“岩波文庫 夏の一括重版”が本屋に出ていた。今回のラインアップには、山澤英雄校訂『誹諧武玉川』(全四冊)も入っている。品切になる前に買いそろえておきたいものだ。
さて、『武玉川』(慶紀逸選句)の編纂方針――つまり、前句を省いても句意のとりやすい附句をえらんだということ――を受けついだ呉陵軒可有*1ほか編『柳多留(柳樽)』も岩波文庫に入っているが、こちらは一部品切状態である。私が古本屋で買ったときもすでに品切だったから、しばらく重版されていないのではないか。
このところ寝床などで、岩波文庫の山澤英雄校訂『誹風柳多留(一)〜(三)・全句索引』(以下『誹風』)、山澤英雄選・粕谷宏紀校注『柳多留名句選(上)(下)』(以下『名句選』)を、興に乗じてぱらぱら繰っている。意味がわからないなりにおもしろい。
いずれも1995年に刊行された*2(『誹風』の原本第一冊は1950年刊*3)。『誹風』は、柄井川柳が選句にかかわった『川柳評万句合』第二十四篇までの約17500句を全て収載している。『名句選』は、そこから『誹風』の校訂を担当した山澤氏(1990年歿、本業は医師であったという)の遺稿にもとづいて約1900句を選び出し、欄外註、巻末補註を加えたもの。
それぞれ一長一短がある。『誹風』は註釈がまったく無いので、素養のない私などはちょっと読みにくい*4。そのかわり、出典、ならびに可有の省いた前句(七七)は示してある。さらに、『武玉川』やその他の柳書と重複する句も明示されている。これについて山澤氏は、「校訂者のさかしら」だと述べるが、『武玉川』を見る際の参考にしたいので、たいへんありがたいことである。一方の『名句選』は、出典や前句は示さないし、おおかたの文庫本と同じように、表記の改変せられた部分もかなりある。だが、註釈がそれなりに多いのでやはりありがたい。
たとえば「さむい事ほうを切られた人か來ル」(十六篇―四十)は、これだけでは何のことやら分らない。しかし『名句選』によると、「ほう」は「頰」で、「頰を切られた」というのは、ひびやあかぎれのことではなく、「鎌鼬のため疵を負った」(上巻p.56)のだという。その人が医者にかかりに来た冬の情景なのだとか。
ついでに余談にわたるが、鎌鼬(かまいたち)は、当時妖怪の一種とみなされていたようである。これについて記した文献は多い。ウィキペディアも結構詳しいが、そちらや、『日本国語大辞典〔第二版〕』には引かれていない記述を紹介しておく。
まず浅井了意『伽婢子』(寛文六年=1666刊)巻之十に、「關八州の間に、鎌いたちとて怪しき事侍べり。旋風(つじかぜ)吹おこりて、道行人の身にものあらくあたらば、股(もゝ)のあたり竪さまにさけて、剃刀にて切たる如く口ひらけ、しかも痛み甚だしくもなし。又血は少しも出ず。女蕤草(ぢよすゐさう)を揉てつけぬれば一夜のうちにいゆといふ」(『日本名著全集』第一期第十巻所収のものによる)、とある。
また、橘崑崙『北越奇談』(文化九年=1812刊)巻之二「俗説十有七奇」には、「一説に、寒気皮膚の間に凝封せられて、暖を得るときは皮肉さけ其気発(おこる)といへり。是医家の説なるべし」とある。しかし、「左あらば甲信の二国奥白河の辺は極めて地高なる所にして、寒気北越に倍す」。したがって、「此奇却て甚しかるべし」。さらに、これに続けて「其治方に古き暦紙を焼て貼れば即効(しるし)あり」とある(引用は野島出版『北越奇談』による)。
降って柳沢淇園(?)『雲萍雑志』(天保十四年=1843刊)巻之二には、「また西國方に風鎌といふものありて、人の肌(はだえ)をそがるゝなり。そぐ時に傷むことなし。しばらくして破血してその傷堪へがたし。このことをふせぐには、古き暦をふところにして居るときはそのうれひなしと、ところの者は申し侍りぬ」とあるように(引用は森銑三校訂の岩波文庫版による)、ここでは鎌鼬が「風鎌」という名称で紹介されている。また、古い暦が予防になるとも書いてあるわけだが、前掲の『北越奇談』は暦を傷口に貼れば薬効があると説いており、その相違が面白い。
のちに寺田寅彦は、「鎌鼬」について或る学者が「旋風の中では氣壓が甚しく低下する爲に皮膚が裂けるのであらう」と説明したのに疑義を呈し、「此れは明に強風の爲に途上の木竹片或は砂粒の如きものが高速度で衝突する爲に皮膚が截斷されるのである」(「化物の進化」『寺田寅彦隨筆集 第二卷』岩波文庫所収)、と結論している。
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もっと『柳多留』所収の句について書くつもりだったが、「鎌鼬」のことばかり書いてしまった。仕方がないので、鶯亭金升の著作の引用でお茶を濁すことにしたい。
こないだ鶯亭金升『明治のおもかげ』(岩波文庫)を読んでいると、ところどころに、『柳多留』所収の句で、『名句選』には収められていないものが引かれていた。まずは「犢鼻褌」という短文から。
大晦日の晩、ふんどしを四つ辻へ落して厄を払うと言う習慣は、明治中期まで下町に残っていた。古い『柳樽』に「これもふんどしだと担ぎ蹴て通り」とあるは、蕎麦屋の担ぎを言ったもの。(p.50)
こういう説明がなければ、この句も理解不能である。
また、万屋梅逸が得意にしたという「ほとゝぎす画そらごとにも一羽かな」については、「古い『柳樽』に、「時鳥絵そら事にも一羽なり」の狂句があるから困る」(「通客」p.97)と書いているが、これは剽窃なのか?
次に、「井戸替え」に関わる句をひとつ。『名句選』は「井戸替」に始まる句を二句収録しており、その補註には、「井戸替…一年に一度井戸水を全部汲み出し、中を掃除することで、大屋の総指揮で長屋中総出で行なった」(上巻p.240)とある。しかし、たまに「急な井戸替え」も行われたようで……。
『柳樽』に
急な井戸替長屋中猫を呑み
と言う狂句がある。「猫を呑む」と言うのが狂句の命だ。これは棟割長屋の共同井戸に猫の死体が浮き上ったので急に井戸の水を汲み替えたのだが、猫を漬けた水を飲んでいた人たちは定めし胸を悪くしたろう。(「死人を呑む」p.222)。
この句も意味がわからないので不審紙を貼っていた。『誹風』によれば、「きうな井戸かへ一ト長屋ねこをのみ」(十六篇―三)。
帰京して古い『柳樽』を読んでいたら、
今撃つた雉子売りに来る塔の沢
と言う句が出て来たので、「昔も今も同じ塔の沢だナ」と三人で笑った事があったが、昭和の今日はガラリと変ってしまった。(p.265)
『誹風』によるとこれも若干違っていて、「今ないた雉子うりに來るとうの沢」(六篇―十三)となっている。

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荻原魚雷『活字と自活』(本の雑誌社)を読んでいたら、「『コラム等』というミニコミを作っている若い友人」(u-senさん)が登場した(p.155)。初出誌(「本の雑誌」)は読んでいなかった。「河原晉也のこと」とか、「男子一生の事業 中村光夫」とか、いいですね。こういうことについて書かれた文章がすきです。

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