右文説

 「右文説(うぶんせつ*1)」は、北宋代に流行した字源説である。「漢字(楷書)には形声文字が多く、また、その構造は左に意符としての偏(へん)、右に声符としての旁(つくり)があるものが多い」が、この「右側、すなわち声符にも意味を求めようとする考え方」こそが右文説である(落合淳思『漢字の成り立ち―『説文解字』から最先端の研究まで』筑摩選書2014:76)*2。その総括としては、沈兼士「右文説在訓詁學上之沿革及其推闡」(古勝隆一氏のブログから)があるというが、ちょっと手が出ない。
 右文説は王聖美の創始にかかるといわれており、宋・沈括(しんかつ)の『夢溪筆談(むけいひつだん*3)』には、次の如くある。

 王聖美治字學,演其義以爲右文。古之字書,皆從左文。凡字,其類在左,其義在右。如木類,其左皆從木。所謂右文者,如戔小也,水之小者曰淺,金之小者曰錢,歹而小者曰殘,貝之小者曰賤・如此之類,皆以戔爲義也。(卷十四 藝文一*4

 「凡字,其類在左,其義在右」とあるように、右文説は正確には、「左部(偏など)によってグルーピングし、右部(旁など)で義を表した」と考える説である。
 『夢溪筆談』のこの一節はしばしば引用される。一例として、洪誠 著/森賀一惠・橋本秀美 訳『訓詁学講義――中国古語の読み方』(アルヒーフ2003)を見てみる。

 安石と同時期の王聖美は右文説を唱えた。一般には、形声字の意味は左にある、つまり「左文」と理解されている。例えば「淺」字の場合、左旁の水(さんずい)は意味を表し、右旁の戔は音を表す(《説文》十一上水部「淺、不深也。从水、戔声」)。右文説では、その類別は左に、その意味は右にあり、「淺」の場合は、左旁の水は類を表し、右旁の戔は意味を表すと考える。「戔は小である。水の小なる者を『浅』といい、金の小なる者を『銭』といい(銭の本義は農具で、お金ではない)、歹にして小なる者を『残』といい、貝の小なる者を『賎』という、などなど、いずれも字形に『戔』が有る」。右文説は《説文》の解釈を改めたが、王安石とは観点が異なっていた。王安石は形声字の声符の表音作用を否定し、声符を具体的な意味のある意符字とみなした。右文説は、同じ諧声偏旁を綜合して、一つの総括的な意味を導き出すが、この意味は多分に形容的であり、また、声符の作用を否定せず、字義は字音によって統括されると考える。(中略)右文説は、文字言語の音義の関係に関して、いくらか発見はあったが、一部の同源語を説明できるだけで、必然的な規則とみなすわけにはいかなかった。声符の同じ字が必ずしもすべて共通の意味を持つとは限らないからである。(p.30)

 ここでは、右文説の問題点にも言及している*5。また、王力『漢語史稿』(中華書局1980)第四章 第五十七節は、右文説を「おおむねその通りである」と認めながら、その缺点について以下の如く述べる。

(遠在九百年前,就有王聖美創爲“右文”之説。“右文”就是聲符;因爲它往往在字的右邊,所以叫做“右文”。這一派的文字學家主張凡同聲符的字其意義一定也有相通之處。這個意思是大致不錯的,)但是它有缺點,因爲不容否認,某些聲音相近似的詞的確是偶合的,造字的人採用同一聲符也僅僅是把它當做聲符來使用;反過來説,不用同一聲符的字所代表的詞却不一定没有親屬關係。(2004第二版p.619)

 すなわち、「声音がたまたま似通っているいくつかのコトバに、文字の作り手が同一の声符を用いた」り、「声符と見なして使った」りする場合がある。「逆にいうと、同一の声符を用いていなくても『親属関係』がないとは限らない」わけで、これを要するに、右文説は、(楷書の)形と音との対応関係に拘泥しすぎた、といえるだろう。王力はこの後に、「夢」「茫」「蒙」「盲」などの明母字([m-])の例を挙げて、「暗闇」等の共通義があると述べている。
 大島正二『漢字と中国人―文化史をよみとく―』(岩波新書2003)は右文説を、劉煕が『釋名』で従った「声訓」の継承として捉え、さらに清朝・黄承吉(1771-1842)の「字義起於右傍之説」(『夢陔堂文集』巻二)やカールグレン(Bernhard Karlgren, 1889-1978)の ”Word Families in Chinese B.M.F.E.A.Vol.5” 、藤堂明保「上古漢語の単語群の研究」などで展開された説もこの系列に含めたが、「その科学性をめぐって検討されるべき問題はなお残されていると思う」(p.68)と結論している。
 藤堂説は、加納喜光『漢字語源語義辞典』(東京堂出版2014)によって発展的に継承されている。加納氏は、「漢字の探求はまず語源から入り、次に字源に行くのが正道」(p.4)と、「語源」「字源」を区別している。そして、偏や冠などの一部を「限定符号」=「漢字の造形法において意味領域を限定する符号」と位置づけている*6。この限定符号は、右文説における「左文」に近いものだといえるだろう。

訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)

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漢字と中国人―文化史をよみとく (岩波新書)

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漢字語源語義辞典

漢字語源語義辞典

*1:または「ゆうぶんせつ」。後に紹介する大島正二『漢字と中国人―文化史をよみとく―』(岩波新書2003)p.66は、「右文」に「ゆうぶん」のルビがある。

*2:同書の「用語解説」p.278には以下のようにある。「形声文字の声符が発音だけでなく意味も表す場合、その部分を亦声(えきせい)と呼ぶ。また、会意文字の部分が意味だけではなく発音の表示も兼ねる場合にも亦声として扱われる。北宋代に流行した「右文説(うぶんせつ)」は、形声文字の声符を積極的に亦声として解釈しようとしたものである」。

*3:または「ぼうけいひつだん」。鈴木修次『漢字―その特質と漢字文化の将来』(講談社現代新書1978)p.122は、「夢溪」に「ぼうけい」のルビがある。

*4:沈括撰/胡道靜校注『新校夢溪筆談』(中華書局香港分局1975)p.153(標点本)を参照。

*5:ちなみに声符を否定した王安石は、『字説』で独自の字源説を展開した。同書は既に散佚しているが、諸書の引用によってその梗概が知られる。『訓詁学講義』pp.30-31,pp.38-39などを参照のこと。『字説』に言及した一般向けの本としては、(紙媒体は品切重版未定だが)志田唯史『漢字って、もともと、そういう意味だったのか―漢字のルーツを探る』(角川oneテーマ21,2001)がある。同書pp.12-20,pp.34-37参照。なお志村和久(1988)「漢字の発達」(『漢字講座1 漢字とは』明治書院)は、民間字源説を「字説」という一般名称で呼ぶことを提唱している。

*6:「亠は部首であるが、限定符号ではな」く、「甥の部首は生だが、限定符号は男である」と、部首との違いも強調している(p.1384)。もっとも「部首」というのは、かなり浮動的なものである。