人情紙風船

人情紙風船 [DVD]
◆昨日、山中貞雄『人情紙風船』(1937,P.C.L)を観た。二回めの鑑賞。山中の東宝入社後最初の作品であり、また最後の作品である。
プロットは、江戸巷談のいわゆる「髪結新三(しんざ)」のエピソードが主なので(新三に扮するは中村翫右衛門)、浪人・海野又十郎(河原崎長十郎)が毛利三左衛門(橘小三郎)に仕官を求めるエピソードは従にすぎない*1。しかし実は、海野仕官のエピソードというのは、三村伸太郎のもとの脚本に、山中自身が、「『河内山(宗俊―引用者)』見たいなものになつてしまふ」ことを避けるために、あとから態々つけ加えたエピソードなのである。だから、形式上は従だとしても、内容的には大きなウエイトを占めるものである。
海野は、人情味溢れる人間ではあるが、鈍感で、不器用で、臆病で、お人好しな浪人者である。たとえば、海野が源七(市川笑太郎)以下乾分*2たちの不意討ちをくらうシーンでは、派手なチャンバラに発展することもなく、一方的に叩きのめされてしまう。それゆえ海野を、山中自身の投影とみるむきもあるのだろう。
評伝山中貞雄―若き映画監督の肖像 (平凡社ライブラリー)
市井の人々――すなわち源公(中村鶴蔵)や籔市(坂東調右衛門)は、佐藤忠男が嫌悪感を抱いていたような、『七人の侍』の農民たちに通ずる臆病さや弱さを抱えているといえる。それはたとえば、新三と源七とが丁丁発止とやりあうさまをただ遠巻きにして眺めることしか出来ないところによくあらわれている。そういう大衆の姿も、山中の意向によるものであるようだ。すなわち三村の脚本では、「(新三は―引用者)長屋連中とともに江戸ッ子の向っ気と意地を示す人物に設定されていた」のだが、山中は、「長屋連中を気はいいがいざとなると引ッ込んでしまう、いわば典型的な日本人の姿に置きかえた」という(千葉伸夫『評伝 山中貞雄―若き映画監督の肖像―』平凡社ライブラリー,p.343)。しかし彼らは、自らに利することや好奇心をかきたてられることだけには突き動かされ、めっぽう強気になる。たとえば籤引のシーンがそれだ。だからといって、その大衆がつねに無表情のノッペラボウだというわけではない。何れも個性豊かに描かれているのがまた驚嘆すべきことなのである。特に按摩籔市の人物造形が素晴らしい!
そして、この大衆はどこまでも暢気であるがゆえに(その暢気さが作品の陰惨な印象をいかばかりか拭い去るのに寄与してはいるが)非情である。冒頭、長屋の老武士が首を括った後、通夜にかこつけてどんちゃん騒ぎをするところにその残酷さが見え隠れしている。
海野や新三の死も、恐らくはそうやって消費されて行くに違いない。この長屋にあっては、彼らの死はあくまで「日常」の一齣にすぎないからである。つまり、生きる術を知らない不器用な人間(海野)や、勇気をもって運命に抗おうとする者(新三)は、「終わりなき日常」から容赦なく排除されてゆくのである。ここで、冒頭とラストは見事にリンクして来ることになる。
このような死を、顕彰されることのない死(あるいは形式的にのみ顕彰される死)と結びつけて、山中が自分自身の戦死を予見したかのような…ともっともらしく云われることがあるけれども、それはやや強引だ。たしかに、本作には暗い世相、時代の閉塞感、山中の不安などが反映されてはいるのだろう。だが、海野は破滅への道を、抗うことも出来ずに、自ら進んで行くのである。どしゃ降りの雨のなか、駕籠に乗って屋敷に帰る毛利を、佇んだまま見送る海野の姿はたしかに美しい。美しいけれども、その美しさというのはいわば悲壮美である。
本作を「日本映画史上ベストワン」とする人もあるようだが、それは過大評価だとおもうし、それに山中の本意ではないとおもう。多分、彼の悲劇的な最期が海野の死にオーヴァーラップし、また、「人情紙風船が俺の最後の作品では浮ばれない」というフレーム外の山中の言葉もあいまって、作品の評価にも微妙な影響をおよぼしているのだろう。「時代劇映画史上屈指の作品」というに止めておくこととしたい。
ところで、これを純粋な映画として観たとき、才気煥発な気鋭の監督による野心作、というよりは、むしろ重鎮の老監督が手堅くまとめ上げたかのような枯淡の味わいがある。徹底したローアングル、無駄なシーン*3をいっさい省いた演出方法、人物配置の妙(とりわけ新三とお駒の会話のシークェンスは秀逸である。また、発話対象をあえて「映さない」のは今観ても斬新)、小道具の使い方など、見るべき点は多いが、そのどれもが全然荒削りではなくて、熟練した腕の冴えというか余裕さえ感じさせる。
そして、光と影のコントラストが織りなす美しさにも息を呑む。それはモノクロームだからこそ映える。人物の動きも、畳に落ちる影、あるいは障子に透ける影によって表現されているところがあるが、これは日本家屋の特性を十二分にいかした演出として注目に値するのではないかとおもう。
美術考証はあの岩田専太郎。山中から、オープンセットを京都風ではなく、江戸風の家並にしてほしいと言われたと伝えられる。これも見事に奏功している。
◆西東三鬼の代表句「中年や遠くみのれる夜の桃」を、このところどこかでよく見かけるなあと思っていたら、『週刊新潮』なのだった。石田衣良の連載小説『夜の桃』の題字の横に、三鬼のこの句が常に掲げられていたのだった。と、唐突に三鬼の句を持ち出したりしたのは、林哲夫『古本屋を怒らせる方法』(白水社)のp.171*4とかpp.206-208とかに、西東三鬼が出て来るからだ。林氏曰く、「『冬の桃』は食の記録文学としても絶品である」(p.208)。これを読んで、コピーとしてしか持っていない『冬の桃』(毎日新聞社1977)の「神戸」「続神戸」(「俳愚伝」は所持せず)を某所で読んだのだった。いま引用しようとして探したが見当らない。もしかしてそのまま忘れて来たのか知ら。
三鬼といえば、「墓の前強き蟻ゐて奔走す」という句があった。清張ファンならピンとくるかもしれないが、松本清張『強き蟻』(文庫版は文春文庫)のタイトルは、ここから採られている。清張は、「タイトルの名手」といわれるように、よく言えば意味深長な、わるく言えば意味不明なタイトルを作品に冠している。『強き蟻』のように、文学に典拠のある清張文学のタイトルとしては、他に『たづたづし』があった。これは『万葉集』第七百九番歌に由来する。すなわち、「夕闇者 路多豆多頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見」(ゆふやみは みちたづたづし つきまちて いませわがせこ そのまにもみむ)。

*1:山中ははじめ、新三を長十郎に、海野又十郎を翫右衛門に演じさせようとしていたらしい。

*2:その乾分のひとりが市川莚司。後の加東大介である。

*3:海野がお駒(霧立のぼる)をかくまうシーン、長兵衛(助高屋助蔵)が白子屋にかけあうシーン、新三と源七(市川笑太郎)との決闘シーンなど。

*4:ついでに言うと同頁の「放哉」が、誤植で「放裁」となっている。