文章はいっこう巧くならないが、文章読本の類を読むのは以前から好きである。
たとえば、斎藤美奈子『文章読本さん江』は単行本刊行時に(どんな内容であるかも知らずに)飛びついたし、最近でも、岩淵悦太郎編著『悪文―伝わる文章の作法』が文庫版*1で出て、単行本を持っているはずなのに買い直したし、小谷野敦『文章読本X』(中央公論新社2016)も「即買い」で、出張時の車中にて一気に読み了えた。
その小谷野著で気になったところを挙げるなら、たとえば、
小説などの場合、人の動きを描写するには、「した」「来た」「買った」など、「た」が引き続いて文末に来ることが多く、読んでいるといかにも平板な感じがするため、小説家は、適宜、語り手の思考を挿入したり、現在形を使ってみたりして工夫を凝らした。つまり、「死体をすぐに処分しなかったのは、やはりためらわれたからであろう」といった具合である。(p.74)
という箇所がある*2。これは、小説家でも何でもないわたしでさえよく悩む問題である。
高校生の時分に、小説とも随筆ともつかない文を書いた際、同級のH君に批評を求めたところ、「畳み掛けるような『〜た』の連続が面白い」と言われ、多分それは彼なりの手厳しい批判だったと思うのだが、それ以後、文章をものするときは気を配るようにしている。
中条省平氏は、『文章読本―文豪に学ぶテクニック講座』(中公文庫2003)*3で、「統計を取ってみたわけではありませんが、鷗外は、文の『〜た』止めの割合がもっとも低い作家の部類に属するのではない」か(p.20)と述べ、それに比べると「漱石は『〜た』止めを続けて使ってもあまり気にしないほうの作家」だ(p.26)と記している。そして、漱石『それから』末尾の表現について、
それにしても、この「〜た」止めの連続は異常です。しかし、ここまで来ると、この「〜た」の過剰がやはり呪術的なリズムを刻み、代助の心象風景の極端なエスカレートぶりをがっちりと支える機能すら担っています。(p.26)
と書いているのだが、わたしのような素人が下手にこれを真似しようとすれば、火傷するだけである。やはり、「〜た」が過剰にならぬよう注意しておくに越したことはない。
また小谷野氏は、小説を書くときに「〜と言った」が連続してしまうのを苦労する点として挙げたり(p.90)、伝記で「〜という」が連発するのに悩まされると述べたりしている(p.102)が、これも同様に「作文あるある」で、特に「〜という」などは、気をつけていないと、うっかり何度も使ってしまっていたりする。
小谷野著では、谷崎作品について論じたくだりが最も面白かったが、それに関しては他日に譲るとして、次の話柄も印象に残った。
人はかっこうをつけたがって、別に周知のことでもないものを、「周知のこと」と書きたがるものである。「人形浄瑠璃を今日文楽と言うのは、明治時代に大阪で植村文楽軒が文楽座という人形浄瑠璃の小屋を運営していたからであることは、今さら言うまでもない」といった類である。これは、国文学者が国文学者相手に書く分にはいいようだが、逆に国文学者なら、それこそ言うまでもないから書かないだろう。言うまでもないなら書かなければいいのに、書いてしまうのが病である。
「知れ切ったことだ」というのは小林秀雄のよく使っていた言葉だが、これも嫌味で、知れ切っているなら書かなければよいのである。概して、文藝評論のまねをしようとすると、文章は悪くなる。私は今でも、さすがに「周知のとおり」はやらないが、「言うまでもなく」は書きそうになってあわてて消すことがある。またこれに類する言い回しとして「を引くまでもなく」がある。(p.19)
これを読んで、ふとおもい出したのは富士川英郎『鴟鵂庵閑話』(筑摩書房1977)。この随筆集はすこぶる面白いのだが、残念なことに、「言うまでもなく」の類の多用が読者を択んでしまっているような気もしたのである。
