鉄道唱歌など

◆午前中に所用を済ませた後、天満天神繁昌亭行き。天牛で日本随筆大成を一巻(480円)、『大阪のうた』(大阪都市協会)400円、富田常雄『長篇小説 白虎』(大阪新聞社)100円。矢野書房で、小杉未醒(放庵)『新訳 絵本西遊記』(中公文庫)400円。西洋茶館に憩う。午後六時半開演。四席。座談会も。午後九時まで。K君、A君、Aさん、Eさんと京橋で夕食。
◆大阪にちなんだうたの歌詞をあつめた『大阪のうた』、(一見したところ、ごまブックスの英単語帳のような体裁だが)これはすごい。「大阪市街電車唱歌(改訂)」(大和田建樹作詞、田村虎蔵作曲)から「僕の知ってる大阪」(所ジョージ作詞・作曲)まで。「阪急ブレーブス応援歌」(サトウ・ハチロー作詞、藤山一郎作曲・歌)なんてのも。服部良一「推せんのことば」、「作曲家として、こんな嬉しい事はない。併かも僕の曲が日本調からブギまで数多く収められていて驚いた」。「テレビ大阪開局記念」として刊行されたものらしい(1982年刊)。
わたしが関西に越してきたばかりの頃、「桃栗三年柿八年、テレビ大阪まる十年」というCMがやっていた。それから更に十五年も経つ。
富田常雄の『白虎』(川上音二郎一代記)、これは新聞小説で、新聞の版面をそのまま転載したもののようだが、奥付が無い(書影は、「ガラクタ風雲」を拝見したときに見た)。「再版の序」があるから昭和二十二年に刊行されたことが知れるものの、話がやや中途半端な終わりかたをしている。もしや落丁? 挿画と装釘は、岩田專太郎による。まあ挿絵を見るだけでも面白い。
◆大和田建樹といえば。

いまの“鉄道唱歌”の方は、堀内敬三さんが大変研究されている。あの“汽笛一声新橋を”という言葉は、大和田建樹さんの文句ではなく、横江鉄石の言葉だそうです。堀内さんの話ですが、あれは横江鉄石があの“汽笛一声新橋を”の名文句を作った後にどこかの貧乏書生が横江鉄石の東海道汽車の旅の歌を今度は自分でもっと違ったものを作って大阪の音符出版屋へ売った。それを二足(ママ、こう書かれることも屢々)三文で買って大和田さんに作歌をさせて明治三十三年に売り出したときには、楽隊を乗せて各駅ごとに降り、鉄道唱歌をやった。それが即ちジンタの最初だというのです。
サンデー毎日編『ものしり試合―日置昌一對談集』現代思潮社1953,p.128.青木槐三の発言)