愛而知其悪、憎而知其善。

楠精一郎『昭和の代議士』(文春新書)

歴史劇画 大宰相(1) (講談社+α文庫)
昭和の代議士 (文春新書)
2005.1.20第一刷。
戸川猪佐武原作、さいとう・たかを画『歴史劇画 大宰相』(講談社+α文庫,全十巻。1999.単行本:『劇画 小説吉田学校讀賣新聞社,1988-1991)という、たいへんおもしろい漫画があります。「劇画」というかたちですから、人間関係がきわめて見えやすい。私はこの本によって、いわゆる戦後政治史に興味をいだくようになりました。
そもそも政治というものは、きわめて「人間くさい」ものです。それが本質といっても過言ではない。しばしば人は、派閥のため、保身のために、恩讐や思想的立場をこえて手を結んだり、あるいは訣別したりします。
その「人間くささ」、派閥というものの本質にせまった本が、この『昭和の代議士』です。
著者の楠精一郎さんは、本書の「あとがき」でつぎのように述べています。

近年、政治史を政策対立軸などできれいに説明することが流行っているようだが、私はあくまで政治のなかの人間関係に着目したかった。(中略)もちろん、政策や思想に関心がない訳ではないが、ここはひとつ徹底的に歴史の連続性と人間関係に着目してみた。そのため、政局史になってしまった印象は否めないだろう。(p.204)

しかし、この「禁欲」が、かえって本書の内容を興味ふかいものにしています。
「政策対立軸」とか「思想的立場」とかの視点から政治史を語るのは、たしかに分りやすい。分りやすいのですが、本当はその底に人間関係や利害得失の「割切れなさ」があって、それが実は政治を分りにくいものにし、しかし同時に意外性のあるものにもしているのではないか――。

具体的にいうと、たとえば「斎藤隆夫除名決議」。

当時の社会大衆党は、旧日本労農党系(日労系)の麻生書記長(麻生久のこと―引用者)の指導の下、近衛(文麿―引用者)新党結成に熱心で、これと対立する旧社会民主系(社民系)と党内抗争を展開していた。そのため、斎藤の一件(除名問題―引用者)でも、旧日労系で戦後に日本社会党の委員長となる河上丈太郎浅沼稲次郎らは賛成票を投じた。(p.54)

このような「ねじれ」が、河上の、あるいは浅沼の、戦後政治史におけるスタンスをきわめてわかりにくいものにしていたわけです。
また、たとえば「日本協同党」。
これは、「保守政党のなかで、最左派に位置する」(p.95)政党なのですが、

協同組合主義という資本主義でも社会主義でもない立場を標榜するという特徴とともに、船田自身(船田中―引用者)がそうであるように、参加者のなかには徹底抗戦派の旧護国同志会所属議員が多く含まれていた(p.96)

という事実があった。ですから、党員のほとんどが「公職追放」の憂き目にあったわけです。しかもこの「公職追放」は、反吉田(茂)戦線結成の過程で、議会主義者(政党政治家)と、翼賛体制派や戦前の革新派との結束をうながす遠因になったというのだから面白い(「おわりに」参照)。

もちろん、本書からは「個人」の姿も透けて見えてきます。
GSの容共政策によって見せしめの追放にあい、吉田茂からも「裏切られた」悲運の名宰相・鳩山一郎や、三木武吉によってうまく鳩山派に「乗せられた」広川弘禅、ポスト吉田・ポスト鳩山という限りなく首相にちかい立場にありながら、ついに念願を果せなかった緒方竹虎、「タカ派」とか「昭和の妖怪」とかいったひとことではその全貌をうかがい知ることのできない辣腕家・岸信介……。
本書は、戦前期から河野一郎の死(すなわち「最後の党人」の死)までをえがいているのですが、私が個人的におもしろく読んだのは、「保守大合同」の一幕です。ここでも、興味ふかい人間ドラマが展開されます。それが、三木武吉と政敵・大野伴睦の密会(会合は六十数回にのぼるのだそうです)。三木の大演説に感動して、大野は彼と手をとり合います。その印象として著者は、「なんとも浪花節的である」(p.168)と書くのだから、なんだかおかしい。
しかし、その保守大合同によって生れた自由民主党は、三木武吉河野一郎岸信介旧民主党主流派と、大野伴睦石井光次郎ら旧自由党主流派の対立をかかえこむかたちにもなったわけです。
大政党だと多くの派閥を抱え込むだけですし、かといって少数与党政権では運営じたいがむつかしい。おそらくは、そこに政治のむつかしさがあるのでしょう。