また風邪をひいた。一晩ぐっすり眠ると、ほぼ治った。
文字研第三回フォーラム「漢字と国語―その歴史と教育―」に参加するため京都へ。
ちょいと空き時間があったが、古本屋街へ行く時間はなかった。しかし、お供本の本田靖春『疵――花形敬とその時代』(文春文庫)をよみ終えてしまっていたので、乗換え駅のすぐ近くにある新本屋へ入る。長田弘『読書からはじまる』(NHKライブラリー)を購入。読む。なるほど、椅子と書物との関係は面白い。が、私にはまだまだ読むべき本が沢山あるから、「子どもの本と付きあう」というのは、ちょっとむつかしいかな。「ホッツェンプロッツ」シリーズだの「怪人二十面相」シリーズだの「青い鳥文庫」だのは、今でも時々、読みかえしているが、新たな「子どもの本」に立ち向かおうという気力や勇気、ゆとりはない(明治・大正期の童話はたまに読むけれど―ほるぷ出版の復刻本などで―)。
フォーラムが始まったのは午後一時半。敦煌の人民のリテラシーは一割にも満たなかったのではないかという話。フィンランドで外国の映画がかかるとき、吹替えはなくて字幕(スーパー)のみだという話。その他にも色々、面白い話をうかがった。
高田時雄先生のお話のなかに、桑原隲蔵があるエッセイで学生の漢字読み書き能力の低下を嘆いていた、というのがあったけれど、それは読んだ記憶がない。
夕方から懇親会。ある出版社のNさんという方に編集者としての心得をうかがったり、Yさんによる古本談義をうかがったりした。Yさんは、むかし(“まだ若くて体力と金とがあったころ”)色々の資料を集めておられたのだそうで、「日清・日露戦争関連資料」を相当蒐集されたという。ガラスケースに入れているのが二三千円のシロモノなのに、足許に転がっていて時折蹴飛ばしてしまうようなもののなかに数十万円の資料が隠れているというやや自嘲的なお話も、たいへん羨ましかった。
某所にて、平野甲賀『もじを描く』(sure)を買って帰る。