記者たちの「三菱銀行事件」

讀賣新聞大阪社会部『三菱銀行事件の42時間』(新風舎文庫)

三菱銀行事件の42時間 (新風舎文庫)
2004.11.5初版第1刷。
 新風舎文庫の「シリーズもの」のうち、とくに「検証! 日本を震撼させた*1事件シリーズ」がおもしろい。私はこのシリーズの本を九冊所有していて、事件を「検証」した部分よりも、むしろその「経過」をえがいた部分をおもしろく読んでいます。
 そのラインナップから何冊か紹介するとすれば、たとえば、伊佐千尋阿部定事件 愛と性の果てに』、角間隆『赤い雪 総括・連合赤軍事件』*2熊本日日新聞社『冤罪免田事件』、坂口拓史トリカブト事件』、佐木隆三『深川通り魔殺人事件』、杉原美津子『生きてみたい、もう一度 新宿バス放火事件』*3……とまあ、いろいろ出ています。そして今月は、シリーズ中もっともぶ厚い(九九二頁!)、片島紀男『三鷹事件 1949年夏に何が起きたのか』が出ました。
 さて、今回私が取上げるのは、『三菱銀行事件の42時間』。これはもともと、『ドキュメント新聞記者』という書名で講談社より刊行(1980年)され、1984年に文庫化(角川文庫)されました。ですから、二度目の文庫化ということになる*4わけです。
 「三菱銀行事件」とは何か。ご存じのかたも多いでしょうから、簡単にふれるに止めますが、1979(昭和五十四)年1月26日14時半ころ、三菱銀行北畠支店で起った、籠城殺人事件のことです。犯人の名は梅川昭美。梅川は約四十二時間立てこもった後、射殺されました。
 私が、この事件を知ったのは、八年前、高橋伴明*5TATTOO〈刺青〉あり』(1982,国際放映=ATG=高橋プロダクション)を観たのがきっかけであったはずですが、その映画では「事件そのもの」はえがかれていませんでした。当時は、「事件そのもの」をえがくにはあまりにも時期尚早で、スタッフにもややためらいがあったからなのでしょう。まあ、これは揣摩臆測にすぎませんが。
 ともかく、その映画で主演した宇崎竜童*6が強烈なインパクトをのこしたこともあって、この事件についてもう少し、知りたくなりました。
 それで読んだのが*7毎日新聞社会部編『破滅―梅川昭美の三十年』*8幻冬舎アウトロー文庫,1997)や麻生幾『封印されていた文書 昭和・平成裏面史の光芒Part1』(新潮文庫,2001)です。前者はもっぱら梅川本人の生い立ちから死までに取材し、後者は警察と梅川との攻防を中心にえがいています。
 わけても興味ふかく読んだのは前者で、梅川の名「昭美」(「あきよし」か「あきみ」か「てるみ」か)をめぐる混乱、そして梅川の「読書傾向」についてまで言及しています。

破滅―梅川昭美の三十年 (幻冬舎アウトロー文庫)
 「おっさん、これからオーヤブ(大藪春彦)の新しいのが入ったら取っといてや」*9
 昭和五〇年冬。木枯しが吹く寒い夜だった。梅川は自宅の「長居パーク」から歩いて一〇分ばかりの小さな書店に入ると、はじめてというのに大藪のハードボイルドを中心に一〇冊近い本をかかえて帰った。以来、梅川の書店通いがつづき、そのたびに一〇冊前後が自宅の新調間もない本棚に加えられていくことになる。
 二〇〇冊近い蔵書には、「人類の知的遺産」シリーズ(講談社)の『フロイト』『ドストエフスキー』『ニーチェ』『アインシュタイン』から、事件直前に発行された『ゴータマ・ブッダ』の思想書がズラリ。「人物現代史」シリーズ(同)の『ヒトラー』『ムッソリーニ』『チャーチル』などの伝記もならぶ。いずれも、発刊のたびに書店の主人が梅川のマンションまでバイクで配達したものだ。(中略)
 「毎月の本代が一万円を超えて弱っとるんや」
 「フロイトは面白く読めたが、ニーチェはさすがに難しかったなあ」
 梅川は喫茶店や書店で、よくこんな自慢話をした。が、書店の主人の見方は厳しい。「一万円の話は事実ですが、フロイトニーチェの難しい本を本当に読んだとはとうてい思いまへんな。まあ、部屋の飾りでしょう」(p.110-111)

 このように梅川が、ハードボイルドを好み、そして「見栄読書」をしていたことからしても、宮崎学さん*10の次の評――

 こうした事件を起こした人間について分析する場合、多くの評者は、幼い時からの差別と貧困、家庭環境からくる人格形成を動機の主たる事として考えたがる傾向が根強い。
 梅川に対しても、両親の離婚と度重なる貧困、育った土地から推測される差別を事件の背景と見る評者が多い。
しかし広島工大付属工業高校に入学していること一つ取ってみても、彼の場合は、犯罪の主たる動機になるほどの差別や貧困を味わっていないと思う。
 この事件を犯罪の時代性で捉えていくと、この五四年頃から、差別や貧困を犯罪の動機とする図式が崩れ始めてきたと考える。
 梅川がこの事件を起こした背景に、幼少からの環境が若干は係わってくるとしても、彼の場合はヒロイズムに酔って起こした部分が大きいと思う。(同前「解説」,p241-242)

