、大きく二部にわかれていて、「一」は国内の話、「二」は中国の話*1を収めています。全四十四篇。筑摩書房刊『物いふ小箱』との相違や、底本・初出については「編者あとがき」(小出昌洋)がたいへん詳しいので、ぜひそちらをご覧ください。
とくに印象にのこったのは、「一」の『物見』、『老賊譚』、『彦右衛門と狸』、「二」の『失った金包』、『再会』あたりでしょうか。題名からすると「怪異譚」のように思えるのですが実は「滑稽譚」のもの(『幽霊』など)、教訓めいたもの(『唐崎の松』『都へ上った青年』など)もあって、それぞれに違った味わいがあります*2
さて「再話文学」とは、やや限定した定義でいうと、

元々原典(オリジナル作品)があり、それを近代の作家が、近代批判を織り交ぜながら自分流に語り直した文学形式のことに他ならない。
池田雅之「解説―自伝としての再話文学」(『妖怪・妖精譚』ちくま文庫所収)

ということになるのでしょうが、本書所収の短篇のうち、それに当てはまるものは『気の抜けた話』くらいなものでしょう。それはそれでおもしろいのですが、この『物いう小箱』は「再話文学」といわず、「再話風文学」とでも呼んだほうが当を失しないのではないかとおもいます。著者の「遊び心」のようなものもうかがい知れるからです。
ところで、で知ったのですが、柴田宵曲『妖異博物館(正・続)』が文庫化(ちくま文庫)される(今夏刊行予定とか)らしい。こちらもたいへん愉しみです。

気になる新刊や近刊

*1:解説によれば、森が中国種の話にも手を広げたのは、柴田宵曲の影響をうけたからなのだそうです。

*2:本書には収めていませんが、片桐幸雄「解説 文人であった森さん」でふれられている、『股めがね』も機会があれば読んでみたい。

*3:1992年にそしえてより刊行されたものの新装版。

*4:片岡義男東儀秀樹らとの対談も収めているらしい。