その一部を引くと、「『南翁』は言うまでもなく河南儀平のことであり」(p.7)、「(葛子琴が)浪華の混沌社中、切っての詩人であったことは周知の通りである」(p.30)、「(菊池五山が)江湖社の詩人たちのうちでの重鎮となったのは、周知のところだろう」(p.68)、「『剣南集』が陸放翁の詩集であることは言うまでもなかろう」(p.71)、「道真の『九月十日』という有名な詩の、『恩賜御衣今在此、捧持毎日拝余香』という転結の二句を踏まえていることは言うまでもない」(p.73)、「山陽の『論詩絶句』では、言うまでもなく…」(p.74)、「(山陽が如亭の遺稿集の)序文を書いていることは、周知のところだろう」(p.79)……、といった具合である。
小谷野著ではそのほか、「しかし」の多義性(pp.96-98)や「立ち上げる」(pp.160-61)など、言葉そのものについて書かれたところもあるし、相変らず読書慾が刺戟される記述も多々あり、久しぶりで『細雪』を再読しはじめたり、志賀直哉の「焚火」を行きつけの古本屋で見つけて買ったりした(改造文庫版)のだった。
さて、数多ある『文章読本』のなかでも、わたしが特におすすめしたいのは、中村真一郎『文章読本』(新潮文庫1982)だ。口語文の文体としての確立やその歴史を概観するには恰好の副読本となることだろう。最近、某先生がこの本を推薦されていたので、大いに意を強くしたものであった。元版は1975年に文化出版局から刊行されたが、「文庫に入れるに際して、現在の若い読者のために文例を増補し」た(p.214「あとがき」)とのことだから、どちらかというと文庫版を参照するほうがよかろう。また、吉行淳之介・選/日本ペンクラブ編『文章読本』(ランダムハウス講談社文庫2007)*4というアンソロジーには、中村著の「口語文の改革」第三節が入っている*5。しかし、この「口語文の改革」よりも、「口語文の成立」「口語文の完成」「口語文の進展」の章を重点的に読むことをすすめたい。
中村著の「口語文の成立」の章について、先に引いた中条著は、
中村(真一郎)氏の卓見は、花袋、藤村などいわゆる自然主義の流派と対立する硯友社文学、とくに泉鏡花の、伝統的で、古風な、歌うような文語調を消化した文体のなかに、近代口語文のもうひとつの成熟のかたちを見出していることで、文学史を大胆に、原理的に簡略化しながら、こうした繊細な卓見をさりげなく挿入しているところに、作者の感性の確かさがうかがわれます。(「文章読本の変遷」p.196)
と賞讃しているが、一方で、最終章「口語文の改革」の第三節を「ほとんどやぶれかぶれの貼り混ぜアルバム」「後半のこの腰砕けぶりはかなり悲惨なものになって」いる(p.197)、などと酷評している。
ちなみにいうと、須賀敦子も中村版『文章読本』の一読をすすめていた。
某日某日
丸谷才一『文章読本』。中公文庫。
おなじような趣旨と題名の本が半世紀にも満たないうちに、五冊も書かれることの異様さを、著者も指摘しているが、丸谷氏のものと、中村真一郎氏の本は、若い人たちにも読んでほしい。中村氏の『文章読本』の、とくに口語文の発展の経緯を述べた部分は、新鮮な指摘に満ちていて、文体史的『文章読本』として貴重である。(「読書日記」『須賀敦子全集 第4巻』河出文庫2007所収:495)
この文章は、文庫版だと須賀の『塩一トンの読書』(河出文庫2014)pp.64-65でも読むことが出来る。
ところで先日、中村著を読み返していると、「そこで私たちは近代の古典のなかに、そのモデルを求めて、様々の模索のあいだに、鷗外の戯曲に遭着しました」(p.75)とあるのに気付いた。「遭着」は「逢着」と同義だろうが、冷僻の字である。まだちゃんと調べていないけれど、元雑劇や白話文等にしか出ない語だと思う。
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「文体」といえば、「尾崎紅葉と言文一致の時代」という文章をここで書いたことがある。
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