わたし、生きてます

◆気がつけば、久しぶりの更新です。とはいえ、以下の殆どは少し前に書いたものです。某さんや某さんが、「higonosuke君、生きてるか?」と心配されていたようですが、大丈夫です。このとおり生きてます。
◆八月初旬のこと。K古書肆の主人から、O書店が店を閉めてしまうかもしれないという話を聞き、驚く。なんでも本店の番頭さんがやめてしまったのだそうだ。ちょっと遠いが、今度からは、K古書肆を覗くとするかな。新古書店Aも潰れてしまったみたいだし。また、その主人に、OMM古本市の会場が例年にくらべて狭かった理由についても伺った。京都の古書肆が撤退したからとの由。
◆八月下旬に、慌しい数日間の帰省を済ませてきた。従兄の結婚式のためである(某先生には、誤って九月と伝えてしまった……。帰省時、KK大の前を通りかかったというのに)。五年ぶりでTやMとも会った。
JK書店も覗く。『日夏耿之介詩集』(新潮文庫)帯附100円は、復刊本だが安い。こないだ、ちょうどT先生と日夏耿之介の話をしたところだったし。他に、専門関係の本を幾冊かと、今野圓助『柳田國男隨行記』(秋山書店)800円と。今野著の口絵(モノクロ写真)には、若き日の今野や池田彌三郎、伊馬春部が写っている。
「今野圓助」は確か「今野圓『輔』」ではなかったかと、帰ってから手持ちの本(四冊)を見てみると、やはり全て「今野圓輔」である。
また「はじめに」に、「先生(柳田國男―引用者)がこの旅行をなさったのは、六七歳当時だったが、もう一人の折口信夫(一八八七〜一九五三)先生も、さらにもう一人の渋沢敬三(一八九六〜一九六三)先生も、ともに六七歳で旅立たれている。折口先生の愛弟子だった池田彌三郎先生も六七歳で折口先生のもとにいかれた。そして今、私もその六七歳になった。私がいたずらに馬齢を加えたことなどは、何の値打ちもない。ただの偶然だけれども、この六七歳という年齢の一致が、私にこの本の出版をうながすきっかけになったことだけは間違いない」とあるけれども、因縁というべきか、今野もこの本を書いた直後(数日後!)に、六七歳で亡くなっている(死因は心筋梗塞)。……というようなことが、帯に書いてある。
林哲夫『古本屋を怒らせる方法』(白水社)を、帰省時に機内で読んだ。この本に、「(高村光太郎が―引用者)行きつけだった浅草のレストラン『よか楼』にかかっていた自作の油絵をメッタ切りにして出入り禁止をくらう」(p.198)、とあった。
私が「よか楼」を知ったのは、わが敬愛する獅子文六先生の『へなへな隨筆』(文藝春秋新社1952)に収められた、「葉舟先生」というエセーによってである。
これが妙に印象に残る文章なので、ちょっと長くなるが引いておこう。

義太夫を二三人きいて出ると、夜になつてゐた。今度はヨカ樓へいかうと、葉舟先生がいつた。ヨカ樓は説明に苦しむ家で、結局、日本式キャフエの元祖といつたら、最も早わかりがするかも知れない。しかし、純フランス式なぞと、號してゐたやうである。
とにかく、きれいな女が澤山ゐて、その寫眞を數珠つなぎにして、新聞廣告をするので、世間に知れてゐた。さういふ俗臭紛々の旗亭を、なぜ高村光太郎氏以下當時の前衞的文人畫家が贔屓にしたのか、年少の私には機微を解せなかつた。葉舟先生と私の通されたのは、奧の日本間だつた。日本髪の若い美人が出てきて、葉舟先生と馴染客らしい口をきいた。私はこゝで飯を食ふのかと思つたら、葉舟先生は紅茶のやうなものしか註文しなかつた。葉舟先生は酒を嗜まなかつたやうだが、それにしても異樣であつた。今にして思ふに、その晩、葉舟先生は懷工合が面白くなかつたのであらう。かゝる場所の日本間で、紅茶だけを啜るのは、なにやら不調和だつたが、そのうちに、どういふものか、私は腦貧血を起した。すると、葉舟先生は先刻の美人にコロイダンといふ藥を買はせて、私に飲ませてくれた。
私は三十分ぐらゐ横になつてゐた。やがて、先生はポケットから詩集を出して、微吟し始めた。美人も現れなかつた。いやに靜かな座敷で、葉舟先生の微吟が、私の腸に浸みとほるやうだつた。私はその時少し先生に推服したのは、不思議なことだつた。(『へなへな隨筆』pp.201-02)

◆幾つかのブログ等で言及されていたが、『伊勢人』終刊号の特集は竹内浩三なのですね。ついこのあいだ、稲泉連『ぼくもいくさに征くのだけれど』が文庫化されたばかりで、文庫版解説を出久根達郎さんが担当している。その解説で出久根氏は、「竹内浩三の作品を、(「反戦詩人」という―引用者)色眼鏡で読んでほしくない。色眼鏡は竹内の世界を狭めてしまう」(p.345)と述べ、また、「竹内浩三が『青春の詩人』と見られたなら、もう少し若い人たちに受け入れられたのではないか」(p.342)、と書いている。最近出た『ダカーポ』9月5日号でも、出久根氏は竹内浩三を紹介し、かつこう述べている。「戦時中に戦後の日本を的確にとらえています。その意味で私は反戦詩人というより、予言者の詩人として評価しています」(p.48)。
◆某所で、その『伊勢人』終刊号を入手することに成功。また、意外なところで『白秋詩集』を頂く。
◆ぽか、ぽか、そしてぽか。嗚呼、恥ずかしや。しかし、旅の恥はかき捨て、と言うではないか。と思ったら、ぐるりには知った人ばかり。いや、ぽかをやらかしたのは、旅先だけではないというのが、実は、もっともっと深刻な問題なのだが……