字謎

◆「平林」のことをあれこれ教えて頂いていて、ふと思い出したのが、「分解字」「字詰」「字割」、また文字や熟語のいわゆる「異分析」のことである。これが笑話に活かされることはよくある(安楽庵策伝『醒睡笑』にもその手のものが幾つかある)。
艶笑ものになってしまうが、たとえば、僧と尼とが字謎を出し合って知恵くらべをする、という笑いばなしがあった。近世期の日本の話だとおもうが、出典は忘れてしまった(ちょっと捜してはみたが、やはり分からない)。どういう内容のものかというと、僧が両手両足をおおきく広げて道の真中に立っている。それで、「これはどういう文字か?」と尼に問うのだ。尼は答えられない(あるいは「大」と答えたか)。答えは「太」字なのであった。つづいて尼、盥かなにか(それも曖昧)を頭の上に載せて、両手両足をおおきく広げて立ち、「ではこれはどういう文字か?」と今度は僧に問う。僧は自信をもって「天」と答えたが、正解は「呑」字なのであった。……という内容のものなのだが、これとちょっと似た感じの話が馮夢竜の『笑府』に見える。邦訳を引用しておこう。

〔一九三〕斎の字(斎字)
ある僧が「斎(チャイ)」の字を読むと、尼が、それは「斉(チー)」の字だといって、言い合いになった。そこで一人の男がこれをさばいて、
「上の方は同じだが、下の方がすこしちがいます」
(馮夢竜撰 松枝茂夫訳『全訳 笑府―中国笑話集―(上)』岩波文庫1983,p.175「巻五 広萃部」)

……解説するだけ野暮というものである。
以下、文字に関する笑い話をついでにいくつか。

〔六〕息子に字を教える(訓子)
ある金持、代々字を知らなかった。ある人から先生を招いてその子に字を教えるようにするがよいとすすめられ、もっともと思い、先生を招くことにした。先生がやって来て、その子にまず筆をとって手本をなぞって一画を書かせ、これが一の字じゃと教えた。次に二画を書かせ、これが二の字じゃと教えた。次に三画を書かせ、これが三の字じゃと教えた。その子は喜んで筆を投げすて、父に告げていった。
「わたしはもう字の意味はぜんぶわかります。先生を煩わすには及びませぬ」
そこで先生をことわって帰らせた。
その後しばらくたって、懇意にしている万(まん)という姓の人を招いてふるまいをすることになり、その子にいいつけ、朝早く起きて招待状を書かせた。ところが大分たっても出来上がらぬので、父親が行って早く書くようにいうと、子供は怒って、
「姓も多いのに、なんでよりによって万という姓をつけたんだろう。朝からかかって今までに、やっとまだ五百画あまり書けたきりです」
(同前,pp.17-18「巻一 古艶部」)

〔六一〕川の字(川字)
ある素読の先生、川の字一つしか知らず。弟子から手紙が来たので、その中から川の字をさがして人に教えてやろうと思い、何枚もめくってみたがない。やっと三の字を見つけて、指ざして罵った。
「方々さがしても見つからぬと思ったら、こいつめ、こんなところに寝ころんでいやがった」
(同前,pp.71-72「巻二 腐流部」)

〔二三九〕一の字(一字)
父親、一の字を幼児に教える。あくる日、子供がそばにいるとき、父親はちょうど卓をふいていたので、ぞうきんで卓に一の字を書いてみせ、子供に何とよむときくと、子供、知らぬという。
「きのう教えた一の字じゃないか」
というと、子供、目をまるくして、
「たった一晩のうちに、どうしてそんなに大きくなったの?」
(同前,p.209「巻六 殊稟部」)

