竹内文書

向井透史『早稲田古本屋日録』(右文書院)を購入。
麻原彰晃の誕生 (文春新書)偽史冒険世界―カルト本の百年 (ちくま文庫)
高山文彦麻原彰晃の誕生』(文春新書)を読む。「第3章 オウム前夜」に、「竹内文書」「ヒヒイロカネ」のことが出て来る。
竹内文書」といえば天津教だが、この天津教は戦後になって、超国家主義の温床となるという廉で占領軍の弾圧を受けている(その教主・竹内巨麿は戦前に不敬罪で逮捕されたが、GHQの「人権指令」によって、出口王仁三郎や大西愛治郎らとともに「無罪」となった。それにも拘らず、である)。しかし、実は戦前も特高の弾圧を受けていたのである。教義そのものが、「記紀神話」と相容れなかったためである。
巨麿は、昭和五年に詐欺容疑で逮捕され、昭和十一年には、「伊勢神宮」に対する不敬罪で逮捕されている。後者は、第一審で懲役一年の判決が下った。控訴審では、執行猶予付きの懲役一年という判決が下ったらしいが、検察側は狩野亨吉、橋本進吉、相田二郎の説を援用したという(狩野や橋本は「神代文字」で書かれた「竹内文書」の真偽を判定するために協力。狩野は、昭和十一年に、「天津教古文書の批判」を岩波の『思想』に発表した)。橋本進吉は出廷もしたようだ(秦郁彦*1昭和史の謎を追う・下』文春文庫による)。その後、竹内は上告するが、判決を迎える前に敗戦を迎えた。「竹内文書」も、東京大空襲で焼失してしまった。
ところで長山靖生氏は、『偽史冒険世界―カルト本の百年』(ちくま文庫)で、天津教と大本教の共通点に言及している(「竹内文書は軍部を動かしたか?」)。それによれば、両者ともその「宗教的発露」を武烈天皇に結びつけているのだという(p.233)。ここからも、「記紀神話」と相容れないという意味が窺い知れよう。

*1:秦氏の推理によると、大本教の弾圧には、「皇道派」と「統制派」の勢力争いが関係しているということだが、果してどうか。