青木正児「陶然亭」

 神吉拓郎の短篇集『二ノ橋 柳亭』が光文社文庫に入った。
 この作品集が、『二ノ橋 柳亭』というタイトルで刊行されるのは初めてのことで、かつては『ブラックバス』という題で文春文庫に入っていた。
 春先に、大竹聡編『神吉拓郎傑作選1 珠玉の短編』(国書刊行会)、神吉拓郎『私生活』(文春文庫)を読んで慰められるところが大いにあり、清張の名篇「発作」に似た味わいのある「警戒水域」*1や、「涅槃西風」、「鰻」、「心のこり」、「信濃屋食堂の秋」、「ブラックバス」あたりは、とりわけ印象に残ったものだった。しかし国書刊行会の選集には、「二ノ橋 柳亭」が択ばれていなかったので、さっそく光文社文庫版を求め、帰省時の車中で表題作からじっくり読んでみたところ、これがまた一読三嘆の佳品であった。何より、文章がいい。併録の色川武大室内楽的文学」によると、神吉は相当な遅筆だったらしいが……。
 さてこの「二ノ橋 柳亭」に、次のようなくだりが有る。

 と、村上の方に向き直ると、
「きみ、青木正児という人を知ってるか」
 と訊いた。
 あまり唐突な質問なので、村上は戸惑った。咄嗟に思い当らないままに、問い返すと、三田も自分の質問の性急さに少々照れた様子で、こういい改めた。
「まあ、だしぬけにそういわれてもわからないだろうがね。学者なんだ。元曲といってね。シナの、元の時代の戯曲が専門なんだが……」
(略)
「この間の戦争が終って、その翌年あたりのことだが……」
 君がまだ生れる前のことになるかな、ま、とにかく古い話だ、と、三田は前置きをした。
 或る雑誌に、その青木先生の筆で、〔陶然亭〕という随筆が載った。
 学者としてばかりではなく、随筆家としても、すでに高名な人であった。
 その題名の通り、話題はその陶然亭という呑み屋で終始している。
 その店のたたずまい、主人の気っぷ、いい酒、気のきいたさかな、と、手にとるように写し取ってあるので、酒呑みは、さあ、たまらない。
 戦後のすさみ切った世の中に、まだそんな店があったのかと、わざわざ、文中に書かれた京都の高台寺××町を尋ね歩いた人もあった。
 ××町と、わざと詳しい住所が伏せてあるので、探すのも容易ではない。その人は足が棒になるほど歩いて、とうとう見つけられないまま帰って来て、その後、その陶然亭が架空の呑み屋であることを知った。
 念の為に、知合いを通じて、ひそかにその青木先生にお伺いを立てると、やはり実在しないことがわかって、その人は安心すると同時に失望もした。しかし、時がたつにつれて、あらためてこの学者の雅気に、むしろ感心するようになった。(pp.159-60)

 この記述について、荻原魚雷「解説――みんな神吉拓郎が好きだった」(光文社文庫で新たに附された)が、「架空の評論家(三田仙之介―引用者)が書いた架空の店の話の中に実在の人物が書いた架空の店の話が出てくる。ちょっとややこしい」(p.261)と書いているとおり、青木正児(まさる)*2の随筆「陶然亭」は実在する(「陶然亭」という飲み屋は架空の店である)。
 そして、上の引用文中で「或る雑誌」とされるのは「知慧」のことで、「陶然亭」は、昭和二十一年十月、同二十二年五月の二回にわけて掲載された。
 この「陶然亭」がまた、「書巻の気」をひそませた名篇で、再読三読に値する作品なのである。ことに、「陶然亭酒肴目録」全目を数ページに亙って掲げたところなどは壮観だ。手が込んでいる。実在の店と思いなした向きがあったのも故なしとしない。
 「陶然亭」は、後に青木正児『華国風味』(岩波文庫1984)のなかに「花甲寿菜単」*3とともに「附録」として収められた。そもそも元本(弘文堂刊、昭和二十四年)が収めていたのだろうが、まだ確かめていない。なおこの架空の店の名前、ひいては随筆のタイトルは、

