落合氏の新著

甲骨文字小字典 (筑摩選書)

甲骨文字小字典 (筑摩選書)

 落合淳思『甲骨文字小字典』(筑摩選書)が出ていた。『甲骨文字の読み方』(講談社現代新書)の附録、「解読のための甲骨文字辞典」の大増補改訂版といったところか。「解読のための〜」で由来不明とされた「吉」は採録していない*1
 概説的な第一・二章から読む。占卜の改竄、甲骨文の文法など、これまでの著作で何度か書かれてきたことがまとめられている。また殷後期の王統系譜については、前著よりも詳しく説明がなされている。そこでは、「一九五〇年代の日本において、島邦男が『史記』の系譜のうち廩辛(りんしん)が甲骨文字で祭祀を受けていないことを発見した。つまり、廩辛は後代に付加された王名であり、実在の殷王ではなかったのである。同時に、祖己(そき)という人物は『史記』では王とされていないが、甲骨文字では王として祀られていたことも明らかにされた」(p.21)と述べ、島による系譜を掲げている。
 その系図は、島邦男『祭祀卜辭の研究』(弘前大学文理学部文学研究室,1953)に拠っているようだが、私の知るかぎり、1951年の時点で島はすでに上記のことに言及している。すなわち次のようである。「本紀(史記殷本紀―引用者)の中壬・沃丁・廩辛は卜辭の祀序に列せず、卜辭の祖己は本紀の王位に列せず」(島邦男「卜辭に於ける先王の稱謂」*2『甲骨學』第一卷第一號1951;p.14)。しかしこのようにごく簡単に触れられるだけだから、廩辛や祖己についての記述は、「一九五〇年代」以前まで遡れる可能性もある。
 ところで落合氏は、「帝乙(ていいつ)」も廩辛と同様に甲骨文には祀られておらず、周代に附加されたものということを明らかにしたそうだが、島は前掲論文の図表で、この帝乙の称謂として「父乙」のみ掲げ、その右肩に「?」を附している。この島の意図がどういうものであったか、(本文では言及されないので)よく分らないのだけれども、やっぱり存在自体が怪しい、と考えていたのだろうか。
甲骨文字の読み方 (講談社現代新書)

甲骨文字の読み方 (講談社現代新書)

甲骨文字に歴史をよむ (ちくま新書)

甲骨文字に歴史をよむ (ちくま新書)

*1:『甲骨文字に歴史をよむ』(ちくま新書)には、「(吉は―引用者)中国の古い発音では[kiet]であり、ひび割れが発生する際の音に近く、私はこれがひび割れの擬音語であると考えている」(p.23)とある。

*2:『殷墟卜辭研究』に収録。1958年刊(1975年再刊)。中国語版(http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/html/10129/846/AA11349168_18_l21.pdf)も刊行。