向日庵私版のこと

 現在の枕頭「本の本」は、寿岳文章著 布川角左衛門編『書物とともに』(冨山房百科文庫)。寝る前に気のむいたところから読み始め、きりのよいところで適当にやめてしまうということを繰り返しているから、再三読んだエセーもあるし、全く読んだことのないエセーも未だにあって、この一冊でずいぶん楽しんでいる。こういう読み方は、どこまで読んだかということをいちいち気にせずに済むからよい。
 ところで同書には、「向日庵私版発願記」(pp.173-74,初出:一九三四年十二月『書物之道』)というのと、「なぜ向日庵私版を復興しないか」(pp.175-78,初出:一九五一年六月「日本古書通信」)というのとが収められてあって、これらを続けて読むとたいへん面白い。「向日庵」とは、寿岳が昭和八年初夏からしばしその居を構えていた京都の向日町に由来する名称で、「向日庵私版」というのは、ウィリアム・モリスを敬愛する寿岳らしく、寿岳手づから制作・刊行した書物群のことをさす。「向日庵本」と呼ばれたりもする。向日町*1といえば、私自身、そこへ何度も足を運ぶ機会があったから、馴染みのふかい土地であるが、それはさておき。
 「向日庵私版発願記」で「私は、一作を一作より高きに登らしめんと志してきたことをひそかに誇りとしている」(p.174)と書いた寿岳は、十七年後、「なぜ向日庵私版を復興しないか」において、「日本の出版界、また読者層に対する私の失望は深い」(p.176)、「私は日本の愛書家と称する人々に、絶望を、否、ときには憎悪をすら覚える」(p.177)と書くに至る。ここでの「愛書家」はどうやら、ただ道楽に徹して「美しい書物を数多く集めること」をモットーとする蒐集家をさすようで、寿岳はそれを別のところで「病書家」(p.56)と呼び、また「書物の敵」(p.67)と呼んで排撃している。
 もとより私は稀覯本には縁のない身、まづ「愛書家」たり得ないことをこれは負惜しみではなく幸におもうのであるが、ともかくも寿岳はそんな「愛書家」に大いに失望し、また「その私版を特徴づける活字を持」てなかったことにも失望し(コブデン・サンダスン、ピサロなどの成功例を引きつつ慨嘆している)、「向日庵私版を復興しない」と宣言したわけである。それが、今日の「向日庵私版」の価格高騰を招いているのは皮肉であるが、寿岳は書物を一種の「綜合藝術」(と書くとまるで映画のようだが)として愛でていたことがわかる。
 「向日庵私版発願記」には、向日庵私版の既刊本が六冊しか紹介されていないが、中嶋宗是『書物随叢 本の醍醐味』(関西市民書房,1981)所収の「向日庵私版書目」(pp.301-02)には十五冊が紹介されている。
 同書の著者、中嶋宗是(泉啓一)は、向日庵私版について以下のように書いている。

 向日庵本は書物工芸家の本づくりとして最高の貴重性をもつが、とくに『紙漉村旅日記』は至高の書である。その学究的態度は取材、記録、編集にも、みじんの隙もない。ただ、それが道中記なるがゆえに、取材中、村童たちが好奇心で群がってくる描写や、同行の士の人々のエピソードや、崩壊してゆく村落、風景の描写などは、紙に対して一知半解の私などはむしろ息抜きのようなほっとした気持ちで魅(ひ)き入れられる。(学究的ではない、と書いておられる先生は、あるいはそんなことも計算済のことかもしれない。)(中略)ここでは『紙漉村旅日記』の本づくりのすばらしさを記して、向日庵本の一端をお伝えしよう。
 『紙漉村旅日記』は菊倍判、表紙は白石産和紙を上村六郎氏が別染、これを紙撚(こより)にし紙布として表装したもので、岱赭(たいしゃ)色のやわらかさといい、手ざわりのやさしさといい、黄色い子持ち枠の題簽といい、何とも言いようのない典雅美である。(pp.298-300)

 この本、「序」を書いているのが、寿岳文章その人なのであった(「京都の知識人」に対する憤りを吐露している)。帯の、谷沢永一によるすいせん文もたいへん素晴らしいのだが、引用するのはひかえておく。

*1:現在は市制施行のため向日市となった。但し、JRの駅名はいまだに「向日町駅」。