わたしが橋本多佳子や西東三鬼に興味を抱いたのは、十二、三年前に松本清張の「月光」『強き蟻』を読んだからだが、穂村弘氏は「私の読書日記」(「週刊文春」2019.10.3号)でこれと逆のことを述べている。すなわち穂村氏は、多佳子や三鬼の句集を入りくちにして清張の「月光」や『強き蟻』に関心を持ったのだという。もっとも「月光」は、句作の困しみや厳しさなどについて述べたものというよりもむしろ、多佳子と三鬼との関係について描いたもの、つまりゴシップ的な好奇心に応えるものであったと思う(だからといって、この作品を嫌いなわけではないが)。
今年は、多佳子の生誕120年に当る*1。そこでこの数日、穂村氏が読書日記で紹介していた『橋本多佳子全句集』(角川ソフィア文庫2018)*2にお気に入りの革カバーをかけ、何処へ行くにもそれを携え、閑さえあれば披いていた。
ひらき癖がついたせいか、「蟇(ひき)いでゝ女あるじに見(まみ)えけり」の句ばかり目に入るのが何となく可笑しかったが*3、「ゆくもまたかへるも祇園囃子の中」「子守唄そこに狐がうづくまり」「農婦帰る青田をいでて青田中」「木犀や記憶を死まで追ひつめる」「冬の旅日当ればそこに立ちどまる」「薔薇崩る切るに躊躇の長かりき」「蜂もがく生きるためにか死ぬためにか」「プールサイドの椅子身をぬらさざる孤り」「何の躊躇独楽に紐まき投げんとして」「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」など、孤独感や逡巡を感じさせる句がことに好みにあった。
穂村氏は、多佳子の句に「孤独と誇り高さ、そしてナルシシズム」を感じ取っており、それらの「すべての源には、ただ一人で自らの宿命に対峙するという意識があるようだ」(p.130)と評している。その「宿命」というのは、穂村氏が直前で「いなびかり北よりすれば北を見る」の句を取り上げて、
「いなびかり」が「北」からしたのに南を見る者はいない。だから、この反応は当たり前なのだ。にも拘わらず、どうしてこんなに恰好いいのだろう。これが南や西や東では成立しないことはわかる。「北よりすれば北を見る」という反射的行為の中に、一瞬の宿命の暗示を見ているような感覚がある。(同前)
と記したことを受けたものだ。
なお『全句集』所収、山口誓子の「解説 附多佳子ノート」*4によると、多佳子の作風に「ナルシシズム」がみられることは、当時の批評家らによっても「指摘」されてきたというが、誓子は、それは与謝野晶子の歌にうかがえる自己陶酔とは違って「自己愛惜と言うべきもの」だ(p.530)、と記す*5。
ところで東直子氏は、「朝日新聞」(2018.9.15付)の「文庫この新刊!」で『橋本多佳子全句集』を挙げて、
「乳母車夏の怒濤によこむきに」「いなびかり北よりすれば北を見る」等、激しさと冷静さを併せ持つ橋本多佳子の独自の俳句作品に魅かれていたので、気軽に持ち運べる文庫版の全句集がとてもうれしい。
と書いており、「毎日新聞」(2018.10.14付)の「今週の本棚・新刊」も『橋本多佳子全句集』について、
師の山口誓子が「一処一情」と評したように、対象と位置をきびしく選ぶ句が多い。「しやぼん玉窓なき廈(いへ)の壁のぼる」「いなびかり北よりすれば北を見る」「春空に鞠(まり)とゞまるは落つるとき」の視覚も鋭い。「白桃に入れし刃先の種を割る」。手元を見つめるシンプルな美しさがある。
と述べている。評者がこぞって「いなびかり」の句を択んでいるのが興味深い。これは「北を見る」の詞書をもつ一連の句のひとつであって、ほかにも「いなびかり遅れて沼の光りけり」「いなびかりひとの言葉の切れ切れて」などの佳句がそこに含まれる。
さて藤沢桓夫に、「俳人橋本多佳子」(『大阪自叙伝』中公文庫1981*6)という文章があって、藤沢は次のように書いている。
