あるところで、「山本」(やまぼん=山岳に関する書物)が話題となっていた。わたしは山本に特別興味がひかれるわけではないし、手持ちの山本もごくわずかである。
昨年亡くなった西丸震哉、それから上田哲農や板倉勝宣の本は、中公文庫に入っているからたまたま買ったのである。昨夏に中公文庫で復刊された槇有恒『山行』(板倉勝宣の遭難に関する一文も収める)は、旺文社文庫版を持っているのだが、これもどちらかというと、「旺文社文庫」だから気になって購った。そういえば藤木九三*1の『ヒマラヤ登高史』だって、「アテネ文庫」蒐集の一環として買った。それから小林泰彦(小林信彦の実弟)の『日本百名山』ならぬ『日本百低山』は、著者にひかれて買ったのだった。この記事を書いていておもい出したが、松濤明『風雪のビヴァーグ』は、ヤマケイ文庫の新編集版を持っているけれども、これはずっと以前に、テレビ朝日系の『ほんパラ!関口堂書店』*2で紹介されたのが記憶に残っていたから買ったのである。
また新田次郎の山岳小説は、父の知人から段ボール一箱分を一括で頂いたものが実家にあり、幾らか読んだが、これも自らすすんで読もうとしたわけではなかった(『武田三代』などの歴史小説は確かに関心があるから読んだのだっだが…)。そのほか、串田孫一の本は文章のリズムが好きなのでたまに買うわけだし、ウィンパー『アルプス登攀記』は、「ブロッケン現象」らしき怪異譚が記されているというので*3、いわば「古典的興味」を刺戟されて買ったのである。
もっとも、ここに挙げたのは、いずれも読んで満足したものばかりだが、それにしても、購入に至る動機が不純なのだ。山岳関係の書物を、単に「山本」だからという理由で買ったり読んだりしたことがないのである。
前置きがすこし長くなってしまったが、その「あるところ」で、わたしは、すこし以前に下北沢のB&B*4で購った野口冬人『冬人庵書房―山岳書蒐集家の60年』(山と渓谷社2013)を挙げておいた。
目が冴えてどうしても眠れなかった初夏のある晩にこれをじっくりと読み、いたく共感したからである。
この本には、蒐書の楽しみや喜び(そして哀しみ)が満ちあふれているし、一足違いで逃した本を何とかして入手しようと奔走するさまが描かれているから、「山本」にさほど興味がなくても、本好きならきっと面白く読めるはずだ。
さて、その「第五章 思い出の一冊」には、「志賀重昂著の『日本風景論』」という文章が収められている(pp.168-72)。小島烏水の解説がついた岩波文庫版の『日本風景論』は、六、七年ほど前になるだろうか、年四回の「一括重版」で重版再開された際に買った記憶があるが、『日本風景論』には、なんと第十五版まであって、「今日でも珍重な本とされるのは、十五版まで重ねた各版の表紙絵がすべて異なっていることと、内容的にも大幅な手が加えられる」(前掲p.169)からだという。
このことは、今春連載が始まった、朝日新聞夕刊の「〜をたどって」シリーズのはじめのほうにも書かれている。本好きの間では、「本をたどって」(全十回、5月7日〜20日)がもっぱら知られているのかもしれないが(そしてこれが今のところ最長の回となっている)、4月1日〜5日に、シリーズの劈頭を飾る「風景をたどって」(全五回)が連載された(担当は福田宏樹氏)。文章を縦に書くことの意義や、雲仙(温泉)地獄の風景が、雅致ある文章で綴られており、『日本風景論』の内容を基調に論が展開されてゆく。この第二回(2日付)に、「江山洵美是吾郷(こうざんじゅんびこれわがきょう)――そう記して始まる志賀重昂の「日本風景論」は、漢文まじりの名調子で自然の美をうたいあげた。刊行は1894(明治27)年、売れに売れて15版を重ね、版ごとに表紙が変われば中身も手が加えられている」、とある。
わたしは、明治に刊行された『日本風景論』を、O書店のショーウィンドー越しに一度だけ見たことがあるが、当時は「版ごとに表紙が変わ」ることを知らなかったから、ロクに刊行年を確かめてみることもしなかった。たしか、白っぽい表紙であったと記憶する(野口著の表紙に見える『日本風景論』は緑の表紙だが、何版かまでは分らぬ)。
それはそれとして、この『日本風景論』、野口著にも「特に本文末に付録として付けられた『登山の気風興作すべし』の一文が、日本の近代登山史の幕開けを果たした」(p.168)と紹介されるように、「山本」の古典的名著として位置づけられている。
しかし、志賀自身は山歩きがにが手だったらしい。それについては、谷沢永一が「書誌学的探索の執念」(1976.8.25,『紙つぶて 自作自注最終版』文藝春秋2005;pp.588-89)で志賀への追悼文を引いて明らかにしている。孫引きすると、「追悼文(佐藤という署名で『地学雑誌』昭和二年六月号)に、『自ら山野を跋渉すること頗る不得手であった』と評されている」(p.588)。
それでは、「登山者でない彼は、どうして実践的な登山知識を手に入れたのか」(同)。それに対する詳細な答えは、谷沢著を読んでいただくよりほかないが、要点だけ述べると、フランシス・ガルトン『旅行術』という種本があった――、とまあ、そういう訣なのである(黒山健氏が明らかにしたという)。
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最近出た「BRUTUS」の特集が「古本屋好き。」。その「100古書店。」の、「山に関する本を探すなら。」という項で紹介されているのが、阿佐谷の「穂高書房」。
同じ阿佐谷にかつて存在した山岳書専門店に、「吉田書店」がある。これも野口著で紹介されている(pp.139-44「今はない阿佐ヶ谷の吉田書店」)。文中に「松本清張は、吉田二郎(吉田書店の店主―引用者)をモデルに『女性自身』に「幻の初登攀物語」を執筆しているが、当時の吉田の心理状況を巧みに描いていると言われている。その下書きは、吉田自身が書いたという風聞もあった」(p.143)とあるのだが、この作品、「文字のない初登攀」と改題され、たしか新潮文庫版『憎悪の依頼』に入っている。読みかえしたくなったが、実家に置いてきてしまった。
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