棭齋「轉注説」など

 素見ですませるつもりでM書房の文庫棚を漁っていると、背の焼けた菊判の日本古典全集正宗敦夫、与謝野寛・晶子編纂)が出て来たので、なにげなく中身を見たら、『易林本 節用集』だった。さらに、『狩谷棭齋全集第三 轉注説 扶桑略記校譌 毎條千金』が出て来たばかりか、おなじく棭斎全集の第一・第二(『校本日本靈異記』『日本靈異記攷證 京游筆記』)、『ぎや・ど・ぺかどる 上巻』『ぎや・ど・ぺかどる下巻 妙貞問答 破提宇子 顯僞録』が見つかったので、いそいそと小脇に抱えこみ、全て購ってきた。各210円。
 「轉注説」の入った文庫版の本というと、この日本古典全集本しかないはずで、七年ほど前に某書店で確か1800円の値がついているのを見て、買うのを断念したことがあった。古本屋で目にしたのはそれ以来のことだから、やはり嬉しい(同じ叢書に入っている『伊呂波字類抄』は、別の本屋で揃定価10000円がついているのを見たことがある)。
 日本古典全集本の「轉注説」は、静嘉堂文庫蔵の自筆稿本によっており、門弟渋江抽斎・岡本保孝の自筆奥書(附記)も併せて収める。のち門弟の森枳園が少部数印刷した木活字本もあるといい、それを手写したのが図書寮本である。こちらには、渋江・岡本による奥書が附されていない。
 さて棭斎の「轉注説」は、「六書」についての解説では、日本における学説として唯一取上げられるものといっても過言ではない。与謝野寛「轉注説大概」は、『説文解字』関係の書目を多数挙げた後、棭斎の説は「宋代の張有、毛晃、清代の王筠、曹仁虎諸家と多く逕庭無きものであるが」、「『説文解字』の叙の六書の諸項に羼入の文ある事を、後魏書に載せたる江式の『論書表』を引いて考證し、之を刪り去つて許愼の舊に復するに非れば其正義を得ること能はずと斷じたるは、彼土の學者の何人も未だ曾て想ひ及ばざる一大發見である」(p.20)と称揚する。
 いま中国語学研究会編『中国語学新辞典』(光生館1969)をひもといてみると、「六書」の項(志村和久)に、「(転注について―引用者)徐鍇・江声らは漢字が各部首ごと(ママ)に系統的な意味を受けていること,戴震・段玉裁らは,いわゆる互訓と同じ,顧炎武・江永らは,音を転じて別字の義に用いることとする。狩谷棭斎は説文序に後人の竄入ありといい,それを除き,六書のうち四者は文字の構造を,転注・仮借は文字の運用を説くものとして,江声の説を裏書きした」(p.156)、とあった。現在でこそ「象形」「指事」「会意」「形声」は造字法、「転注」「仮借」は用字法、などと普通に言われたりもするが、棭斎の「羼入」説は、(もし正しいとすれば)そうした区別のあったことを裏づけるものなのである。
 さらに詳しく知りたい向きは、こちらなど参照。ただし、「羼入」説は否定されている。

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 説文関連の記事はここに書いたことがある。
 ついでながら述べておくと、吉川幸次郎は、渋江全善が抽齋と号するのを、段玉裁の「抽書」説によるかと述べた(『読書の学』ちくま学芸文庫等)。すなわち、『説文解字』「言」部の「讀籀書也」(讀ハ書ヲ籀スルナリ)に対して、段氏が「抽繹其義薀至於無窮謂之讀」(其ノ義薀ヲ抽繹シテ無窮ニ至ル、之レヲ讀ト謂フ)と注したのによるのではないか、ということである。

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 また、棭齋「毎條千金」を読んでいると、一般的には国字とされる「畠」字に関する記述があった。以下に引く。

 白田の字は抱朴子、晉書、又順(源順のこと―引用者)の和名抄に引きし續捜神記に出で、延喜典藥式にも白田と二字にしたれば、白田と書かんこと正しきは云ふを待たず。されども類聚國史、延暦大神宮儀式帳、日本靈異記、國(玉カ―引用者)造小町壮衰書、延喜式、神名陵名、政事要略、慶保胤池亭記、又眞跡の今世に殘りたるものには、天平廿年弘福寺文書、天平勝寶八年水無瀬地圖、天長元年紀氏賣地解などに見えたれば、一字としたるも古き事なり。(p.209)

 「一字としたる」のが、つまりは「畠」字である。
 棭齋『箋注倭名類聚抄』はいま手許にないので、国会図書館本デジタル化資料を参照すれば、84-85コマ目に「白田」が出て来る。85コマ目七十四丁ウラに、上と同様の記述がみえる。
 さきに書いたように、『校本日本靈異記』も同時に入手したので、当該箇所を探ってみると、巻下第廿六の本文に「富貴多寶有馬牛奴婢稻錢田畠等」(pp.208-09)とあり、「田畠」は二合字になっている。これは訓合ではなくて音合の可能性がある(『日本靈異記攷證』は当該語を取上げていない)。「畠」に字音「ハク」があることは、たとえば『全訳漢辞海【第二版】』(三省堂)の「畠」字「参考」欄が「『白』を声符とみなし、『ハク』と読むことがある」(p.945)、と説くとおり。ただし同書は、「畠」を国字と見なしたうえでそう書いている。
 笹原宏之氏は、「畠」を国字と見なすことに慎重で、以下のように述べている。

「畠」は中世以来、中国起源との説が現れていたが、「自+田」という類似する例を除いても、仏典には使用の痕跡が残る。唐の善無為(輸婆迦羅)『地蔵菩薩儀軌』(『大正新脩大蔵経』第二〇巻六二五頁)に「若念枯田畠五穀生者」とあり、また唐の不空『大集大虚空蔵菩薩所問経』第七巻(同第一三巻六四二頁)に「有四護菩提場眷屬天。一名畠却梨」、不空・遍智『勝軍不動明王四十八使者秘密成就儀軌』(同第二一巻三七頁)に「欲得田畠返者」とあるほか、さらに宋の智覚禅師『心性罪福因縁集』巻中(『卍続蔵経』第一四九巻二二八ウ)に「田畠屋宅一切之財寶」と用いられている。日本での写本によるものがあり、確例とはいいがたいが、こうした仏教での使用が古代の日本に伝播していた可能性を示すものである。(笹原宏之「「佚存文字」に関する考察」*1『国字の位相と展開』三省堂2007:97-98)

 『靈異記』の用例などから考えると、「畠」は単独ではなく、あるいは、「田畠」という熟字としてまず伝わった可能性もあるだろう。
 大原望氏「和製漢字の辞典」の「畠」字の項はこちらに。

国字の位相と展開

国字の位相と展開

*1:初出は、早稲田大学国文学会「国文学研究」第一〇五号pp.57-66;1991