そして旨い旨くないにかかわらず、何か変った物に出くわすと狂喜して酒味が一段と引立ち、知らず識らず唇は頻りに盃を吸い寄せ、膏液は舌上を流れて咽に下り、興会飄挙(こうかいひょうきょ)して陶然頽然(たいぜん)、玉山遂に倒るるに至るものである。(pp.199-200)

という記述に由来するものでもあろう。
 青木はその後、『抱樽酒話』(アテネ文庫1948)の「はしがき」で、この随筆について言及している。執筆動機にも触れているし面白く感じもしたので、以下に全文を引用して置こう。

 先頃私は酒徒の天國を痴想した戲作一篇を草して「陶然亭」と題し、「抱樽病夫」の假名で雜誌「智慧」に掲載した。すると此の度弘文堂で「アテネ文庫」を叢刊するに付き、早速酒の話を私に割當て、「抱樽酒話」と云ふ題まで考へて來てくれた。下地はすきなり題もよし、よし\/と其のまゝ受納れることにしたが、さて樽は空樽。
 元來かの「陶然亭」一篇は、をとどしの正月から三月ばかり榮養失調で床に就いた所の、つれづれのすさびであつたが、病間一日弘文堂主人が見舞に來て、「榮養失調なら白米を食ふと癒りますよ」と云ふ。「馬鹿な、白米ぐらゐで癒つてたまるものか。白米のエッキスが缺乏してゐるのぢや」とはね返せば、「それでは其のお藥を何とか致しませう」と約束して去つた。果せるかな此の藥の効きめで私は日に増し元氣づき、去年の秋には體重も一貫目だけ取戻して、某月某日天氣晴朗、一瓢を携へて老妻と杖を北郊に曳くほどの浮れた氣持にさへなつて來た。
 と云ふやうな次第で、弘文堂から酒話を一册と頼まれては、義理にも斷るわけにゆかぬ。いや寧ろ調子に乘つて快諾したのであるが、遺憾ながら私はただの酒ズキで酒ツウでない。書齋に籠つて古本いぢりするより外に藝は無く、漢文畑の隱居仕事ゆゑ、陳腐なところは幾重にも御容赦。(pp.3-4)

 青木はこの『抱樽酒話』につづいて『酒の肴』もアテネ文庫から出しているのだが(昭和二十五年十月)、「余りにも活字が小さくて読みづらく、余りに小冊子で紛失の恐れもあるので、この二書を今少し大きい活字で、一冊に纏めておきたい」という思いから、合冊して訳文の「酒顚」を加え、筑摩書房版『酒中趣』として刊行している(昭和三十七年刊、のち筑摩叢書、昭和五十九年刊)。
 その後、「酒顚」の翻訳部分を省いた『酒の肴・抱樽酒話』(岩波文庫1989)が刊行されており、これは今のところ品切になっていない。で、いま『酒の肴・抱樽酒話』を披いて気づいたのだけれど、上で引いた「はしがき」はこの岩波文庫版でも読めた(pp.127-28)。もっとも、「三月」:「三箇月」、「日に増し」:「日増しに」など若干字句の異なるところもあるし、せっかくなので、全文を掲げたままとしておく。

二ノ橋 柳亭 (光文社文庫)

二ノ橋 柳亭 (光文社文庫)

神吉拓郎傑作選1  珠玉の短編

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華国風味 (岩波文庫)

華国風味 (岩波文庫)

抱樽酒話 (1948年) (アテネ文庫〈第6〉)

抱樽酒話 (1948年) (アテネ文庫〈第6〉)

酒の肴・抱樽酒話 (岩波文庫)

酒の肴・抱樽酒話 (岩波文庫)

*1:「発作」の主人公が罪を犯してしまうのに対し、「警戒水域」の主人公はどうにか思い止まる。なお、TVドラマ『半沢直樹』の滝藤賢一の演出には、「警戒水域」の描写を思わせるところが有った。

*2:どうでもよいことだが、この「まさる」の振り仮名、本文中にはないのに荻原氏の解説にはある。

*3:初出:昭和二十二年八月「支那学」。こちらも必読の随筆である。