ここで思い出したが、その頃(「昭和十二、三年頃」―引用者、以下同)新潮社から出ていた「日の出」という大衆雑誌に私は「大阪五人娘」という長篇を連載することになり、その時の私の担当者が、後に樋口一葉の研究者として知られ、現在渋い良い短篇を書いている作家の和田芳恵氏だったが、雑誌の口絵に使う写真に、私が大阪の女学生たちと一緒にいるところを撮りたいという先方の注文で、私は当時帝塚山学院の女学生だった弥栄子(藤沢の母方の叔父石浜純太郎〈敦煌学・西夏語学者〉の娘、松本弥栄子のこと)の学友たち四五人にカメラに入ってもらったが、その一人のどこか岡田嘉子に似た少女が多佳子さんの長女の淳子さんだった。
とにかく、そんな因縁から、いつとはなしに私は多佳子さんと知り合うようになるのだが、まだ当時は多佳子さんが兄事していた山口誓子氏も多佳子さんも水原秋桜子氏主宰の「馬酔木」に客員の形で参加していた時代だった。そして、多佳子さんは夫君と死別して間がなかったと記憶する。
長身の多佳子さんは文字通りの容姿端麗の人だった。彼女の俳句の清楚なあでやかさ、形のよさがぴったりの才色兼備の佳人と言ってよかった。(p.279)
『全句集』巻末の年譜によれば、一九三五(昭和10)年9月のところに「誓子に従い「馬醉木」へ同人加入、以後俳号を「多佳子」とする」(p.555)とある。ちなみにそれ以前の俳号は「多佳女」、さらにその前は「多加女」であった。また藤沢は前掲の文章で、「帝塚山の、学院から北へ二町ほどしか離れていない高野線の線路から一町東の位置に、多佳子さんの住居があった」(p.278)と書いており、さきの年譜によると、多佳子が「大阪市住吉区帝塚山へ転居」したのは一九二九(昭和4)年11月のことで、その直後に誓子と初めて面晤している。
藤沢の文章は次のように結ばれる。
(多佳子が)奈良県のあやめ池へ引っ越してから*7も、多佳子さんは時どき私の家へ遊びに来てくれた。色紙や短冊に気軽に自分の句を書いて行ってくれることも多かった。彼女らしい美しい字を書くひとだった。それらの句の幾つかをここにしるして故人を偲びたい。
もの書けるひと日は紫蘇に指をそめ
蓮散華美しきものまた壊る
秋風にあさがほひらく紺張りて
炉より火花ひとりの刻をさっと捨つ(pp.281-82)
ただしこの四句、『全句集』に収めるものとは若干の異同が有る。「蓮散華」「秋風に」の句は全同だが、「もの書ける」「炉より火花」の句は、それぞれ「もの書けるひと日は指を紫蘇にそめ」「炉より立ちひとりの刻をさつと捨つ」、となっている。
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*1:三鬼はその一歳下であるから、来年生誕120年を迎えることになる。
*2:穂村氏は同誌で、「本と名のつくものの中でも文庫版の全句集は最高だ。何故なら、優れた作者が一生涯に作った作品のすべてを手の中に収めることができるから。その安心感と喜びは大きい。小説ではこうはいかない。短詩型の魅力の一つだろう。/橋本多佳子と云えば、「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」などで知られた伝説的な女流俳人だが、改めてその魅力に痺れた」(p.130)と書いている。
*3:三鬼の句に、「橋本多佳子邸にて」の詞書をもつ「ぱくと蚊を呑む蝦蟇お嬢さんの留守」というのがある。
*4:初出は『橋本多佳子句集』(角川文庫1960)。
*5:同じく誓子によれば、「多佳子の美しさのことを言うひとがあると、多佳子はいつも私には美しさはありません雰囲気があるだけですというのを常とした」(同前p.529)という。
*7:多佳子が「奈良県生駒郡伏見村字菅原(現奈良市あやめ池)へ疎開」したのは、年譜によると一九四四(昭和19)年5月のこと。