書くはずではなかったのに日記

大改造!! 劇的ビフォーアフターに、川口義一氏が登場するというので見る。溢れる本。
本棚十八本ぶん、約四千冊の蔵書。見覚えのある本も沢山出てきた。「書物蔵」とか「大丈夫日記」とかも、この番組について書いていた。
午後、ショックなできごとあり。最近の私は本当にどうかしている。Kさん、Fさんに多謝。
青い山脈 前・後篇 [DVD]
このところ、アルバイトが忙しかったり、レポートのための論文を読んだり、試験勉強をしたりしているので、更新を休みがちです。が、そのお蔭で少しでも本が読める。
輪読会にむけて、山田孝雄校訂 平田篤胤『古史徴開題記』(岩波文庫)を読み始める。冒頭に収めてある山田孝雄「古史徴開題記について」なる文章における本書の再評価と、適度な客体化というかデタッチメントが心地よい。対象にのめり込みすぎず、かといって離れすぎず。まだ、「一之巻春」の部分なのだけれど。
ううむ、「勉強する」を「ものまねびす」では、かなり大仰だな。
レポートで、ある台詞を確認するためもあって、今井正青い山脈』(1949,藤本プロ=東宝)を観たのだけれど、時間がなくてアウト。結局、うろ覚えのまま書くことになってしまった。「戦後民主主義謳歌映画。
「変愛」*1「脳ましい」という「国語力低下」を意味する誤表記が出て来たり(他にも「風紀」を「風記」とか、「尊重」を「奠重」とか)、「接吻」を「せんぷん」と読んでしまう婦人(これは表記自体が頭に思い浮かばなかったに違いないから、「読んでしまう」というのは正確でないか)が出て来たりしたのだが、これは石坂洋次郎の原作にあるのだろうか。読んでいないので分らない。
ここで、脇村義太郎『東西書肆街考』(岩波新書)が、三月に復刊されることを知る。老婆心切ながら、まだ読んでいない文系の方におすすめします。というか読んでおいたほうがいいと思います。これは名著です。
二月は、『人性論』に『雑兵物語 おあむ物語』に『通俗古今奇観』……だって津田左右吉ゴーゴリもある。
ところで今日は、均一棚で拾った小泉信三『讀書論』(岩波新書)を読んだ。水上瀧太郎との親交を描いた箇所あり。第一章に、「書籍を離れて讀書を論じてゐる閑に、先づ書籍に向つて突進せよといふことが差し當り親切な忠告である」(p.3)とあるのだが、その横に、鉛筆で、 すぐこの本を読むのをやめるべし. という書込みがなされているのが笑える。
この書物は、岩波書店小泉信三との関係が悪化しつつあった時点で出されたものであって、

資本論」の一章に、資本主義發展の窮極を豫想し、窮迫したプロレタリヤの大衆が國家權力を掌握して、少數の資本豪族から其手に集中せる資本を剥奪することの必至であることを説くところで、資本家的所有は自己の勞働に基づく個人的所有の否定であり、その資本家の剥奪は「否定の否定」であるといつてゐる。いふ迄もなく「否定の否定」はヘエゲル辯證法上の用語である。併し乍ら此場合、此用語は資本主義崩壊の必然を論證する爲めには、一の警句的の役目を果たすに過ぎず、「其文を恐るゝ勿れ」との訓へを記憶するものには、此言葉は何事をも納得させる力を持つてゐない。
弟子は屢々其師を畸形にする。マルクス自身にもあつた、好んで平明でない語句を用ゐる習癖は、往々マルクシストに依て更に甚しく誇張された。(p.101)

などといった激越な口調からも、それをうかがい知ることが出来ると云えよう。小泉自身は、いわゆる「単独講和」派、安保支持派で、これは左派の主張とは相容れないものである。

*1:「駐車」を「〔馬+車〕車」と書いてしまうような、同化現象とみることも出来るか。