『点と線』

わたしも通いなれた「JR大阪駅」(エキストラ総勢450人)で撮影が敢行された、ということもあって、(別の作業もしいしい)かなり期待して見た。第一部に比べ、第二部はやや失速した感がある。
わたしは、かならずしも「原作至上主義者」ではないが、不満だった点を以下いくつかメモする(もちろん、期待以上によかった点もかなりある。だが、いまそれは書かずにおく)。

  • 鳥飼重太郎(ビートたけし)の人生に寄り添いすぎている(原作では妻がまだ生きてるのに……)。
  • 回想を交えたラストは蛇足。宇津井健の演技が大仰にみえる。
  • なぜ、原作における三原の手柄の多くを(少なくともみっつ)鳥飼に横取りさせるのか(たけしが高橋克典よりも格上だから?)。原作の趣旨を曲げてまで、そうする必要がはたしてあるのかどうか(最後の「鉄壁のアリバイ」に二人して立ち向かう点は良かった)。
  • キャスティング・ミスがちらほら(三原紀一=高橋克典はなかなか良かったが)。
  • ネタばらしにならないだろうからあえて書くが、鳥飼の手紙にある「わるいやつら」は、清張へのオマージュだとしても、悪い冗談だとしかおもえない(『わるいやつら』を製作したのもテレ朝だし。つい笑ってしまったではないか)。
  • これでは、『時間の習俗』(これも秀作)の世界が成立しない(あの名コンビが……)。つまり、さきにも書いたが、回想部分が余計なのである。
  • 「昭和三十二年」という設定なのに、細かいところで手を抜かないでほしい。昭和三十年代に、有吉佐和子恍惚の人』が存在するわけがない。

いろいろ言ってきたが、よかった点のほうがむしろ多いわけで、全体的にみると悪くはなかったとおもう(でも、すごく良かった、というわけではない)。そのまま映像化すると、味気ないストーリーになってしまいがちだから(原作では、手紙のやり取りが中心になるところがあるので)、かなりの脚色も必要だったことだろう。だが、鳥飼(だけ)を主役に仕立てあげた結果、やや無理が生じている難がある。
ただ三原と鳥飼が、原作よりもずっと早い段階で出会うのは、良かったとおもう(これは、ドラマの性質上やむを得ないことでもあったろうが、まあ怪我の功名ということもあるわけだし)。
もうひとつ、難点をいわせてもらうと、方言が……。「地方ロケ」を主としたドラマでは、毎度のことだが。