――は、的を射ているのではないかとおもいます。
 さて、宮崎氏はこの「解説」中で、「この事件が起きた当時の新聞各社の大阪社会部は、元気だったナァということを思い出した」と書き、「読売新聞大阪社会部には黒田軍団と呼ばれる記者達がおり、その後、彼らは『警官汚職』という本を出版して、日本ジャーナリスト協会賞をとった」と書いています。こういう記述などから、私は、この事件がどのように報道されたのか―ということに、徐々に興味をいだくようになりました。
 ところが『破滅』は、毎日新聞社会部の記者たちが執筆したものなのですが、さきにも述べたように、「梅川本人」の記述に多くの紙面をさいている。ですから正直にいって、報道する側の視点から描かれた部分の少ないことが、すこし不満でもありました。
 その不満を解消してくれる本が、『三菱銀行事件の42時間』*11です。 この本は、

 …事件そのものの客観的な事実を捨ててしまった方が、新聞記者の興奮や緊張をより深く伝えることができるということが、読みかえしてみてよくわかった。大幅に書き直し、客観的な事実は巻末に「全記録」としてまとめたので、ほぼ全篇に、新聞記者が躍動することになった。同時に、情緒によって本質を伝えることができるかどうかを問う実験的な本にもなった。(「情緒によって本質を伝えたい―あとがきにかえて―」p.391)

というようなゆくたてがあったため、徹底して「報道する側」からの視点から描かれた、異色のノンフィクションに仕上がっています。つまりこの本は、「三菱銀行事件」を材料としながらも、「新聞記者」とはなにか―という問題にせまった労作になっているわけです。
 そして、それはまた、

 もう三十年近くもの間、新聞記者として生きてきた私自身(社会部長だった「黒田軍団」の黒田清―引用者)にしても、なにに拠って記者生活をつづけてきたかと自問してみると、回答は、柔らかい粘土を手の中に握りしめたように、さだかな形をとることがない。社会の木鐸という自負を持ちたいとは思う。正義感に支えられてと答えたいとも思う。だが、そんな立派な語句にてれてしまうということに加えて、自分の心の中をいつもそんな清澄なものに思ったり伝えたりすることは、やはりまやかしだと思う。だからと言って、新聞記者という仕事を、他人のアラ探しをやったり、いやがることをスッパ抜いたり、ああだこうだと言うだけで自分は安全地帯にいて、気楽な稼業ときたもんだなと思ったことはない。私をふくめて多くの新聞記者は、もっと苦しみながら仕事に没入し、なにものかと格闘している。(同前,p.388-389)

というふうに、等身大の記者の姿をえがいている、ということでもあります。
 ですから―具体的な記述を挙げるのは面倒なのでやめますが―、事件発生直後の社会部の混乱ぶり、特ダネをつかんで興奮する記者の姿、紙面づくりの労苦…など、現場の緊迫感をつたえる個々の事実が、たしかな筆致で書かれていきます。非常におもしろく、一気に読んでしまいました。もちろん、一気に読める本こそおもしろいというわけではないのですが、この本は、一気に読むべき本だとおもいます。
 事件後、四半世紀を経ましたが、事件がたいへん残忍なものであったせいか、関係者は一様に口を閉ざしています。被害にあわれた方々にとっては、もう一生涯、触れたくもない出来事でしょう。
 しかし、だからこそ、この本の存在は貴重なのです。

*1:すでに慣用となった感のある「震撼させる」ですが、これは「震撼する」が正用です。高島俊男お言葉ですが…(2) 「週刊文春」の怪』(文春文庫,2001)の五十四頁など参照のこと。

*2:この本は、坪内祐三さんが批判的に言及していたことでも有名です。…「一読、私は、いやな気持ちになった。ニュージャーナリズムというよりも、角間隆の文体は、もっと、古めかしくドロドロとしたものだった。一見クールなようでいて、実は、扇情的な文体だった」(坪内祐三『一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』文藝春秋,2003.p.205)。さらに坪内氏は、「単に『俗情に結託』(大西巨人)しているだけの文章である」「インチキ『ニュージャーナリズム』」(p.208)などと手きびしく批判しています。ちなみに、角間氏のスタンスは、本文中よりもむしろ、新風舎文庫版の「あとがき」で明確にされます。それもそのはずで、著者自身、これを「追補」と定義しています。

*3:この作品は映画化されました。恩地日出夫『生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件』(1985,ヴァンフィル)がそれです。桃井かおりが著者を演じ、その愛人を演じているのが、石橋蓮司です。

*4:アンソニー・トゥーサリン事件の真実』のように、文庫オリジナルのものもありますが、以前、一度文庫化された作品も多数はいっています。これは、「記念すべきデビュー作シリーズ」などでも同様です。

*5:この映画に出演している高橋(旧姓・関根)恵子の夫です。

*6:役名は、梅川昭美ではなく竹田昭夫。ですから、梅川のつくった会社の「プラム萬」という社名が、「バンブー商事」になっています。また、エンド・クレジットで流れる「ハッシャバイ・シーガル」(作詞:阿木燿子、作曲・唄:宇崎竜童)が感動的です。

*7:現代教養文庫にも、福田洋『三菱銀行人質強殺事件』が入っていましたが、これは未見です。

*8:映画は、これを下敷きにしています。

*9:映画のなかにもあるセリフです。

*10:このまえ、TBS系列の『R30』で、国分太一や井ノ原快彦と「共演」していたのには、ちょっとビックリしましたが―。

*11:口絵で、梅川の本棚の一部が見られます。