The Man Without a Map

「大丈夫日記」で、よしだまさし姿三四郎富田常雄』(本の雑誌社)の予約が始まっていることを知る。面白そうだ……。いま「本やタウン」で予約すると、サイン本が入手できるそうな。
ある論文に触発されて、レポートを書きはじめる。その関係で、夏目漱石三四郎』『草枕』『こゝろ』『永日小品』『趣味の遺伝』『変な音』を再読した(私が持っているのは新潮文庫版)。特に『三四郎』は、いま読んでこそ面白い小説だと思った。小学生のころ、無理やり『坊っちゃん』『虞美人草』を読まされて、まあこれはこれで面白いと思ったけれど、私は、後になって自発的に読んだ『夢十夜』『薤露行』などのほうが断然好きだ。しかし『吾輩は猫である』『明暗』は些とも面白いとは思わず、結局これらは全部を読んではいないのである(三十代になってからまた挑戦しようと考えている)。
誰か、年齢に応じた読書指南をして呉れないものだろうか。
勅使河原宏の世界 DVDコレクション
昨日、勅使河原宏『燃えつきた地図』(1968,勝プロ)など二本を観た。勅使河原宏、といえば安部公房なのである。『砂の女』『他人の顔』は、いずれも勅使河原が監督している。また公房自身が脚色も担当している。
探偵・勝新太郎は、市原悦子に、失踪した夫を探してほしいとの依頼を受ける。勝が、市原の待つマンションに向かうシークェンスからして、否が応でも不安を煽る。勝の車に衝突しそうになる自転車(ラストではこの関係が逆転する。つまり勝が自転車にぶつかりそうになる)、坂道を転がり落ちそうになる乳母車、玩具の機関銃で遊ぶ子供…。
失踪した男を探すうちに、周囲が非協力的であることに失望し、〈他者〉との対話の難しさを感じ始める勝。真相が何ひとつ明らかにされないまま、次第に現実/非現実の境界が融解してゆく。
東京砂漠が暗示するものは、近代都市の荒廃のみならず、因習的な郷村の鏡像であったのかもしれない。すなわち〈他者〉が「群集的個人」に埋没し、それから外れたものが、一人、また一人と世界から「降りて」ゆくわけだ。市原悦子の夫しかり、渥美清しかり、大川修しかり。
そして、最後の最後になって、勝は自分自身こそまさに「ストレイ・シープ」であることにようやく気づく。勝が辿り着いた地点は、果して『砂の女』の仁木順平(原作では単に「男」)であったかどうか。
勝新太郎の、例えば『浪人街』のような大仰さ*1とはまた違った、抑えた演技が素晴らしい。そのためか、「あの」勝新がマトモに見える作品。市原悦子(女)、渥美清(田代)、信欣三(「つばき」主人)、吉田日出子(女店員)、小山内淳(ラーメン屋おやじ)など、脇を固める名優の「怪演」も見ものである。

*1:この映画のラストの演出の拙さについては、故・笠原和夫氏がやや憤慨しながら語っていた。