借りた本

晴れ。
本をたくさん借りてきて、コピーをたくさんとる。
『叢書集成初編』を三巻、『景印文淵閣四庫全書』を一巻、『四庫全書存目叢書』を一巻、周祖謨『廣韻校本』『問學集』、行均『龍龕手鏡』、東洋学の論文集二冊。
きのうから今日にかけて借りた本です。ほとんどが、演習に使用するためのものなのですが。
行均(釋。編者は逸名氏)の『龍龕手鏡』(997)は、その題名からしても*1、「高麗本」という現存する諸本のうちもっとも古い系統の版本か、またはそれに準ずるものだということが明らかなのですが、私が求めていたものは、逸名氏が増補した『龍龕手鑑』(1472)にありました。増補版(和刻本だとおもう)は研究室にあるので、わざわざ借りる必要はないのでした。
自由に借りられる身だと、つい調子にのって、不必要なものまで借りてきてしまう。明日はこれを返してあれを借りよう…などと考えていると楽しくなってきます。
関川夏央『石ころだって役に立つ』(集英社文庫)読了。「紙とインクのにおい―『にんじん』」「山本七平の戦争―『私の中の日本軍』」あたりが面白かった。

私は日本の近代文学を、あるいたましい思いを抱いて眺めがちである。西欧文明に伍そうとして、逆にいたぶられぬいた極東の一国の悲劇の証言をそこに読みとったりする。なまじ民度が高く、向上心に身もだえするような社会を持ったために近隣と意を通じること薄く、ゆえに東アジアの海中で孤独に耐え、ときにそれが高じて健気と倨傲と自罰、それぞれの衝動を反復せざるを得なかった日本の不運な病症記録と見なすこともある。(「紙とインクのにおい―『にんじん』」より,p.145)

*1:のちに、國祖の諱をさけて『龍龕手鑑』と書かれるようになりました。