ふるきよき在野の大家

日置昌一編『日本系譜綜覽』(講談社学術文庫日本系譜綜覧 (講談社学術文庫)

1990.11.10第一刷。1936(昭和十一)年に改造社から刊行されたものを、覆刻・縮小し、若干の追補をほどこしたものです。
ひまなときに、なんとなく読みたくなる本があります。私の場合、この『日本系譜綜覽』がそうです。読む、というよりも「見る」辞典です。とにかく、ひまなときに、ぼうっと見ている。しかし飽きない。これも、読書のスタイルのひとつなのではないか。そうおもいます。
編者は、日置昌一(ひおき・しょういち)。『ものしり事典』という本がベストセラーになったことでも有名な人。
その日置氏のご子息、日置英剛さんが、本書に「歴史を動かした人脈・系譜の綜覽」という文章を寄せておられます(冒頭に収録)。そこに、日置昌一さんの簡単な紹介があります。以下に挙げておきます。

編者の日置昌一は、小学校を卒業しただけの街の歴史家である。学歴がないばかりに学界に受け入れられることなく、公職につくこともなく、生涯を街の一学者として過ごした。現在であれば、生涯学習の実践者として別の面から評価されたかも知れないが、とにかく経済面では苦労の連続であった。
江戸時代には幕府の官学・昌平黌に対して街の学者の系統が大きく、また絶えることなくあったが、彼はその流れをうけつぐものとしての矜恃と、文人としての多趣味を最後まで持ちつづけたひとりであった。(p.1)

またその文章によれば、この『日本系譜綜覽』は、『国史大年表』(平凡社刊。昭和十年・七巻、昭和十九年・九巻に増訂)をつくるための資料として作成されたもの、なのだそうです。
とにかく、すごい本です。まず巻頭をかざるのが、「皇室御系譜」、そして「皇族御系譜」。そのほかにどんな系譜が収録されているかというと…。
自分で説明するのは、どうも面倒くさいので、五味太郎さんの「九十九%の無用」(岩波新書編集部編『辞書を語る』岩波新書,1992所収)から引いておきます。

『日本系譜綜覧(ママ)』という“辞書”がある。文庫本である。二〇〇〇円である(私が所持しているのは2000年の第十三刷で、税別で二三〇〇円となっています―引用者)。本体価格一九四二円である。文庫本にしては厚い。九百頁を超えている。それだけでも変な本である。変な男が呉れたのである。(中略)
なにしろ変な本である。愉快である。何が変で何が愉快なのか、いまだよくつかめてはいないほどいい本である。なにしろ系譜の綜覧なのである。ま、掻いつまんで言えば、たとえば家系図があるのだ。皇室御系譜から諸家系譜、藤原氏だろうが北条氏だろうが徳川氏であろうが、全て載っている。そして仏教系図というのもある。天台宗だろうが真言宗であろうが日蓮宗であろうが、なにしろすべて系譜として載っている。(中略)
仏教があれば当然神道もある。唯一神道だとか吉川神道だとか十数も分家があって、それぞれびっしり系図である。そして神道があれば国学系図儒学系図蘭学系図もある。本居宣長も出てくるし荻生徂徠も出てくる。青木昆陽だって杉田玄白だって出てくる。書道系図には弘法大師が出てくるし、歌道系図には藤原勢がぞろっと出てくる。松尾芭蕉先生は当然のことながら俳諧系図に出てくることは出てくるが、ほんの一部、芭蕉門流の頭として名をとどめているにすぎない。門流はざっと数えて三十以上はある。その全部が系図である。
武術、刀術なんてものもある。柳生流は新陰流から派生したんだということが一目でわかる。二刀流という正式な流派があったんだ、その中に武蔵流というのがあるんだ。そうなんだよ、わかったか、わかっただろう、という具合になっている。槍術、杖術、棒術、弓術、馬術、砲術、みんな系図だ。おお、忍術もちゃんとある。でもこれは甲賀流伊賀流のただふたつ、ぼくでさえ先刻承知のものしか載っておらず、わずか一頁、さらっと読むと猿飛佐助とか霧隠才蔵石川五右衛門なんてポピュラーな名前が並んでいるので、このあたりでふっと弛む。(中略)
茶道系図、華道系図能楽系図、絵画系図あたりは楽しめる。茶道、華道はいまだに系図のつぎ足しの延長線上にあるらしいし、能楽系図のひき締めという観がある。(中略)なにしろざっとのざっと、九百頁を流し読みしたところでこの感銘である。これが辞書と言わずになんと言おう。この九十九%の無用の知識、一%の邂逅(この「邂逅」については、中略した部分に書いてあります。ぜひご覧ください―引用者)、これはまさに辞書というものの本質である。(p.109-111)

これだけたくさん書いてあるにもかかわらず、五味氏は『日本系譜綜覽』の一部に言及したに過ぎません。

また、小谷野敦さんは『バカのための読書術』(ちくま新書,2001)のなかで、同書を「座右に備えておくべき辞典類」として挙げ、こう述べておられます。

これ(『日本系譜綜覽』―引用者)は、天皇家、源氏、平氏藤原氏など、日本の各氏の系譜が載っているのみならず、茶道、華道、歌舞伎、能楽浄瑠璃等、夥しい量の「系譜」が載せられている。なかでおかしいのは「相撲系譜」で、「横綱歴代」として、初代谷風から、六十代旭富士までが系図型に並んでいるのだが、横綱というのは一時に何人もいるのだから、「何代、何代」というのはおかしい、「何人目」というべきだと言われている。じっさい、歴代横綱が、まるで跡でも継いだようにずらっと縦に並んでいるこの系図は変である。(p.59)

いかにも小谷野氏らしい(相撲ファンです)紹介のしかたですが、それでもなお、小谷野氏は「私が気に入っている事典」と書いておられます。
こんなに変で、すごい辞典を編んだ日置氏について、彼を見知っていた徳川夢声はつぎのように書いています。

なにしろ記憶の権化みたいな人だから、話題は無限である。彼は平凡社の『人名大辞典』を一人で編集したそうだが、これに載った一万数千名の人物の、名前はもとより生年月日から、事績から、今でもアラカタそらんじているという話。五歳のときに、もう大抵の漢字を読み書きして、七歳にして入学すると同時に教師になったというのだから、呆れたものである。小学校に入学すれば、みんな生徒になるはずだが、彼のみはイキナリ、先生になったのである。十四歳にして、中等学校検定試験を楽々とパスしたのだそうだ。この検定試験にパスするようなら、如何なる中学校の優等生にも決して劣らぬ学力である。
なるほど、あのオデコはただのオデコでない。中に記憶の脳味噌がギッシリ詰まっているに違いない。
徳川夢声『いろは交友録』*1ネット武蔵野,p.51-52)

「街の歴史家」は、「記憶の魔」でもあったわけです。

*1:なぜかこの本では、日置昌一さんを「へ」の項におさめてある。つまり、「ひおき・しょういち」ではなく、「へぎ・しょういち」と読んでいるわけです。正しくは「ひおき・しょういち」のはずなのですが、これは一体何故なのか、その理由をご存じのかたがあれば、どうかご教示くださいませ。