零円札

晴れ時々曇り。
昼過ぎに大学へ。
午後の講義では、某先生の余談に、赤瀬川原平さんのいわゆる「千円札裁判」の話*1が出てきました。その先生は、「零円札」*2を京都の本屋(いまは潰れてしまった、とおっしゃっていた)で購入されたそうです(三百円だったとか)。この「零円札」をまねて「零万円札」をつくった人があるのだそうで、その人は「『零円札』一万枚に『換金』してくれないのだろうか」と言っていたけれども、もし当の赤瀬川氏がそれを聞いたら一体どのように反応したのだろうか―と、先生は仰っていました。
講義後、先輩のご発表を拝聴。
諸事をすませて大学を出たのが午後七時。
帰途、岩松研吉郎『日本語の化学変化』(パンドラ新書)を購う。
また電車のなかで、永六輔『芸人 その世界』(岩波現代文庫)読了。
この本については、きのう少しだけ書きました。岡崎武志さんも、きょうの日記でふれておられます(二箇所を引用)。私もそのひそみにならって、おもわず笑ってしまった箇所、なるほどなぁとうなった箇所、藝人であるがゆえの哀しさが伝わってくる箇所などを引いてこようとおもっていたのですが、それは他日に譲ることにします。
ところで今日は、嬉しい出来事がありました。
六月二十六日まで続いていたはずの、「地獄の責苦」を味わわずに済むことになったのです。万歳。

*1:実をいうと私は、松田哲夫さんの『編集狂時代』(新潮文庫,p.93)を読むまで、事件の全容を知りませんでした。

*2:松田氏前掲書には、「紙幣制度を無化する作品」(p.99)とあります。