また引用することは控えるが、〔五六〕「又(昼寝)」や〔五七〕「読別字」、〔五八〕「読破字」(いずれも「巻二 腐流部」)、〔五六二〕「尤兪」(「巻十三 閨語部」)等は異分析の話。〔四三五〕「麻」(「巻十 形体部」)は、文字遊びに関わりそうな話。ただし『笑府』には、ここに挙げたような字形によるものよりも、音通を利用した笑い話のほうが多く収められている(白話小説などでも事情は同じ)。だがそれは日本人には理解しにくい。だから、江戸小咄に影響を与えていそうな「字謎」には、字形を利用したものが多いのだろう。
もちろん、『宇治拾遺物語』巻第三「十七 小野篁広才の事」の如く、音ないしは訓を利用した日本独自の文字遊びも古来みられる。

嵯峨天皇が―引用者)「さて何も書きたらん物は読みてんや」と仰せられければ、(小野篁が―引用者)「何にても読み候ひなん」と申しければ、片仮名の子文字(ねもじ)を十二書かせて給ひて、「読め」と仰せられければ、「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」と読みたりければ、御門ほほゑませ給ひて、事なくてやみにけり。(新編全集版『宇治拾遺物語小学館1996,p.138)

つまり、小野篁が、「子子子子子子子子子子子子」を「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」と読んで天皇を感心させたという話。これはわりと知られたエピソードかもしれない。
そういえば、「同じ字を 雨雨雨と 雨て読み」という古川柳があった。山本昌弘『漢字遊び』(講談社現代新書,1985)によると作者や出典は分からないというが、これは「同じ字を アメ・サメ・ダレと グレて読み」と読む。「雨(アメ)」、「春雨(ハルサメ)」の「サメ」、「五月雨(サミダレ)」の「ダレ」、「時雨(シグレ)」の「グレ」、という読みを利用しているわけで、もちろん一字でこう読めるわけはないので(「海海海海海」を「アイウエオ」と読む類)、単なる音通(訓通?)ではなく、異分析が荷担しているからひねりも利いている。
実話としては、「シナチク」*1の漢字表記を「竹竹」だと思い込んでいた学生の話、という笑い話がある。「シナ」=「竹」は「竹刀(シナイ)」の「シナ」、というわけだ。出典はたしか、駒田信二の本。
◆某先生から、日置昌一の姓のヨミは「ヘキ」であって「ヒオキ」でないということ(当の本人がそう書いているのだとか)、武井昭夫(てるお)はもともと彼の父親が「照夫」のつもりで名付たということ、を御教示いただきました。どうも有難うございます。「照夫」は「てるお」であって「あきお」とはふつう読まないのですが、しかし「昭夫」が「てるお」とは読めない、というわけではありません。ふと、そういえば槇島昭武(てるたけ)がいるではないか、とおもったのですが、こちらには「あきたけ」説があるのだそうです(ちゃんと調べることはしていませんが)。
ちなみに、毎日新聞社会部編『破滅―梅川昭美の三十年』(幻冬舎アウトロー文庫,1997)でも、梅川昭美の「昭美」という名のヨミが「あきみ」「あきよし」「てるみ」…と人によって様々で、一定していなかったということに言及していました。
ついでに、井川観象『名前のつけ方ABC』(東栄堂,1966)で「昭」の項をみておくと……、

(1)あきらかという意味がある。(2)ショウ、あきらか、あきら、あき、てる。(3)昭(あきら)昭夫・昭男・昭雄・昭生(あきお・てるお)昭吉(てるきち・しょうきち)昭和(しょうわ・てるかず・あきかず)昭彦(あきひこ・てるひこ)昭子(あきこ・てるこ)昭一(しょういち)昭二・昭次・昭爾・昭自・昭治(しょうじ)昭三郎(しょうざぶろう)昭十郎(しょうじゅうろう)昭四郎(しょうしろう)昭也・昭哉(てるや)昭光(あきみつ・てるみつ)昭正(てるまさ・あきまさ)(pp.193-94)

となっています。ただこの本、時々おやという記述があったりします。
たとえば、「国語学者宇野哲人」(p.253)とか。

*1:いまは「メンマ」と呼ぶのが主流か。